新世界訳
エホバの証人の聖書

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民数記 1:52

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「そして,イスラエルの子らは各々自分の宿営地にしたがい,各人はそれぞれの軍により,自分の[三部族]分隊にしたがって宿営を張らねばならない。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分ののもとに天幕を張るが、



 新世界訳聖書が「[三部族]分隊」と訳している語の基本的な意味は「旗」もしくは「横断幕」です。
 しかし、西暦前5世紀のエジプトのユダヤ人入植地あとから発掘された文書によると、この語は特に、軍隊を含む連隊を指して用いられるそうです。
 新世界訳が特に「[三部族]分隊」という語を補足しているのは、その宿営がイスラエルの三部族からできているからです。このころのイスラエル人は、その12部族を3部族ごとに4つに分け、神の幕屋を中心にして、東西南北に宿営を張っていました。このことからすると、「[三部族]分隊」という訳語は適切だと言えるでしょう。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『宿営,陣営』の項, ものみの塔聖書冊子協会

人が宿営の中で自分の場所を見つけるのを助けるため,「その父の家の標識」が設けられました。(民 2:2)「三部族分隊」と訳されているヘブライ語のデゲルという表現には,「旗」(歌 2:4のように)という意味もあるので,家族のしるしだけでなく,部族の標識もあったことが考えられます。聖書にはそれらの標識の数や特徴のことは述べられていません。



◇ 'HarperCollins STUDY BIBLE New Revised Standard Version'

「連隊」と訳出されている語はおそらく、もともとは旗もしくは横断幕を指しており、ちょうどこの聖句に見るように、当時は、部隊の標章として、さらにはその標識としても使用されたであろう。(「旗」の訳については同じ語が用いられる10:14, 18, 22, 25を参照せよ) 西暦前5世紀におけるエジプトのエレファンティネのユダヤ人入植地において発見された文書では、この語は一群の兵士を含む大きな正規の連隊を意味する語として使用することがなされていた。

 




 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」リストはこの聖句の問題をこのように取り上げています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

このヘブライ単語デガルは[新国際訳聖書では]“standard”と訳され、その意味は「旗」もしくは「横断幕」である。旗への敬礼を偶像崇拝とみなすエホバの証人の偏った教理にしたがって訳文が改竄されている。(同様の改竄は民数記 2:2,3,10,18,25, 10:14,18,22,25にも見いだされる)



 フリーマインドジャーナルの主張は言いがかりであるようです。国旗についてのエホバの証人の信条は聖書の翻訳に何ら影響を及ぼさないようです。



○ 国旗に対するエホバの証人のスタンス

国旗には敬意を払わなければならない
しかし国旗敬礼はしない



○ 反対者が推論するところの国旗に対するエホバの証人のスタンス

エホバの証人は国旗に対する敬礼をしない
つまり、エホバの証人は国旗に敬意を払わない
よって、エホバの証人は国旗を否定している



◇ 「エホバの証人と教育」, ものみの塔聖書冊子協会

証人たち自身の立場はしっかり定まっています。つまり,いかなる国の国旗も敬礼しないのです。これは決して,不敬な態度を示すことを意図したものではありません。証人たちはどこに住んでいようとも,その国の国旗に確かに敬意を払い,その国の法律に従うことによってその敬意を示します。証人たちはいかなる反政府活動にも決して加わりません。事実,証人たちは,人の立てた今日の世界の諸政府が「神の取り決め」によるものであり,神がその存在を許しておられることを信じています。ですから証人たちは,税金を払い,そのような「上位の権威」に敬意を払うように,との神の命令に服すべきであると考えています。(ローマ 13:1‐7)これは,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と述べたキリストの有名な言葉にそうものです。―マタイ 22:21。



◇ 「エホバの証人の年鑑 1990年版」, ものみの塔聖書冊子協会

カナダからは,両親が子供に聖書の原則を教える際に,単に規則を教えるのではなく,自分の知力を働かせてそのような原則を適用できるように教えることの大切さを示す経験が寄せられています。テラは11歳でまだバプテスマを受けていませんでしたが,先生から予期しない仕方で試されました。そのころ,全校でエホバの証人はテラだけでした。
ある朝テラは,先生が授業中に一人のクラスメートを少しの間だけ教室から連れ出したのに気がつきました。そのすぐ後,先生は穏やかな口調で,一緒に校長室まで来るようにとテラに言いました。その時には,理由は何も話されませんでした。しかし校長室へ行って,テラは校長先生の机にカナダの国旗が掛けてあるのに気がつきました。部屋にいたのは,テラと先生と校長先生の3人だけでした。
それから先生はテラに,カナダの国旗につばを吐きかけるよう命令しました。先生は,テラは国歌も歌わないし国旗にも敬礼しないのだから,命令されれば国旗につばを吐きかけないわけがないと言いました。テラはこの命令に本当に驚きましたが,国家の象徴を冒とくすることを拒み,エホバの証人は国旗を崇拝しませんが,敬意は払います,と説明しました。テラが自分の立場に確信を持っているのを見た先生は,テラと一緒に教室へ帰りました。
先生は教室に帰ると,たった今一つの実験をしてきたところだ,と言いました。この先生は,学童二人を一人ずつ校長室に連れて行き,国旗につばをかけるよう命令したのです。最初の女の子は愛国主義的な儀式に参加していましたが,命令された時には国旗につばをかけました。それとは逆にテラは,先生の説明によれば,非常に高潔な原則に従っていました。国歌を歌ったり国旗に敬礼したりはしませんが,そのような方法で国旗に不敬を示そうとはしなかったのです。この先生は,ふさわしい敬意を示したのはテラだと言いました。敬意のこもったテラの行状は,エホバとその組織に何とすばらしい誉れをもたらしたのでしょう。

 




◆ バーネット事件

 国旗といえば、アメリカでこんなことがありました。

 1935年、当時エホバの証人の指導的立場にあったJ・F・ラザフォードに子供たちのグループが近づき、国旗に敬礼することはクリスチャンにとってよいことなのかと質問するということがありました。その時、ラザフォードは国旗敬礼に対する否定的な見解を述べ、そのことがエホバの証人の子供たちの間で知られるようになりました。
 やがて、子供たちの中から学校で国旗敬礼を拒否する者が現れるようになりました。特に、マサチューセッツ州リンのカールトン・B・ニコルズ・ジュニアという8歳の少年がアメリカの国旗に敬礼することと愛国的な歌の歌唱に加わることを拒むと、そのことは全米の新聞で報じられました。
 この事件が新聞で報じられるとすぐ、全米のエホバの証人の子供たちが一斉に国旗敬礼を拒否するようになりました。子供たちは律儀です。ニコルズだけを放ってはおけなかったのです。

 この時、ラザフォードはラジオで講演を行い、世間に対してエホバの証人の子供たちの行動に対する理解を求めました。こう述べています。



◇ 1935年10月6日のラジオ放送でのラザーフォードの発言 (「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」より引用)

多くの人にとって,国旗敬礼は単なる形式であり,ほとんど,あるいは全く意味のない行為であるが,そのことを聖書の見地から真剣に考える人々にとっては大きな意味を持つ。
国旗は象徴的に言って,地上の支配権力を表わしている。市民に対し,あるいは市民の子供に対し,何らかの物体もしくは物に対する敬礼や,いわゆる“愛国的な歌”の歌唱を法律によって強制しようとすることは,全く不当であり間違っている。法律は,他者の権利を侵害する歴然たる犯行を防ぐために制定され,施行されているのであり,当人の良心にそむくことを強制する目的で制定されているのではない。まして,その良心がエホバ神の言葉にしたがって導かれている場合はなおさらである。
この少年のように国旗敬礼を拒否し,沈黙したまま立っているのはだれの権利を侵害することでもない。神のおきてが国旗敬礼を非としていることを誠実に信じている人がいるなら,神の言葉に反し,当人の良心に反して国旗敬礼を強いるのは,当人の権利を大いに侵害することである。国家には,法律によってであれ,他のいかなる方法によってであれ,国民の権利を侵害する権利はない。



 そして同年、国旗への敬礼を拒否することはエホバの証人の公式の教理とされました。国旗敬礼を拒否するエホバの証人の信条は、子供たちが大人たちを動かして作ったものです。

 しかし、こういった考えは、当時はとても新鮮なものであり、人々にほとんど理解されませんでした。
 エホバの証人の子供たちはこのことでたいへんな迫害を受けることになりました。事実上、エホバの証人のすべての子供たちが学校でむち打たれ、放校されました。
 1940年、米国が開戦寸前になると、合衆国最高裁判所はマイナーズビル学区対ゴバイティス事件において、公立学校における強制的な国旗敬礼を支持する判決を下しました。この判決はやはり全米で報道され、これが大規模なエホバの証人排斥運動を引き起こすことになります。
 アメリカの職場で国旗敬礼が行われるようになったのは、特にこのエホバの証人排斥運動のころのようです。エホバの証人の社員を会社からつまはじきにするために、毎日国旗敬礼が行われるようにりました。そのため、多くのエホバの証人が失業しました。
 エホバの証人は次から次へと暴徒に襲撃されました。死んだ者もいます。家や車は焼かれ、多くのエホバの証人が路頭に迷いました。そのような襲撃が少なくとも2,500件記録されています。エホバの証人が逮捕された件数は1万件を超えます。
 興味深いのは、その暴徒の多くが、エホバの証人と対立するキリスト教派の信徒であったということです。アメリカの諸教会は当時、戦争も国旗崇拝も熱心に支持していましたから、エホバの証人の行動には我慢ならなかったようです。それにキリスト教諸教会は、エホバの証人を異端視する神学上の立場からエホバの証人の職業的反対者たちを支援しています。彼らは、たとえば先に引用したような「エホバの証人は国旗を否定する」という話を広めてエホバの証人を狂信者に仕立て上げ、人々の拒絶反応をあおって諸教会に貢献するものですから、一般人に比して教会関係者からの暴動が起こりやすくなります。



◇ 「エホバの証人の年鑑」 (「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」より引用)

僧職者とアメリカ在郷軍人会は,法を無視して勝手に制裁を加える暴徒を用い,暴力によって言語に絶する大きな被害をもたらしてきた。エホバの証人は暴行を受け,殴打され,誘拐され,町や郡や州から追い出され,タールと羽毛を浴びせられ,無理やりひまし油を飲まされ,縛り合わされて,もの言わぬ獣のように通りで追い回され,去勢されたり不具にされたり,悪霊的な群衆からあざけられたり侮辱されたりし,罪状を言い渡されることなく何百人も投獄され,外界との接触を断たれ,親族や友人や弁護士と相談する権利を否定されている。さらに,投獄され,いわゆる“保護拘置”として留置された人が何百人もいる。夜間に銃撃された人や,縛り首にすると言って脅され,意識を失うまで殴られた人もいる。ありとあらゆる集団暴行が発生している。多くの人は衣服をはぎ取られ,彼らの聖書や他の文書は没収されて公衆の面前で焼かれた。自動車やトレーラーハウスや家や集会場は打ち壊され,火をつけられた。……暴徒の支配下にある地域で裁判が開かれた際,弁護士や証人が出廷中に暴徒に襲われて殴られたことは数知れない。集団暴行が起きても,当局者はたいてい傍観し,保護を差し伸べようとしない。警官が暴徒に加わったり,時には実際に暴徒を率いたりしたことも何十回となくある。



 「タールと羽毛」というのは、1918年のある事件をきっかけに繰り返し行われてきた、エホバの証人を殺害する特別な手法を指しています。服を脱がして体にタールを塗り、そこに鶏やあひるの羽根をかぶせます。そうするとタールと一緒になって羽根が固まりますので、容易には洗い落とせなくなります。苦労してタールを洗い落とした後も、タールによるかぶれはどうしようもなく、時には数ヶ月間苦しみ続けた末に死ぬそうです。



◇ 「アメリカ生まれのキリスト教」, 生駒孝彰

(1918年、米国)政府の取った態度に呼応するかのごとく、各地で、エホバの証人達に対する迫害が起きた。……アーカンソー州ウォルナッツ・リッジでは、すでに刑務所に入れられていた会員のW・G・ダンカンをはじめとする会員達を暴徒が襲い、彼等を刑務所から引きずり出し、頭にタールと鳥の毛をあびせる事件が起きた。ダンカンは、このため数カ月後に死亡した。



 でも、エホバの証人はあきらめませんでした。特に子供たちはそうでした。1943年に、ついに転機が訪れます。

 法律により、最高裁判所で下された判決は決して覆らないものとされています。エホバの証人はあえてそれを覆そうと努力し、とうとう成し遂げてしまいました。
 1943年6月14日、合衆国最高裁判所は、ウェスト・バージニア州教育委員会対バーネット事件において先の最高裁判決を自ら覆し、エホバの証人勝訴の判決を下しました。これは、民主主義の制度を守るために最高裁判所が自らその判決を覆した初めての事例であり、世界の裁判制度に大きな変革をもたらすものとなりました。



○ バーネット事件判決の特徴

国旗敬礼を拒否する権利を認める初の合衆国最高裁判決

合衆国最高裁判決を合衆国最高裁が覆す初の判決



◇ 合衆国最高裁判決文, ウェスト・バージニア州教育委員会対バーネット事件 (「エホバの証人―神の王国をふれ告げる人々」より引用)

高官であろうが下級官吏であろうが,役人が政治,国家主義,宗教および他の見解上の問題において何が正統的であるかを規定したり,その点において信仰を言葉や行動で告白するよう市民に強制したりすることはできない。



 現在でも、国旗敬礼を拒否する信仰の戦いにおいて戦線を守るのはエホバの証人の子供たちです。今日の日本でも、多くの子供たちが、エホバの証人の子供であり国旗崇拝を拒否するという理由でいろいろとつらい経験をさせられています。