新世界訳
エホバの証人の聖書

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ヨハネ 6:56

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります



 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は、ファンダメンタルな立場から新世界訳聖書の訳文を批判し、このように述べています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

『わたしの内にとどまる』が『わたしと結びついている』に変えられている。
個々の人間の霊とイエスの霊との神秘的な結びつきは、“内に”の表現形式を変えて再構築することによりあやふやにされている。この置き換えは、クリスチャンとイエスのさらなる分離を導くものである。



 新世界訳聖書で「結びついている」と訳されているギリシャ語は εν (エン)です。この語には物理的用法や領域的用法や手段の用法といった用法があるようです。



○ ギリシャ語 εν の用法

物理的用法
領域的用法 (概念的用法)
手段の用法
その他の用法



 εν の物理的用法は物理的な内在を示唆しますので、「内にある」というような訳がよく合います。
 一方、εν の領域的用法では、内在の要素は概念的になります。つまり、物理的に何かが何かの中に含有されているわけではないのにそうであると見なしていることになります。このような場合には「結びついている」というような訳が用いられるのが一般的ですが、概念的には内在の意味があるわけですから物理的用法の訳を用いることもできるようです。
 手段の用法では、「……によって」というような訳が採用されるでしょう。

 ヨハネ 6:56では新世界訳聖書だけが領域的な訳文を採用し、新共同訳聖書や新改訳聖書は物理的な訳文を採用しています。これはどちらかが正しくてどちらかが間違っているということなのでしょうか。そのようなことではないようです。ここでの εν の用法が領域的であることは明らかですから、どの訳文も正しいと言えるでしょう。

 ではいくつかの訳文を見てみましょう。



コリント第二 5:17

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
したがって,キリストと結ばれている人がいれば,その人は新しい創造物です。古い事物は過ぎ去りました。見よ,新しい事物が存在しているのです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



 コリント第二 5:17などいくつかの聖句で新共同訳聖書は新世界訳聖書と同様の訳を採用しています。



エフェソス 2:13

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,かつては遠く離れていたあなた方が,今やキリスト・イエスと結ばれ,キリストの血によって近い者となりました。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。



 エフェソス 2:13などの多くの箇所において新共同訳聖書は中立的な訳「……において」を採用しています。これは、いわゆるキリスト教神秘主義神学の反映であるようです。つまり、キリストと人との領域的関係により人の心の中にキリストが内在するとキリストがその人を動かすようになります。そこにはギリシャ語 εν の3つの用法すべてのニュアンスが含まれているというわけです。
 一方、新改訳聖書はほとんどの場合に物理的な訳を採用しています。
 エフェソス 2:13におけるギリシャ語 εν の手段の用法については訳文の一致が見られています。



コロサイ 1:14

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
この[み子]によって,わたしたちは贖いによる釈放,すなわち罪の許しを得ています。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。



 コロサイ 1:14では新改訳聖書が εν の手段の用法を物理的用法として訳出しています。

 ここで再びヨハネの聖句に戻りましょう。ヨハネ福音書におけるギリシャ語 εν のニュアンスはどのようなものでしょうか。
 ヨハネ福音書はキリストと神あるいは人との関係を表すためにギリシャ語 εν を繰り返し使用しています。そのことからすると、ヨハネ福音書におけるギリシャ語 εν の用法は特徴的で、その意味合いは特殊なのかもしれません。あるいは、ヨハネは単に εν の用法を繰り返しているにすぎないということも考えられます。
 ですから、ヨハネ文書におけるギリシャ語 εν に対して物理的な訳を多用すると、訳文のイメージがヨハネ文書の意図により近くなるのかもしれませんし、あるいは全く逆になるのかもしれません。



○ 課題

ギリシャ語 εν は時に排他的な用法を生みます。ヨハネ第一 4:4を読み、その排他的役割を説明してみましょう。