新世界訳
エホバの証人の聖書

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マルコ 9:43-48

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「そして,もしあなたの手があなたをつまずかせることがあるなら,それを切り捨てなさい。二つの手をつけてゲヘナに,すなわち消すことのできない火の中に行くよりは,不具の身で命に入るほうが,あなたにとって良いのです。―― また,もしあなたの足があなたをつまずかせるなら,それを切り捨てなさい。二つの足をつけてゲヘナに投げ込まれるよりは,足の不自由なまま命に入るほうが,あなたにとって良いのです。―― また,もしあなたの目があなたをつまずかせるなら,それを捨て去りなさい。あなたにとっては,片目で神の王国に入るほうが,二つの目をつけてゲヘナに投げ込まれるよりは良いのです。そこでは,うじは死なず,火は消されないのです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。



 ここのマルコ 9:44,46の部分は聖書本文に対する後世の挿入であることが判明しています。そのため、新世界訳聖書も新共同訳聖書も共に挿入部分を訳文から排除しています。

 新共同訳聖書で「地獄」と訳されているところが、新世界訳聖書では「ゲヘナ」となっています。この問題に注目してみましょう。

 「ゲヘナ」は、「ヒンノムの谷」という実在する地名のギリシャ名です。かつてゲヘナでは人身供犠が行われていましたが、イエスの時代にはゴミ焼却場となっており、そこは文字通り「うじは死なず、火は消されない」場所でした。



◇「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」, ものみの塔聖書冊子協会

ゲヘナは何を意味するのでしょうか。ヘブライ語聖書の中でのゲヘナは「ヒンノムの谷」です。ヒンノムというのは,エルサレムの城壁のすぐ外にある谷の名前で,イスラエル人が自分たちの子供を火で焼き,犠牲としてささげていた所であることを忘れないようにしましょう。しかし,やがてヨシヤという良い王が出て,この谷をそういう恐ろしいことの行なえない所にしました。(列王第二 23:10)その谷は広いごみため,つまりごみ捨て場に変えられたのです。ですから,イエスが地上におられた時のゲヘナは,エルサレムのごみ捨て場でした。そこでは,ごみを完全に焼くために土硫黄(硫黄)が加えられ,いつも火が燃やされていました。スミス聖書辞典第1巻には次のような説明が載っています。「その谷は市の共同ごみ捨て場となり,罪人の死体や動物の死体,また他のあらゆる汚物がそこに投棄された」。しかし生きているものがそこに投げ込まれることはありませんでした。



列王記第二 23:10

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それに彼は,ヒンノムの子らの谷にあるトフェトを礼拝のために用いられなくした。だれも自分の息子や娘を火の中を通らせてモレクに[ささげる]ことがないようにするためであった。



 すると、「ゲヘナ」という言葉を用いたイエスは何を言おうとしていたのかという神学上の疑問が生じます。多くの人は、イエスはここで地獄の教えを説いたと考えます。つまり、昔ゲヘナで人が人身供犠を行ったように、神が人を生きたまま焼くということをイエスは述べたのだと考えます。新共同訳聖書はその考えを支持する訳文を採用しています。しかしエホバの証人はこの考えに反対します。



◇「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」, ものみの塔聖書冊子協会

イスラエル人が,近くに住んでいたいろいろな民に倣って,自分たちの子供を火で焼くようになったとき,神はそれをどうご覧になったでしょうか。神はみ言葉の中で次のように説明しておられます。「彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである」―エレミヤ 7:31。次のことを考えてみてください。人々を火あぶりにするというような考えが神の心には上ったこともないのに,神が,ご自分に仕えない者たちの行く火の燃える地獄をつくられることなど,道理にかなったことに思えるでしょうか。



◇「聖書に対する洞察」, 『ゲヘナ』の項, ものみの塔聖書冊子協会

一部の注解者は,火の燃える場所というゲヘナのそのような特色をヨシヤの治世以前に行なわれた人身供犠と関連させようと試みており,それを根拠として,ゲヘナは永遠の責め苦の象徴としてイエスにより用いられた,と考えています。しかし,エホバ神はそのような慣行に対する嫌悪を表明して,「わたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである」と述べておられるので(エレ 7:31; 32:35),神のみ子が神の裁きについて論じる際,偶像礼拝を事とするそのような慣行をゲヘナの象徴的な意味の根拠とすることはまずあり得ないと思われます。ヒンノムの谷は生きた犠牲者を責め苦に遭わせるというよりも,大量の死体を処分する場所になると,神が預言的な意味を込めて定められたことも注目できるでしょう。(エレ 7:32,33; 19:2,6,7,10,11)したがって,「死がいと脂灰との低地平原」について述べたエレミヤ 31章40節の言葉は,一般にヒンノムの谷を指すものと解されています。また,「“灰の山の門”」として知られる門は,この谷の東の端の,キデロンの峡谷と落ち合う所に向かって開いていたようです。(ネヘ 3:13,14)そのような「死がい」や「脂灰」が,アハズやマナセの指図のもとにそこで行なわれた人身供犠と無関係であったことは明らかなようです。どんな体にしても,そのようにしてささげられたものは偶像礼拝者からは「神聖な」ものとみなされ,その谷に放置されたりはしなかったはずだからです。
ですから,ゲヘナに関する聖書中の証拠は,ラビの資料や他の資料が示している伝統的な見方と大体一致しています。それは,ヒンノムの谷がエルサレムの都から出る廃棄物の処理場として用いられたという見方です。(フィリップス訳はマタ 5:30でゲエンナを「ごみの山」と訳出しています。)「ゲーヒンノーム」に関して,ユダヤ人の注解者ダーウィード・キムヒ(1160‐1235年?)は,詩編 27編13節に関する注解の中で次のような歴史的情報を与えています。「それはエルサレムに隣接した土地のある場所で,胸の悪くなるような所であり,人々は汚れたものや死がいをそこへ投げ捨てる。そこではまた,汚れたものや死がいの骨を燃やすために絶えず火が燃やされていた。したがって,邪悪な者の裁きは寓話的意味でゲーヒンノームと呼ばれている」。
イエスは明らかに,神からの不利な裁きの結果としてもたらされる,したがって魂としての命への復活の見込みがない全き滅びを表わす言葉としてゲヘナを用いられました。(マタ 10:28; ルカ 12:4,5)邪悪な人々の級である書士やパリサイ人は,「ゲヘナに行くべき者」として糾弾されました。(マタ 23:13‐15,33)そのような滅びを避けるため,イエスの追随者たちは霊的な面で人をつまずかせるものを何であれ取り除くべきで,『手足を切り離し』たり,『目をえぐり出し』たりするとは,彼らが罪に関してそのような肢体を死んだものとすることを比喩的に表わしていました。―マタ 18:9; マル 9:43‐47; コロ 3:5。マタ 5:27‐30と比較。
イエスはまた,ゲヘナのことを,「うじは死なず,火は消されない」場所として描写した際,イザヤ 66章24節にそれとなく言及しておられたようです。(マル 9:47,48)この場合の象徴的な描写が,責め苦ではなく,むしろ完全な滅びを表わしていることは,イザヤの聖句が,生きている人ではなく,神に対して「違犯をおかしていた者たちの死がい」のことを論じているという事実から明らかです。入手できる証拠によって示されているとおり,ヒンノムの谷がごみや死がいの処理場であったとすれば,恐らく硫黄を加えることによって勢いを強められた火が(イザ 30:33と比較),そのようなごみくずを除去する唯一の手段であったことでしょう。火の手が及ばないところでは,虫すなわちうじがわいて,火で焼かれなかったものを何でも食べ尽くしたことでしょう。このような根拠からすれば,イエスの言葉は,神の不利な裁きの破壊的な影響は完全な滅びが遂げられるまでは終わらない,という意味になります。



エレミヤ 7:32-33

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「『それゆえ,見よ,日がやって来る』と,エホバはお告げになる,『そのときには,もはやトフェトまたはヒンノムの子の谷とではなく,殺しの谷と呼ばれるであろう。人々はトフェトに十分の場所がないまま葬らなければならなくなる。そして,この民の死体は必ず天の飛ぶ生き物や地の獣の食物となり,[それらを]おののかせる者はだれもいない。

イザヤ 66:24

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「そして,彼らは実際に出て行き,わたしに対して違犯をおかしていた者たちの死がいを見つめるであろう。それらについた虫は死なず,その火は消されず,それらはすべての肉なる者にとって必ず嫌悪の情を起こさせるものとなるからである」。



 「ゲヘナ」の概念はイエスの時代よりずっと前に確立されていて、イエスはそれを寓話的に用いたにすぎないようです。しかし、後代のキリスト教は旧約聖書の研究を怠ったためにこのような事情を失念するに至り、やがてこれを「地獄」と読むようになったようです。



○ ゲヘナについてのファンダメンタルな主張

『ゲヘナとは地獄のことである。』

○ エホバの証人の反論

『ゲヘナは地獄ではない。』



 補足的な点ですが、啓示(黙示録) 20:14はこのゲヘナについて述べているようです。



啓示(黙示録) 20:14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。



 ゲヘナが地獄を指しているのであれば、そこに「死」が投げ込まれるというのはおかしいでしょう。
 ですから、「ゲヘナ」を「地獄」と理解してしまったことは、知識の不足がもたらしたキリスト教の歴史的ミスであり、再考が必要であるようです。

 新共同訳聖書が「ゲヘナ」を「地獄」と訳出したのに対し、新世界訳聖書はこの語についての神学的論争をふまえて中立的な立場を取り、原語をそのまま音訳した「ゲヘナ」を訳語としています。これは慎重な判断であると評価できるでしょう。



○ 新世界訳聖書の特徴

複数の読み方がある語句には中立的な訳語を充てる