新世界訳
エホバの証人の聖書

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イザヤ 38:11

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしは言った、「わたしは生ける者の地でヤハを ― ヤハを見ることはないであろう。わたしはもはや人間を見ることはないであろう ― 停止[の地]の住民と共に。」

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしは思った。命ある者の地にいて主を見ることもなくなり 消えゆく者の国に住む者に加えられ もう人を見ることもない、と。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
わたしは言った、わたしは生ける者の地で、主を見ることなく、におる人々のうちに、再び人を見ることがない。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
私は言った。私は主を見ない。生ける者の地で主を見ない。死人の国の住人とともに、再び人を見ることがない。



 ここで用いられているヘブライ語は“ヘデル”です。この語は聖書の中に一度しか出てこず、その正確な意味は知られていません。



○ 聖書ヘブライ語の読解の問題

聖書ヘブライ語の正確な知識は存在しない
現代ヘブライ語は参考にできない



 聖書ヘブライ語には分からないところが多くあります。学者たちはいろいろな解析手法を用いてその意味を解読してきましたが、この語の場合のような、聖書中に一度しかでてこない単語については解読が難しいようです。
 このような単語はたくさんあります。動物名や植物名や病名などにもこの問題は多くありますが、翻訳の際にはどうしても訳語を決定しなければならないので、翻訳者は苦労することになります。
 現代ヘブライ語が聖書ヘブライ語の解読の助けにならないのはなぜでしょうか。ヘブライ語が一度失われた言語だからです。過去に、ユダヤ人自身もヘブライ語を用いないという時代があり、この時点でヘブライ語についての知識の大半は失われてしまいました。現在ユダヤ人が用いているヘブライ語は、失われたヘブライ語を再興しようと願った人たちが聖書などを参考にしつつ新規に構築したものですので、聖書ヘブライ語を理解するという課題に関する限りは全く役に立ちません。むしろ害になり得ます。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『世、世界』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 ヘデル(ヘ語)はイザヤ 38章11節にだけ出て来ますが,ジェームズ王欽定訳では「世界の住民」という表現の中で「世界」と訳されています。「注釈者の聖書辞典」(G・バトリク編,1962年,第4巻,874ページ)は「停止(の世)の住民」という訳語を提唱する一方で,ヘデルの代わりにヘレドとなっている幾つかのヘブライ語写本の読み方にほとんどの学者が賛同していることを指摘しています。新世界訳は「停止[の地]の住民」と読んでいます。



 この語の基本的な意味合いは「停止」もしくは「休止」であるようです。新世界訳参照資料付き聖書はその意味をそのまま訳語にしています。新改訳聖書は、文脈を見る限りこの語は「生ける者の地」の反対語であると考えるのが自然だという考えを採用しています。口語訳聖書はこれを“ヘレド”に読み替えています。新共同訳聖書の訳は新改訳聖書と同じと見なせそうですが、少し異なる意味合いを主張しているのかもしれません。この聖句は死にかかった時のヒゼキアの言葉ですので、この訳文から人が死んでいく様子をイメージできそうです。






 新世代の聖書では、この聖句はこのようになっています。



イザヤ 38:11

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私は言った。「私はヤハを,地上でヤハを見ることはない。何もかもが絶える場所の住民と共になる時,もう人を目にすることはなくなる。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
私は言った。わたしは主を見ることはない。主を生ける者の地で。この世に住む者と共に もはや人を見かけることもない。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
私は言った。私は主を、生ける者の地で主を見ることはない。私は、死人の国の住人とともにあり、再び人を見ることもない。

◇ リビングバイブル [改訂新版] ◇ (ファンダメンタル)
もう二度と、生きている人の国で主を見ることはないだろう。この世で友人の顔を見ることもない。