新世界訳
エホバの証人の聖書

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創世記 1:25

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そして神は、地の野獣をその種類にしたがい、家畜をその種類にしたがい、地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。



 新共同訳聖書で「それぞれの」となっているところが、新世界訳聖書では「種類にしたがい」となっています。

 これは新世界訳聖書が字義訳であるようです。また、この聖句の一般的な訳し方であるようです。



創世記 1:25

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。



 この聖句は、キリスト教の創造論を支える主要聖句の一つであり、また、生き物のそれぞれの種の独立性を明示するものとして引用されてきました。
 一例を見てみましょう。



◇ 「生命―どのようにして存在するようになったか 進化かそれとも創造か」, ものみの塔聖書冊子協会

進化が事実であったとすれば,化石の証拠は,一つの種類の生物から別の種類の生物へと,漸進的な変化の跡を示しているはずです。しかもこのことは,進化論の中のどの説を取った場合でも言えるはずです。「断続平衡」の説と結び付いた,より急速な変化を信じる科学者たちでさえ,そうした変化が起きたと想定される期間としてやはり幾千年もの年月を見ています。ですから,中間的なつなぎとなる化石など全く必要でない,と考えるのは,筋の通ったことではありません。
また,進化論がもし事実に基づいているのであれば,化石の記録は,生き物の体の新しい構造の始まりを示していることが期待されるでしょう。分化過程にある腕,脚部,翼,目,その他の骨や器官を持つ何かの化石があるはずです。例えば,魚のひれで,足や足指を持つ両生類の脚部に変わりつつあるもの,また肺に変わりつつあるえらなどが見つかるはずです。前肢が鳥の翼に,後肢がかぎづめのある脚部に,うろこが羽毛に,そして口が角のようなくちばしに変わりつつある爬虫類が見いだされるはずです。
英国のニュー・サイエンティスト誌は,進化論のこの点についてこう述べています。「完全に整った化石の記録は,長大な期間にわたる継続的で漸進的な変化を示す,諸生物の系譜で成り立つ,と予測される」。ダーウィン自身もこう唱えていました。「中間的な変異体で以前に存在していたものの数はまさに膨大なものとなる[に違いない]」。
他方,創世記の創造の記述が事実に根ざすものであれば,化石の記録は,ある型の生物が別の型のものに変わってゆくことを示してはいないでしょう。それは,異なった型の生き物はそれぞれただ「その種類にしたがって」のみ繁殖するという,創世記の陳述を反映しているはずです。(創世 1:11,12,21,24,25)また,生き物が創造という行為によって存在するようになったのであれば,化石の記録の中に中途半端で未完成の骨や器官はないはずです。化石は,今日の生物がそうであるように,すべて完全に整い,高度に複雑なものとなっているでしょう。
さらに,それぞれの生物が創造されたものであるならば,それらは化石の記録の中に突如登場し,それ以前のどんなものともつながりを持っていない,と考えられます。そして,もしこのことが真実であると分かるなら,どうなるでしょうか。ダーウィンは率直にこう認めていました。「無数の種が……実際にはいっせいに存在し始めているのであれば,その事実は,進化論にとって致命的なものとなろう」。



 もしかすると、新共同訳聖書の翻訳者は、この聖句は聖書の科学的信憑性を示すものではないと考え、従来の訳し方を避けたのかもしれません。
 断定はできませんが、この訳文がそういうメッセージを出していることは否めません。この訳し方にはかなり異論があるだろうと思います。

 創世記 1:11,12,21,24, 6:20, 7:14, 8:19でも、同じ訳し方が見られます。
 一方、エゼキエル 47:10では、新共同訳も「種類」という訳語を用いています。



エゼキエル 47:10

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる。