新世界訳
エホバの証人の聖書

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ルカ 2:30

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしの目はあなたの救いの手だてを見たからです。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
私の目があなたの御救いを見たからです。



 エホバの証人統一協会対策香川ネットという反対組織の主宰者である自称宗教研究家正木弥氏が製作した「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」という文書はここの訳文の違いについてこのように述べています。



◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)

 ここでは、ギリシャ語本文の語"σωτηριον"について、王国行間逐語訳も英文新世界訳もともに"means of saving"と訳しています。それを引き継いで、和文新世界訳でも"救いの手だて"と訳されました。しかし"σωτηριον"には"means"の意味は含まれていません。単に"salvation"か"saving"かです。ここはどのような意図があってつけ加えたのか判りませんが、この訳では、ものみの塔・エホバの証人が誇るようには「正確」でも「忠実」でもありません。



 正木氏は、ここで用いられている単語には「救い」という意味しかないと主張していますが、実際にギリシャ語の辞書を引くと、そうでもないことが分かります。



◇ 「新約聖書ギリシア語辞典」, 玉川直重, “σωτήριος”の項 (表記修正)

(1) 救いの, 救いをもたらす, (2) 救出,



◇ 「増補改訂新約ギリシヤ語辞典」, 岩隈直, “σωτήριος”の項 (表記修正)

守護する, 救う, 救いをもたらす(与える),
[中性形名詞] σωτήριον + τό = 【救いを得る手段(例えば供え物)】……ルカ 2:30 (具体的に「救い主」の意か),



 正木氏はファンダメンタルです。そしてファンダメンタルの論法は本質的に詐欺です。もしファンダメンタルが聖書原典の語義について解説した場合は、必ず辞書や解説書を参照して確認をとるようにしましょう。



◇ 岩隈直訳聖書, ルカ 2:30, 脚注

τό σωτήριον. 形容詞の中性に冠詞をつけて抽象名詞の代用をする. =τήν σωτηρίαν. しかし実際は「救い主」を見たのである。



 “τό σωτήριον”という表現は聖書中に3回出てきます。残り2回を見てみましょう。



ルカ 3:6

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そして肉なる者はみな神の救いの手だてを見るであろう』」。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」

使徒 28:28

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
ですから,次のことを知っておいてください。この,神の救いの手だては諸国民のもとに送り出されたのです。彼らはきっとそれに聴き従います」。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」



 いずれも訳文は同様であるようです。

 この問題は新世界訳聖書と新共同訳聖書とを比べた場合も同様です。新共同訳もこの語を単に「救い」と訳します。どうしてこのような訳文の違いが生じるのでしょうか。
 新改訳聖書や新共同訳聖書などの主要な聖書翻訳は、字義訳聖書の考え方に従って几帳面に訳されています。このような聖書は、『聖書原典の様々な語に特定の訳語を適用する』という機械翻訳のような作業を手作業で行って訳出されています。最近はコンピュータの画面でこの作業を行いますので、訳語の選択はコンピュータが自動処理でやってくれてたいへん便利です。しかしそれだと、例えばこの句のような「救い」という語に中性の冠詞がつくと「救いの手段」という意味になるというような場合に対応が困難だという問題がどうしても生じてしまいます。一方、新世界訳聖書は、字義訳聖書の考えを拡張し、『聖書原典の様々な語をさらに変化形や用法に分けてそれに特定の訳語を適用する』というさらに几帳面なことをやっています。このような方針の違いが訳文の違いを生んでいるようです。