新世界訳
エホバの証人の聖書

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マタイ 5:5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちはを受け継ぐからです。

◇ 共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
耐え忍ぶ人々は、幸いだ。神がその人たちに約束の領地をくださるから。



 ここは新世界訳聖書の翻訳が字義訳です。共同訳聖書は大胆な意訳を採用していますが、「約束の領地」という訳語がすこし気になるところです。ここでイエスが語った「地を受け継ぐ」とはどういう意味なのでしょうか。これを考えてみましょう。

 イエスのこの言葉は詩編 37:11,29からの引用です。この聖句を文脈を含めて見てみましょう。



詩編 37:9-11,18,22,29,34

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが,エホバを待ち望む者たちは,を所有する者となるからである。そして,ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない。しかし柔和な者たちはを所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。
エホバはとがのない者たちの日々を知っておられ,彼らの相続物は定めのない時までも保つ。
その祝福を受ける者たちはを所有するが,[神]に災いを呼び求められる者たちは断ち滅ぼされるからである。
義なる者たちはを所有し,そこに永久に住むであろう。
エホバを待ち望み,その道を守れ。そうすれば,[神]はあなたを高めてを所有させてくださる。邪悪な者たちが断ち滅ぼされるとき,あなたは[それを]見るであろう。



 ここで気になるのは口語訳聖書の訳文です。



詩編 37:9-11,18,22,29,34

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者はを継ぐからである。悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。しかし柔和な者はを継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。
主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。
主に祝福された者はを継ぎ、主にのろわれた者は断ち滅ぼされる。
正しい者はを継ぎ、とこしえにその中に住むことができる。
主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、を継がせられる。あなたは悪しき者の 断ち滅ぼされるのを見るであろう。



 口語訳聖書では「地」が「国」と訳されています。この詩を歌ったのはイスラエルの王であるダビデですから、この「地」がイスラエル王国の領地を指している可能性が考えられます。その地は、神がイスラエル国民に神が与えると約束した「約束の領地」でもあります。ですから、口語訳聖書の「国」また共同訳聖書の「約束の領地」という訳語はどちらもイスラエルの領土を指しています。

 しかしここで、この詩には本来の読みとメシア預言の読みとがあることを考慮しなければなりません。
 聖書のメシア預言は予型論という形式を取っており、読み替えのルールがあります。



○ メシア預言における予型論

「約束の領地」は「神の王国」の雛形である



 詩編 37編のダビデの詩歌をイエスが引用したことは、それがメシア預言の歌であることを示しています。ですからダビデがこの歌を歌った時点で「地」の意味するところがイスラエルであったとしても、予型論におけるその実体は天にある神の王国であるということになります。



◇ 「ものみの塔」誌1986年1月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

詩編 37編29節が,「正しき者は土地を受け継ぎ,その中にすまいてとこしえに及ばん」と訳されていることからすると,この聖句はイスラエルが“約束の地”に恒久的に住まうことだけに言及しているのでしょうか。いいえ,そのように解釈するなら,霊感によるこの約束に根拠のない制約を加えることになります。
詩編 37編11節と29節は,イスラエル人が“約束の地”の恒久的な住民になり得たこと,またなっているべきであったことを示唆していると言えるかもしれません。
しかし,詩編 37編11節と29節にあるエレツを,イスラエル人に与えられた土地だけに限定すべき聖書的な理由は一つもありません。
確かに,詩編 37編11節の約束を引き合いに出していたイエスは,単に“約束の地”だけについて語っておられたのではありません。



 そうすると、共同訳聖書の「約束の領地」という訳語はどうでしょうか。これは予型論における雛形が何であるかを示す点で優れた訳語であると言えますが、一方で、その実体を不明瞭にする訳語であるとも言えます。共同訳聖書のように意訳を採用した場合、ここでは「神の王国」という訳語を充てる選択肢もあります。そうしたほうが多くの読者にとってわかりやすかったかもしれません。

 しかし、ここでさらに考慮しなければならない点が二つほどあるようです。
 ひとつは、ダビデが詩編で歌った「地」がイスラエル領土を指していない可能性です。もうひとつは、予型論における「地」の実体が「神の王国」の全体ではなく部分である可能性です。
 どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。
 聖書は「地」という表現を「約束の地」というような限定的な意味で用いることがありますが、それは「地」という語の例外的な用法です。そして、詩編 37編における「地」の表現には、それを「約束の地」であると断定する文脈的な裏づけがありません。そうすると、ダビデがここで一般的な用法における「地」つまり世界(もしくは人類)について述べていた可能性を考えなければなりません。
 また、メシア預言の実体である「神の王国」は「新しい天と地」とも形容され、「天」は神の支配を、「地」は支配を受ける人類を指します。そうすると、予型論における「地」が神の王国全体ではなく部分である「新しい地」を示している可能性を考えなければなりません。
 リビングバイブルはこの考えを支持しているようです。



マタイ 5:5

◇ リビングバイブル ◇ (ファンダメンタル)
柔和で高ぶらない人は幸福です。 全世界はそういう人のものになるからです。



 現代英語訳/今日の英語訳(TEV)は中立的な訳文を採用していますが、これに対してエホバの証人は批判的です。



マタイ 5:5

◇ 現代英語訳/今日の英語訳(TEV) ◇ (プロテスタント)
"Happy are those who are humble; they will receive what God has promised!



◇ 「ものみの塔」誌1997年10月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

翻訳者たち―あるいは,その訳を批評する神学者たち―はまた,善人はみな天へ行くという自分たちの信条を支持しようとして,地に対する神の目的について聖書の述べている事柄を隠そうと努める場合があります。詩編 37編11節は幾つかの訳では,謙遜な者たちが「土地」を所有するとなっています。ヘブライ語本文に用いられている語(エレツ)は,「土地」と訳すことができます。しかし,「今日の英語訳」(他の多くの言語への翻訳の基礎となってきた)は,行きすぎています。この訳は,ギリシャ語のゲーという語をマタイ福音書の中で17回は「地」と訳していますが,マタイ 5章5節では「地」を「神が約束されたもの」という句に置き換えているのです。教会員は当然,天のことを考えます。彼らは,山上の垂訓の中でイエス・キリストが,温和な気質の,柔和な,もしくは謙遜な者たちは「地を受け継ぐ」と言われたことを正しく知らされていません。



 現代のキリスト教では聖書に記されている千年王国の教えを無視したり否定したりすることが主流となっています。特に王国の地上部分についての教えが否定される傾向が見られます。



○ 終末論および千年王国論における地上での出来事

終わりの日の到来
ハルマゲドンの到来
キリストによる千年王国の支配
「新しい地」の完成



 現代キリスト教において千年王国の教えが否定されるのはなぜでしょうか。
 それは、一言で簡単に言うなら、ハルマゲドンが来なかったからです。



マタイ 6:10

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
御国が来ますように。御心が行われますように、 天におけるように地の上にも



 今のキリスト教で言うところの「天国」は、もともとは「行く」ところではなく「来る」ものであると考えられていました。そこでキリスト教徒たちはハルマゲドンが来るのを待っていましたが、いつまでたってもハルマゲドンは来ませんでした。こうして100年,200年と経過するとキリスト教は立場が苦しくなり、神の王国が来ないことに対する言い訳を述べる必要に迫られるようになりました。こうしてキリスト教は、成立後数世紀のうちに、地上に関することを抜きにして救いを説く宗教へと変貌を遂げていくこととなります。

 千年王国の教えでは、神の王国は天にある部分と地にある部分とに分けられますので、マタイ 5:5において訳文から「地」という意味合いをなくしてしまうことは、現代の神学にとっては良いものであっても、本来の神学にとっては問題であるようです。

 




◆ ハルマゲドンと至福の教え

 マタイ 5:5のイエスの言葉を正しく理解するには、ハルマゲドンの概念をよく理解していることが必要であるようです。
 イエスはここで幸福に関する教えを説いており、それは「至福」、「天福」、「八福」などと呼ばれています。それがなぜハルマゲドンと関係しているのでしょうか。ではここでもう一度、マタイ 5:5の引用元である詩編の聖句を見てみましょう。



詩編 37:9-11,22,29,34

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが,エホバを待ち望む者たちは,地を所有する者となるからである。そして,ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない。しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。
その祝福を受ける者たちは地を所有するが,[神]に災いを呼び求められる者たちは断ち滅ぼされるからである。
義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう。
エホバを待ち望み,その道を守れ。そうすれば,[神]はあなたを高めて地を所有させてくださる。邪悪な者たちが断ち滅ぼされるとき,あなたは[それを]見るであろう。



 引用元となった聖句では、救いに関することより先に裁きに関することが述べられ、救いが裁きと同時に、そして裁きの結果として生じるという概念が示されています。
 イエスがこれを引用したのは、その概念を神の王国の概念と結びつけようとしてのことでした。このイエスの言葉は、やがてハルマゲドンの教えへとなって結実することになります。



ヨハネ第一 2:17

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります。



マタイ 24:21-22

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです。



 関連している聖句をよく調べるとき、イエスの至福の教えには全く至福とは呼べない側面があることに気づかされます。この至福が訪れる時、人類は神の王国によるハルマゲドンの裁きを受け、ほとんどが死にます。とはいえ、イエスはその滅びについては一言も触れず、ただ「温和な気質の人たちは地を受け継ぐ」とだけ述べました。

 現在のキリスト教諸教会はハルマゲドンの教えを拒絶するようになっています。ハルマゲドンの教えを守る教派を異端視して否定するといったことも多々見られます。
 なぜこのような現象が見られているのでしょうか。すでに述べた、ハルマゲドンが来なかった話はその理由のひとつです。それに加えていくつかの理由が挙げられるでしょう。ハルマゲドンの教えがあまりにも残酷であるため、これを自分たちにとって不都合なものと見なすキリスト教会は少なくありません。ハルマゲドンの教えについてはっきりとしたことを言うエホバの証人は外部の人から「あなたたちはわたしたちの救いを説いているのか滅びを説いているのかどちらなんだ」と問いつめられたりすることがありますが、現代キリスト教会のほとんどは、世からのこのような反応を自らに招きたくはありません。また、教会信徒となる人のほとんどは単純に救いを求めており、幸福な気分になることを追求する現代教会の風潮をよしとしていますので、裁きに関する聖書の教えに耐えられない精神状態にあるようです。結果的に、ハルマゲドンの教えを肯定する教会は衰え、否定する教会は栄えることとなります。



テモテ第二 4:3-4

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
人々が健全な教えに堪えられなくなり,自分たちの欲望にしたがって,耳をくすぐるような話をしてもらうため,自分たちのために教え手を寄せ集める時期が来るからです。彼らは耳を真理から背け,一方では作り話にそれて行くでしょう。



○ 現代キリスト教におけるハルマゲドンの教えからの逃避

「神は愛ある方なのでハルマゲドンのような残酷なことはされない」
「神は善良な者だけでなく邪悪な者も救ってくださるに違いない」

「ハルマゲドンは精神異常者の教理である」
「ハルマゲドンの教えは危険なので避けなければならない」



 これがひどくなるとどうなるでしょうか。たとえば、「神はやさしい方だからハルマゲドンのような残酷なことを教えるはずがない」などということを真顔で言う教会信徒がいますが、これでは聖書に何が書いてあるかという基本的なことを否定していることになります。また、聖書の記述が頭の中で童話と化している信徒の場合、その人はノアの箱船やモーセのエジプト脱出のような話をとても喜びますが、それなのにハルマゲドンの教えは激しく拒絶したりして、その矛盾に気づいていないという状態も観察されます。

 さて、そのような風潮が主流となっている現代キリスト教会の信徒たちにとって、イエスのこの言葉はどうでしょうか。
 イエスのこの言葉は、ハルマゲドンの教えから逃避している信徒たちを幸福な気分にする点で見事な働きをしています。彼らはイエスのこの言葉を読んで感激し、イエスに感謝するようになりますが、その意味を正しく理解しているわけではないようです。



テサロニケ第一 5:3,6,9

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
人々が,「平和だ,安全だ」と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません。
ですからわたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう。
神はわたしたちを,憤りにではなく,わたしたちの主イエス・キリストを通して救いを得られるように定めてくださったからです。



○ 「目ざめよ!」誌

ものみの塔聖書冊子協会の発行する「目ざめよ!」誌の名称はこのような聖書の教えがモチーフになっています。



 聖書は、ハルマゲドンが来る時には自分がハルマゲドンで救われるのか滅ぼされるのか全く分かっていないという人がたくさんいて命を失うことになるだろうということを教えています。しかし、イエスはそのような話をダイレクトには語りませんでした。イエスはこういった教えを繰り返し説いていますが、そういった記述を調べると、その都度、死という要素について直接的な言い方を回避している様子がうかがえます。



マタイ 13:10-16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そこで弟子たちが寄って来て,彼に言った,「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」。[イエス]は答えて言われた,「あなた方は,天の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人々は聞き入れられていません。だれでも持っている人,その人はさらに与えられて満ちあふれるほどにされます。しかし,だれでも持っていない人,その人は持っているものさえ取り去られるのです。わたしが例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち,彼らは見ていてもむだに見,聞いていてもむだに聞き,その意味を悟ることもないからです。イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べています。『あなた方は聞くには聞くが,決してその意味を悟らず,見るには見るが,決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。これは,彼らが自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の心でその意味を悟って立ち返り,わたしが彼らをいやす,ということが決してないためである』。「しかし,あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです。



 するとどうでしょうか。この世界にはキリスト教徒が20億人いると言われますが、聖書をふさわしく読んで神の裁きを正しく理解するのでなければ、彼らの救いは危ういのかもしれません。

 そのようなわけで、マタイ 5:5のイエスの言葉を正しく理解するには、ハルマゲドンの概念をよく理解していることが必要であるようです。



○ 課題

死についての明言を避ける姿勢は、福音書だけでなく新約聖書全体においても支配的です。
次の3つの聖句を読んでください。マタイ 23:15, コリント第一 3:12-15, テモテ第一 4:16。まず、これらの聖句が共に二つの立場について論じていることを理解してください。それぞれについて、死という要素がどのように扱われているか、また、このことから、確実に救われるために人はどの立場を取らなければならないということが理解できたか、説明してください。その後、ヘブライ 5:12を読み、その表現には含まれていない隠された意味を説明してみましょう。