新世界訳
エホバの証人の聖書

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創世記 6:22

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それでノアはすべて神から命じられたとおりにしていったまさにそのとおりに行なった

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。



 この聖句の訳文には、ヘブライ語動詞の時制に対する新世界訳の見方がよく表れています。
 新世界訳聖書は『ヴァウ倒置法(ワウ継続法)』を仮説であるとして認めません。



○ ヴァウ倒置法の論理

『ヘブライ語の時制は転換したり継続したりする』

○ 新世界訳聖書の反論

『ヘブライ語の時制は転換も継続もしない』



◇ 新世界訳参照資料付き聖書, 付録, 「継続的行為もしくは進行的行為を表わすヘブライ語動詞」

幾世紀にもわたって,学者たちは,過去の出来事を未完了態の動詞を用いて表わし,将来の出来事を完了態の動詞を用いて表わすヘブライ語の表現力に当惑させられ,この特異性を説明しようとして,ワウ継続法という説を打ち立てました。

新世界訳聖書は,ヘブライ語の動詞を翻訳する際,確かな根拠に基づかないワウ継続法に従いませんでした。この旧来の説に従えば,ヘブライ語動詞が元々の態において有する力や強さは伝えられません。ですから,新世界訳聖書は,ヘブライ語動詞の完了態と未完了態の区別を保つことにより,そのヘブライ語動詞に正確な意味合いとそれに伴う力強さを添えています。



 この聖句では「行う」を意味するヘブライ語が二度用いられており、最初のものは未完了態動詞、後のものは完了態動詞となっています。ヴァウ倒置法に従えば、最初の未完了態動詞は完了態動詞に読み替えなければなりませんが、新世界訳聖書はヴァウ倒置法に疑問を抱き、最初の未完了態動詞をそのまま未完了態動詞に読みます。
 その結果、最初の動詞には行為の継続を示唆する「……していく」という訳語が充てられ、続く動詞には行為の完結を示唆する「まさに行った」という訳語が充てられています。

 同様の聖句には、出エジプト 7:6, 12:28,50, 39:32, 40:16, 民数記 1:54があります。



創世記 6:22

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
ノアはすべて神の命じられたようにした。



 新共同訳聖書や口語訳聖書ではヘブライ語の繰り返し表現が省略されています。これは邦訳聖書によく見られる傾向です。訳文がくどくなるのを防ぐためであるようです。一方の新世界訳聖書はそういう手法を用いたりしません。



○ 邦訳聖書における一般的な法則

『単調な繰り返し表現は省略してよい』

○ 新世界訳聖書の考え方

『単調な繰り返し表現であっても省略してはならない』



◇ 新世界訳参照資料付き聖書, 序文

聖句の意訳のための言い換えはなされていません。むしろ,今日の表現法が許すかぎり,また字義通りの訳出によるぎごちなさによって考えが覆われてしまわない範囲で,できるだけ字義通りの訳出を行なうよう努力が払われています。これにより,原文の述べている事柄を努めて字句通りに知ろうと細心の注意を払う人々の願いは満たされるのです。
単なる簡潔さのために原文の言い回しを変えたり,原文の字義通りの訳出で十分意味が通じるのにそれと類似した今日の表現法で置き換えたりすることはなされていません。



◇ 「聖書から論じる」, ものみの塔聖書冊子協会

[新世界訳聖書は]主として元の言語の正確な字義訳です。翻訳者が重要ではないと考える細かな部分を省略したり,役に立つと思う考えを加えたりするぞんざいな意訳ではありません。



 一例を挙げましょう。創世記 18:29には「再びさらに語って言った」というたいへんくどい表現があります。



創世記 18:29

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし彼はもう一度,さらに語りかけてこう言った。「もしそこに四十人が見いだされるとしたら」。それに対してこう言われた。「その四十人のゆえにわたしはそうはしない」。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」