新世界訳
エホバの証人の聖書

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マルコ 2:26

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
すなわち,祭司長アビヤタルに関する記述の中で,彼が神の家の中に入って供え物のパンを食べたことを。それは,祭司たちのほかはだれも食べることを許されないものですが,彼はそれを自分と共にいた者たちにも与えたのです」。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」



 これについては、「聖書に対する洞察」がこう述べています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『アビヤタル』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 マルコ 2章26節で,大抵の翻訳は,「アビヤタルが大祭司だったとき」にダビデが神の家に入って供えのパンを食べたと,イエスが言われたとしています。その出来事が起きたのは,アビヤタルの父アヒメレクが大祭司だった時ですから,そのような訳し方は歴史的に見て誤っていることになります。注目に値することですが,幾つかの初期の写本では上記の句が省かれています。また,その句はこれに対応する箇所であるマタイ 12章4節とルカ 6章4節にはありません。しかし,それと似たギリシャ語の構文がマルコ 12章26節とルカ 20章37節に出ており,多くの翻訳はそれらの箇所で,「に関する箇所で」という句を用いています。(改標,聖ア,エルサレム)ですから,新世界訳がマルコ 2章26節の一部を,「祭司長アビヤタルに関する記述の中で,彼が神の家の中に入って」と訳しているのは当を得た訳し方であると思われます。アビヤタルの最初の目覚ましい行為に関する記述は,ダビデが神の家に入って供えのパンを食べたことに関する記録のすぐ後から始まっており,またアビヤタルは確かに後日,ダビデの治世中にイスラエルの大祭司になりましたから,その訳し方はこの記録の歴史的な正確さを支持しています。



 イエスの時代はまだ印刷技術がなく、聖書は手書きのものが少数しか流通していませんでしたので、多くの人にとって聖書は記憶しなければならないものでした。また、このころの聖書には今のもののような章節がついてませんでしたから、聖句を引用する際にその位置を述べることが困難でした。そのような場合、前後の文脈が示されることになったでしょう。ですから、「祭司長アビヤタルに関する記述」というような表現は、聖書の記憶の助けとして使われた表現、あるいは、引用の表現だったのかもしれないということが考えられます。

 私たちはしばしば、本来は時間や位置を示す表現を記述上の概念に照らして用いることがあります。マタイ 23:35の例を見てみましょう。これについて「聖書に対する洞察」はこのように解説しています。



マタイ 23:35

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『正典』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 マタイ 23章35節(また,ルカ 11:50,51)の「義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです」というイエスの言葉もまた,非常に意味深いものです。時間の点からすれば,エホアシュの治世の終わり近くにゼカリヤが殺害され,それから2世紀以上たった後のエホヤキムの治世中に預言者ウリヤが殺されました。(エレ 26:20-23)それで,もしイエスが殉教者の名簿全体を引き合いに出したいと考えたのであれば,なぜ,『アベルからウリヤに至るまで』と言われなかったのでしょうか。それは,ゼカリヤに関する事例が歴代第二 24章20,21節に,したがって伝統的なヘブライ語正典の終わり近くに出ていたためだったようです。ですから,このような意味で,イエスの言われた言葉は確かに,最初の書(創世記)に載せられているアベルから,最後の書(歴代誌)の中で引き合いに出されているゼカリヤに至るまで,ヘブライ語聖書で言及されている殺害されたエホバの証人すべてを包含していたのです。これは,例えば,わたしたちが「創世記から啓示の書まで」と言うのに似ています。