新世界訳
エホバの証人の聖書

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使徒 11:26

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そして,見つけてから,彼をアンティオキアに連れて来た。こうして,彼らはまる一年のあいだ人々と共に会衆に集まり,相当数の人々を教えることになった。そして,弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは,アンティオキアが最初であった。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。



 新世界訳聖書には、他の翻訳には見られない“神慮によって”という言葉があります。この訳についてエホバの証人の資料はこのように説明しています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『クリスチャン』の項, ものみの塔聖書冊子協会

キリストの追随者たちがクリスチャンとして知られるようになったのは,シリアのアンティオキアが最初でした。イエスの追随者たちに「クリスチャン」(ギリシャ語),もしくは「メシア信奉者」(ヘブライ語)という名を最初に付けたのがユダヤ人であったとはまず考えられません。というのは,ユダヤ人は,イエスをメシアつまりキリストとしては退けておきながら,後でその追随者に「クリスチャン」という刻印を押して,イエスを油そそがれた者つまりキリストとして暗黙のうちに認めるようなことはしなかったはずだからです。中には,異教徒が彼らをからかって,あるいは軽蔑してクリスチャンというあだ名を付けたのかもしれないと言う人もいますが,聖書はそれが神から与えられた名であったことを示しています。彼らは「神慮によってクリスチャンと呼ばれた」のです。―使徒 11:26。
この聖句の中のギリシャ語の動詞クレーマティゾーは大抵,単に「と呼ばれた」と訳されており,ほとんどの翻訳の使徒 11章26節はそのように訳しています。しかし,「クリスチャン」という名称を選ぶ点で神が何らかのかかわりを持たれたことを示す翻訳もあります。この点で注目に値するのは,「新世界訳」,「ヤングの字義訳」,および「簡明な英訳聖書」です。ヤングの訳は,「弟子たちはまた,神意によりアンティオキアで初めてクリスチャンと呼ばれた」となっています。
クリスチャン・ギリシャ語聖書に用いられているギリシャ語のクレーマティゾーという言葉は常に,神託のような超自然的な事柄,または神に関する事柄と結び付けられています。ストロングの「聖書詳細用語索引」はそのギリシャ語辞典(1890年,78ページ)の中でこの語を,「神託を述べる,……すなわち,神意により暗示する」と定義しています。エドワード・ロビンソンの「希英辞典」(1885年,786ページ)は,「神の応答,神託,宣言に関して語られる。応答する。神託として語る。神からの警告を述べる」などの意味を挙げています。セアの「新約聖書希英辞典」(1889年,671ページ)ではこうなっています。「神の命令もしくは訓戒を述べる。天から教える。……神から命じられる,訓戒される,教えられる。……神の啓示の代弁者となる。神の命令を公表する」。この聖句に関して,トマス・スコットは自著「注釈」(1832年,第3巻,419ページ)の中で次のように述べています。「この語はそれが神からの啓示によって行なわれたことを暗に示している。新約聖書中のこの言葉には概してそのような語義があり,ギリシャ語の文中に『神』に相当する語がない場合でも,この語は『神から警告される』,あるいは『神の警告を受ける』などと訳されている」。使徒 11章26節に関してクラークの「注解」はこう述べています。「我々が,と呼ばれたと訳している,我々の共通本文の中のこの語[クレーマティサイ]は,新約聖書中では,神の導きにより任命する,警告する,または指名することを意味する。この語はこのような意味で用いられている,マタ 2:12。……ゆえに,その名称がもし神からの指定により与えられたとすれば,大いに考えられるのはサウロとバルナバがその名称を与えるように導かれたのではないかという点で,それゆえにクリスチャンという名称が神から与えられたものとされていることが考えられる」。―このギリシャ語の動詞が出てくる,マタ 2:12,22; ルカ 2:26; 使徒 10:22; ロマ 7:3,行間; ヘブ 8:5; 11:7; 12:25を参照。



 新世界訳聖書には、聖書の原語に対して単純に訳語を充てるのではなく、辞書や解説書に載せられている詳細な語義や釈義を訳語として採用するという傾向が見られます。その結果しばしば、他の聖書にはない単語が訳文に現れることになります。
 もし新世界訳聖書を読んで他の聖書にない語があるのを見つけたなら、辞書などを参照するとよいでしょう。