新世界訳
エホバの証人の聖書

ホーム >> NEW TESTAMENT >> ヨハネ 7:29



ヨハネ 7:29

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしはその方を知っています。わたしはその方の代理者であり,その方がわたしを遣わされたからです」。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」



 ここで問題となるのはギリシャ語 παρα (パラ) の訳出です。

 παρα には「……の傍らから来る」というニュアンスがあるそうです。「……の中から出る」というニュアンスではありません。
 この語を日本語に訳出するときには注意が必要です。もし私がギリシャ語で παρα を用いて「私は母から出ました」と言った場合、その意味は私が母から伝言やらおつかいやらを頼まれたという意味となりますが、これを日本語に直訳すると「私は母から生まれた」という意味に読まれてしまうことでしょう。

 この表現が「イエスは神から生まれた」という意味でないことは、 παρα が「遣わす」という表現と共に用いられていることからも明らかであるようです。

 似たような表現があるヨハネ 1:6を見てみましょう。



ヨハネ 1:6

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
神の代理者として遣わされた人が現われた。その名はヨハネといった。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。



 ヨハネ 1:6では、 παρα の対象となっているのが人間であるヨハネですし、ヨハネ 7:29と同様に「遣わされた」という表現が用いられていますので、その用法が物理的なものではなく領域的(概念的)なものであることを理解することができます。これは παρα の対象がイエスである場合とニュアンスが異なりますが、基本的な概念は同じであるようです。



◇ 「ギリシャ語新約聖書の語法」, スタンリー・E・ポーター (表記修正)

ヨハネ 1:6 : 「神から遣わされて」ここでは動作主の意味はかたわらからの動きの延長である(ルカ 1:45も同様)



 他の翻訳はどうでしょうか。



ヨハネ 7:29

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
わたしは、そのかたを知っている。わたしはそのかたのもとからきた者で、そのかたがわたしをつかわされたのである」。



 新共同訳聖書や口語訳聖書の訳出は適切です。ただ、新世界訳聖書の訳文と比べると、誤読を防止する点で完璧とは言えないのかもしれません。

 ちなみに、「……の中から出る」というニュアンスが必要な場合は εκ (エク) を用います。



ガラテア 1:15

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,母の胎からわたしを分け,その過分のご親切によって[わたしを]召してくださった神が,



 ヨハネ福音書においてギリシャ語の παραεκ を混同することは難しいようです。



εκ について

このことを確認したい方は、ヨハネ 8:42,44, 15:19などにヨハネ福音書における εκ の特徴的用法がありますので調べてみてください。



 新改訳聖書が誤読のある訳文を採用したのはなぜでしょうか。
 ヨハネによる福音書には、ギリシャ語 εν (エン) についての特徴的な用法があります。そのためある人たちは、ヨハネ福音書には神と子との相互内在の概念が示されていると考えます。新改訳聖書はその学説に基づいた訳文を採用しています。



ヨハネ 10:38

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしそれを行なっているのであれば,たとえわたしを信じないとしても,その業を信じなさい。それは,父がわたしと結びついておられ,わたしが父と結びついていることを,あなた方が知るようになり,常に知っているためです」。

◇ 新改訳聖書 ◇ (ファンダメンタル)
しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」



 そのような学説を唱える人たちにとっての大きな問題は、ヨハネ福音書には εν だけでなく παρα の特徴的な用法があるということです。ヨハネ福音書におけるギリシャ語 παρα の用法はその εν の用法を定義するほどに強く、しかもそれは神と子が相互に内在などしていないことを示していますので、この学説を唱える人たちはその問題をなんとかして避けなければなりません。
 これにはとてもいい方法があります。聖書を翻訳する際にギリシャ語 παρα を直訳してしまえばいいのです。そうすれば聖書の読者たちは勝手に誤解して、ヨハネ福音書は神と子の相互内在の概念を説いていると信じ込んでくれるはずです。ですから、新改訳聖書におけるヨハネ 7:29の訳文はファンダメンタルな訳文であると言うことができます。



○ ギリシャ語 παρα についてのファンダメンタルな手法

邦訳聖書においてギリシャ語 παρα を直訳した場合、読者はそこに内在の概念があると考える。



 ファンダメンタルの神学は本質的に虚偽ですので、聖書の読者はこのような訳文に騙されないように気をつけなければなりません。

 この聖句において、新世界訳聖書の翻訳者は、誤読を防ぎなおかつその意味が明瞭になる訳文を求めたようです。その結果として採用されたのが「代理者」という訳語です。ギリシャ語パラに対する訳語としてこの語は適切でしょうか。これは文脈に照らせば適切だと言うことができるでしょう。

 ギリシャ語 παρα がしばしば具体的な立場や役割を示唆することは、フィリピ 4:18から例証することができるようです。このような場合、翻訳者はその示唆を訳語によって補ってよいでしょう。



フィリピ 4:18

◇ 新世界訳聖書 ◇ (エホバの証人)
わたし自身はすべてのものを十分に持ち,満ちあふれるほどに豊かです。わたしは満ち満ちています。あなた方からのものをエパフロデトから受けたからです。それは,芳しい香り,受け入れられる犠牲,神に大いに喜ばれるものです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。



○ 課題

新世界訳聖書はギリシャ語パラの誤読の修正に努めていますが完璧ではありません。
ヨハネ 6:46の訳文を考えてみましょう。ここをどのように読むことは間違いであるか説明してください。

 




 エホバの証人統一協会対策香川ネットという反対組織の主宰者である自称宗教研究家正木弥氏が製作した「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」は、この聖句についてこのように批評しています。



◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)

本文παρは(の側)から(来る、由来する)などと訳されることば、起源、出所を示す語です。RSV聖書では"because from him I am"と訳され、逐語訳では"because beside of him I am"と訳されていますが、新世界訳の"a representative(代理者)"は明らかに違うことばです。置き換えがなされています。そこにはキリストの神性をこぼつ意図が見えます。