新世界訳
エホバの証人の聖書

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ヨハネ 14:14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなた方がわたしの名によって何か求めるなら,わたしはそれを行ないます。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。



 新改訳聖書にある「わたしに」という語が新世界訳聖書には欠けています。これはどうしてなのでしょうか。

 答えは新世界訳聖書の脚注から得ることができます。



◇ 参照資料付き新世界訳聖書, ヨハネ 14:14, 脚注

「求める」,アレ写,ベザ写,古ラ訳,および15:16や16:23と一致させて; パピ写66,シナ写,バチ写,ワシ写,ウル訳,シリ訳ヘ,ペ,「わたしに求める」。



 この聖句には、「わたしに」という語がある写本とない写本とがあるようです。翻訳者はどちらの写本が正しいのかということを考えなければなりません。
 新世界訳聖書は、文脈となるヨハネ 15:16, 16:23を考慮しました。



ヨハネ 15:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなた方がわたしを選んだのではありません。わたしがあなた方を選び,あなた方が進んで行って実を結びつづけ,しかもその実が残るようにと,わたしがあなた方を任命したのです。それは,あなた方がわたしの名によって父に何を求めても,[父]がそれをあなた方に与えてくださるためです。

ヨハネ 16:23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
またその日には,あなた方はわたしに何の質問もしないでしょう。きわめて真実にあなた方に言いますが,あなた方が父に何か求めるなら,[父]はそれをわたしの名によって与えてくださるのです。



 これらの聖句では、弟子たちが求めるべき相手はイエスの「父」であるエホバだということになっています。そうすると、新世界訳聖書の訳のほうが文脈と調和しているということになります。

 しかし、異なる見解を採ることもできそうです。脚注に指摘されているように、写本のほうを確認すると、シナイ写本やバチカン写本といった有力な写本には「わたしに」という語がみつかります。そうすると、これはヨハネ 12:44の場合と同じ極端な表現法であるということが考えられるようです。
 ヨハネ12:44では、神とイエスとを同一視する概念が極端になった結果、神とイエスとが入れ替わっていました。

 続いて新共同訳聖書に注目してみましょう。



ヨハネ 14:14

◇ 新共同訳聖書 [初版 1987年] ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

◇ 新共同訳聖書 [現在の版] ◇ (カトリックとプロテスタント)
わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」



 新共同訳聖書の初版は新世界訳聖書と同じですが、現在の版は新改訳聖書と同じです。このあたりの判断は難しいということのようです。






 岩村義男氏は「神のみ名は「エホバ」か」の本の中でこの聖句の問題を指摘しています。



◇ 「神のみ名は「エホバ」か」, 岩村義男, いのちのことば社

 『新世界訳』は、ここでも大きな誤訳をしています。「言葉から何かを取り去る者がいれば」(啓示 22:19)の警告を忘れたのでしょうか。「わたしに」を取り去っているのです。ここでは、クリスチャンが祈る対象はエホバではなく、イエスであると言われているのです。



啓示(黙示録) 22:19

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。



 この本の中で岩村氏は、「イエスはだれに祈られたか」というテーマを掲げています。どうやら岩村氏は、ファンダメンタルな思考法にしたがって「イエスはエホバに祈らなかったし、自分の弟子たちにもそういうことは教えなかった」という趣旨の主張をしているようです。

 彼はヨハネ 16:26を巧みな仕方で引用します。



ヨハネ 16:26

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
その日,あなた方はわたしの名によって求めるでしょう。そしてわたしは,あなた方に関して父にお願いするとは言いません。



 この記述を杓子定規に読むと、イエスはその父であるエホバに祈ることをしなかったということになります。

 この記述の意味を正しく理解するため、文脈も含めて見てみましょう。



ヨハネ 16:26-27

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
その日,あなた方はわたしの名によって求めるでしょう。そしてわたしは,あなた方に関して父にお願いするとは言いません。父ご自身があなた方に愛情を持っておられるからです。それは,あなた方がわたしに愛情を持ち,わたしが父の代理者として来たことを信じているからです。



 イエスは、祈りが重複することの無駄について語っているようです。弟子たちが神に祈ったあとイエスが追加で同じことを祈ることはしない、ということです。
 「求める」のところで誰に対して祈るかが明示されていませんが、内容をよく考えると、祈りの対象がエホバである場合について述べていることが分かります。
 それでもやはり、記述を杓子定規に読むと、イエスはその父であるエホバに祈ることをしなかったということになります。