新世界訳
エホバの証人の聖書

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創世記 50:10-11

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
こうして一行はアタドの脱穀場に来た。それはヨルダン地方にあり、そこで彼らは非常に大きく激しいどうこくの叫びを上げた。また彼は父のために七日のあいだ喪の儀式を行なった。するとその地の住民のカナン人がアタドの脱穀場におけるその喪の儀式を見て、「これはエジプト人のための盛大な喪だ」と叫んだ。そのためそこの名はアベル・ミツライムと呼ばれた。それはヨルダン地方にある。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。その土地に住んでいるカナン人たちは、ゴレン・アタドで行われた追悼の儀式を見て、「あれは、エジプト流の盛大な追悼の儀式だ」と言った。それゆえ、その場所の名は、アベル・ミツライム(エジプト流の追悼の儀式)と呼ばれるようになった。それは、ヨルダン川の東側にある。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
彼らはヨルダンの向こうのアタデの打ち場に行き着いて、そこで大いに嘆き、非常に悲しんだ。そしてヨセフは七日の間父のために嘆いた。その地の住民、カナンびとがアタデの打ち場の嘆きを見て、「これはエジプトびとの大いなる嘆きだ」と言ったので、その所の名はアベル・ミツライムと呼ばれた。これはヨルダンの向こうにある。



 ここは、口語訳聖書の「ヨルダンの向こう」という訳が字義訳です。ではなぜ、新世界訳聖書や新共同訳聖書は異なる訳出をしているのでしょうか。

 聖書時代のイスラエル人は、「ヨルダンの向こう」という表現を「約束の地から見てヨルダン川の向こう側」という意味の慣用表現として用いていました。これは、イスラエル人が神が与えると約束した地を中心にして物事を考えていたことを示しています。新共同訳聖書が「ヨルダンの向こう」という表現を「ヨルダン川の東側」と訳しているのはそのためです。約束の地はヨルダン川の西にあります。

 しかし、創世記 50:10-11の場合、ことはそれほど簡単ではないようです。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『アダド』の項, ものみの塔聖書冊子協会

様々な翻訳(例えば,ア標,聖ア,改標)が創世記 50章10,11節で「ヨルダンの向こう」という訳語を用いているために,アタドの脱穀場はヨルダン川の東に位置していたと結論する人たちもいます。そうであるとすると,行列は直進コースではなく,死海を回る迂回路をたどったことになります。フィリスティア人との接触を避けるためにはそのような進路を取ることもあり得たでしょう。しかし,「向こう」と訳されているベエーヴェルというヘブライ語の表現は,ヨルダンの東および西の地域のいずれを指しても用いることができます。五書<ペンタチューク>を完成させた時にモアブの地にいたモーセの観点からすると,「ヨルダンの向こう」という表現で,川の西を表わすことができました。とはいえ,新世界訳はこれらの節でヘブライ語本文を「ヨルダン地方」と正確に訳しており,問題はすべて克服されます。



 やっかいなことに、聖書は「ヨルダンの向こう」という表現を字義通りヨルダン川の向こう側を指して用いることがあります。そのような場合、ヨルダンの向こうはヨルダン川の西側になることがあります。
 この表現は、ある時はヨルダン川の東側、しかし別のある時には西側を指して用いられますので、翻訳の際に気をつかってやらないと、いろいろと混乱が生じてしまうようです。



○ 「ヨルダンの向こう」という表現の問題

通常は「ヨルダン川の東側」を意味する慣用句として用いられる。

しかし「ヨルダン川の西側」を意味する場合もある。



 いくつかの事例を挙げてみましょう。



申命記 1:1

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
これは,ヨルダン地方の荒野,スフに面する砂漠平原,パラン,トフェル,ラバン,ハツェロト,ディザハブの間でモーセが全イスラエルに話した言葉である。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
モーセはイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、一方にパラン、他方にトフェル、ラバン、ハツェロト、ディ・ザハブがあるスフに近いアラバにおいてであった。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
これはヨルダンの向こうの荒野、パランと、トペル、ラバン、ハゼロテ、デザハブとの間の、スフの前にあるアラバにおいて、モーセがイスラエルのすべての人に告げた言葉である。



 地理についての正確な証言が残されていないので断言はできませんが、この言葉はヨルダン川の東側で語られたと考えるのが筋であるようです。
 これを慣用句と読むかどうかでその意味は大きく異なります。もしこれが慣用句でないなら、出来事が川の東側で生じたのに対し、聖書の視点は川の西側にあるということになります。聖書学者の中には、これは申命記の記録が後代のイスラエルがヨルダン川の西側に定住した時代に行われた証拠であると考える人もいます。一方、これが慣用句であるとすれば、この記述は単に川の東側について述べているのですから、西側の視点を想定する必要はありません。

 新世界訳聖書はやはり「ヨルダン地方」と訳出して問題を回避しています。



申命記 3:8

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「こうしてその時,わたしたちはヨルダン地方にいたアモリ人の二人の王の手から土地を得ていった。アルノンの奔流の谷からヘルモン山までである。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
我々はそのとき、アルノン川からヘルモン山に至るヨルダン川東岸の二人のアモリ人の王の領土を手中に収めた。――

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
その時われわれはヨルダンの向こう側にいるアモリびとのふたりの王の手から、アルノン川からヘルモン山までの地を取った。



 「アルノンの奔流の谷」はヨルダン川の東側にあります。「ヨルダンの向こう」という表現が使われているからといって、イスラエル人たちがすでに約束の地にいて、アモリ人を攻めるためにヨルダン川を西側から東側に渡り、それから西側に戻っていったなどと考える必要はありません。イスラエル人は初めからヨルダン川の東側にいました。ここでの「ヨルダンの向こう」という表現は慣用句と読まなければならないようです。



申命記 3:20

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
これは,エホバがあなた方と同じくあなた方の兄弟たちにも休みを与え,彼らもあなた方の神エホバがヨルダンの向こうで与えてくださる土地を取得するまでである。その後あなた方は各々,わたしが与えた自分の保有地に戻って来るのである』。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
主があなたたちと同じく、これらの同胞に安住の地を与え、ヨルダン川の西側で彼らもあなたたちの神、主が与えられる土地を得るならば、あなたたちはわたしが既に与えた領地に帰ってよろしい。」

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
主がすでにあなたがたに与えられたように、あなたがたの兄弟にも安息を与えられて、彼らもまたヨルダンの向こう側で、あなたがたの神、主が与えられる地を獲るようになったならば、あなたがたはおのおのわたしがあなたがたに与えた領地に帰ることができる』。



 この「ヨルダンの向こう」という表現を慣用句に読むことはできないようです。モーセはイスラエルがヨルダン川を渡ることを念頭に置きつつこの言葉を語っているようですので、「ヨルダンの向こう」はヨルダン川の西側であるということになります。

 




 ここで、この語を意訳することの是非について考えたいと思います。



○ 訳業において直面する相反する法則

『完全な字義訳は完全な誤訳である』

『過剰な意訳は原典を否定するものである』



 この対立する法則があるため、しはしば意訳の是非を巡る論争が生じます。

 口語訳聖書のようにこの表現をそのまま字義通りに訳出すると、聖書の読者はヨルダン川の東側と西側を間違えるかもしれません。『完全な字義訳は完全な誤訳である』の法則を掲げて「読んで意味が通じるようでなければ翻訳とは言えない」と主張する人たちにとって、口語訳聖書の翻訳は欠陥翻訳であると言えるでしょう。
 しかし、このような意訳志向の考え方に異議を唱える人も大勢います。「原典がわかりにくい言い回しを用いるような時は、その訳文も同じようにわかりにくい言い回しにするべきだ」と彼らは考えています。こういう考え方に基づいて『過剰な意訳は原典を否定するものである』の法則を掲げる人たちに言わせれば、既成の聖書翻訳はどれも読めば理解できるという異常な状態にあるので是正しなければなりません。そうすると、「ヨルダンの向こう」という表現の場合、聖書自体がその表現を混乱を招く仕方で用いているのですから、これはそのまま混乱を招く状態で訳出すべきであるということになります。

 




 聖書において「ヨルダンの向こう」という表現に混乱が見られるのはなぜでしょうか。

 ある人は、イスラエル人がヨルダン川の西側にある約束の地に定住するようになってはじめて「ヨルダンの向こう」という表現の意味するところが「ヨルダン川の東側」になったと指摘します。さらにある人は、こういった表現が慣用句として定着するにはさらに年月がかかったと考えます。つまり、約束の地に定住したイスラエル人がヨルダン川の東側に旅行して「ここがヨルダンの向こう側なのか」と言うことがあるかもしれませんが、こういった言い回しが定着して状況のいかんに関わらず「ヨルダンの向こう側」と言えばヨルダン川の東側を指すようになるまでには相当の歳月がかかったはずだと考えます。この考え方によれば、聖書の申命記などはモーセの時代よりもっと後代に書かれたはずだということになります。
 一方、その申命記の記述を見る限りでは、このような言い回しはイスラエル人が約束の地に定着するよりかなり前から使われているように思えます。しかも、申命記のこの語の用法には混乱があり、慣用句として定着していない様子が見られますので、申命記の記述が先の意見で言うほど後代に書かれたと考えるのは難しいのかもしれません。
 さらに、この慣用句の成立についての聖書の立場が主なのか従なのかということも難しい問題です。もし、イスラエル人が約束の地に入る前からこのような言い回しが一部で用いられたために表現の混乱があり、それが聖書に反映されているというのなら、聖書の立場は従になります。しかし、申命記が書かれたときに筆者が気を利かせて約束の地にいる読者を想定しつつ表現を調整したのであれば、後代になってこの表現が慣用句として定着した原因は聖書自身にあるということになります。