新世界訳
エホバの証人の聖書

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ヨハネ 17:21

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついていて,あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるためです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。



 ここではギリシャ語“エン”の訳し方に違いが見られています。

 ギリシャ語“エン”の基本的な意味は「……の中に」です。それは内在を意味しています。しかし、この語の用法には物理的な用法だけでなく非物理の用法もあります。非物理的な“エン”は実際の内在ではなく概念的な内在があることを示唆します。この聖句の“エン”は非物理的ですので、新世界訳聖書のような「結びつく」という訳し方が自然のようです。

 とはいえ、この聖句の場合、ギリシャ語“エン”が「一つになる」という言い回しと一緒に用いられていることが気にかかります。“エン”で示されている状態によって「一つになる」ということが実現するのであれば、この場合の“エン”は物理的な意味合いで用いられているということにならないでしょうか。もしそうなら、新世界訳聖書の訳し方は不適切で、新共同訳聖書のような「内にいる」という訳し方が正しいということになるでしょう。

 この句では、「一つになる」という表現の意味がどういうものであるかが、“エン”の意味に影響を与えるようです。
 この点については、新世界訳参照資料付き聖書の脚注がこのように指摘しています。



◇ 新世界訳参照資料付き聖書, ヨハネ 17:21, 脚注

または,「一致し」。字義,「一つ(のもの)」。ギ語,ヘン,中性形。協調関係において一つであることを示す。10:30の脚注参照。

◇ 新世界訳参照資料付き聖書, ヨハネ 10:30, 脚注

または,「一致しています」。字義,「一つ(のもの)」。ギ語,ヘン,中性形。協調関係において一つであることを示す。17:21およびコリ一 3:8の脚注参照。

◇ 新世界訳参照資料付き聖書, コリント第一 3:8, 脚注

字義,「一つ(のもの)」。ギ語,ヘン,中性形。協調関係において一つであることを示す。ヨハ 10:30の脚注参照。



コリント第一 3:6-8

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神が[それを]ずっと成長させてくださったのです。ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。さて,植える者と水を注ぐ者とは一つですが,各々はその労苦に応じて報いを受けます。



 コリント第一 3:6-8によって例証されるように、「一つになる」という表現に物理的な意味合いはないようです。
 ギリシャ語“ヘン”によって示される「一つ」の概念は、ギリシャ語“エン”の非物理の用法によく合います。ここは新世界訳聖書の訳し方のほうが優れているようです。

 さてここで、イエスがこの「一つになる」という表現をどのように用いているかを確認しましょう。



ヨハネ 10:30

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしと父とは一つです」。

ヨハネ 17:11

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「そしてまた,わたしはもう世におりませんが,彼らは世におり,わたしはみもとに参ります。聖なる父よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように,彼らも一つとなるためです。

ヨハネ 17:21-23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついていて,あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるためです。またわたしは,わたしに与えてくださった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためです。わたしは彼らと結びついており,あなたはわたしと結びついておられます。それは,彼らが完全にされて一つになり,あなたがわたしを遣わされたこと,そして,わたしを愛してくださったと同じように彼らを愛されたことを世が知るためです。



 これらの聖句を見て気になるのは、翻訳された聖書を見る限り、イエスは物理的な一致を述べているように見えるということです。しかし聖書原典のギリシャ語はそのような意味を持っていないようですので、勘違いがないようにしたいものです。

 ヨハネ 10:30は三位一体論者によって頻繁に用いられる聖句です。三位一体論では、神とイエスは一体であり、よってイエスは神ご自身である、と説明されます。ヨハネ 10:30の表現は三位一体の論理と見事に調和するように見えますので、これが三位一体論の証明として用いられています。
 一方、エホバの証人たちはこのように反論します。ここで「一つ」と訳されているギリシャ語は「一体」を意味してはいません、それに、もしこの表現を「一体」の意味にとるなら、イエスが続いて弟子たちも「一つ」になることについて述べたところで大問題が生じるじゃないですか、もしかして弟子たちも神になるんですか。

 ヨハネ 17:21やその関連聖句において、翻訳された聖書には、訳語の不適切な選択に伴う大きな混乱が見られるということのようです。

 




 ギリシャ語エンの訳出については、新世界訳聖書がしているようにその用法によって訳語を変えることに強く反対する人たちがいます。それはどうしてでしょうか。
 ギリシャ語エンの持つ意味が広いから、というのが理由です。用法に合わせて訳語を選択すると、たくさんある意味の中から一つを選んだのですから、エンの広い意味が殺されてしまうというわけです。
 このような主張をする人たちはたいていの場合、ギリシャ語エンにはその基本的な意味である、“……の内に”、“……の中に”、“……にいる”というような訳語を充てるべきだと主張します。そのようにすれば、ギリシャ語エンの持つ広い語義を日本語訳においても損なうことなく伝えることができるとそれらの人たちは考えているようです。

 このような主張にはもっともなところがありますが、問題点もあるようです。
 次のような人間関係を考えてみてください。夫婦、親子、友人、教師と生徒、師範と弟子、あるいは人間関係の枠を超えて、国家と国民、企業と社員、宗教と信者。このような関係を持つ人の一人がこのように言ったとします。わたしはあなたの内にあります。あるいはこう言います。彼は私の中にあります。このような表現は日本語としては不自然ですが、聖書のギリシャ語では普通のようです。
 そこで、ギリシャ語エンの語義が広いことについては、二つの異なる考え方があるようです。語義が広いから用法によって異なる訳語を充てるべきだという考えと、語義が広いから用法にかかわらず同じ訳語を充てるべきだという考えです。

 この問題点ということをさらに掘り下げて考えてみましょう。
 ある教師とその生徒が、あなたは私の内にいます、というようなことを語っていて、あなたがそれを聞いたとします。あなたはその人たちのことをどう思うでしょうか。この人たちには何か哲学的あるいは宗教的な特殊な考え方があって、それをこのような表現で言い表しているのではないか、と思うかもしれません。そのうちあなたは、その特殊な考えとは何かを知りたくなるかもしれません。

 聖書研究の世界では、このような現象が実際に生じています。
 聖書は宗教文書ですから、何かの表現に複雑な意味が付されているとしても不思議はありません。その聖書の中に、内にあることについての不可解な表現が多数みられるわけですから、このような表現には何か神秘的な意味があるに違いないと思う人が続出することになります。特に、ここで論じているヨハネ 17:21の場合は「一つ」という表現がエンと共に用いられていますから、そのような印象は強くなります。キリスト教は宗教ですから、いったんこういう状況が生じると収拾がつかなくなったりします。そのうち、聖書に信仰を持つ様々な人がその神秘的な意味を知ろうと努力し、答えを発見し、その答えを公表するようになります。公表された答えのあるものは教会の教えとなり、注解書や聖書辞典といったものに載せられます。やがて、ギリシャ語エンを用いた聖書の表現には神秘主義的な意味合いがあるのだという考え方が普及します。すると今度は、聖書はエンを神秘的な意味合いで用いているのだから翻訳の際にはエンが神秘的であると読めるような訳文を採用すべきである、という主張が生じることになります。ついには、そのような主張に従わない聖書が欠陥のある聖書として糾弾される事態になります。
 ところが、すでに述べたように、ここで用いられている表現はギリシャ語の感覚ではいたって普通の不思議のない表現だったりします。



○ 課題

聖書にはほかにも物理的一致ということを述べているように思える聖句があります。
ガラテア 2:20とエフェソス 3:17を読んで、これらの句をどのように読むのは間違いか説明しましょう。

 




 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は、ファンダメンタルな立場から、新世界訳聖書におけるヨハネ 17:21の訳文についてこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

『あなたがわたしの内におられ』が『あなたがわたしと結びついておられ』にすり替えられている。
原典においてイエスは、自身が父と神性を共有することを示した。この改竄は、この両者の関係をひどく引き裂いて、むしばむものである。



 フリーマインドジャーナルとしては、聖書原典を見るとこの句ではギリシャ語“エン”が用いられていてそれが“神性の共有”を示しているというようなことを考えているようです。そのうえで、新世界訳聖書のような訳し方だとそれが否定されてしまうので問題だと考えているようです。