エホバの証人の聖書

使徒 20:28

新世界訳聖書(エホバの証人)「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい。[神が]ご自身の[み子]の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため、聖霊があなたがたをその群れの中に監督として任命したのです。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」


 「エホバの証人統一協会対策香川ネット」という団体の「宗教研究家 正木 弥」は、「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」という文書の中で、この聖句についてこう述べています。

『新世界訳(日本語訳)には「[神が]ご自身の[み子]の血をもって買い取られた…」とあります。[神が]の部分は[ ]なしで、「神がご自身の血…」と訳すべきで、[ ]はいりません。問題は[み子]ということばを挿入していることです。ギリシャ語本文にも逐語訳(英文)にも”み子の”を訳出する根拠が全くありません。ところが、新世界訳(英文)のこの文の語尾に突然[Son]がつけ加えられました。新世界訳・日本語はこれを引き継いだわけです。これは、全くのつけ足しです。
血を流されたのは勿論イエス様です。だのに、”神ご自身の血で買い取られた”となると、イエス様=神様、ということになるではありませんか。「イエスは神ではない」という教理をもつものみの塔・エホバの証人にはこれが都合が悪いのです。都合が悪いから聖書を変える、そんなことでいいのでしょうか。』
(一部表記訂正)


 新改訳聖書で、「神ご自身の血」となっているところが、新世界訳聖書では「神ご自身の[み子]の血」となっています。
 そのため、エホバの証人に反対する人たちは、「エホバの証人は聖書を改竄した」と主張しています。
 エホバの証人は聖書を改竄しているのでしょうか。

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」

 新共同訳聖書の内容からすると、どうやらそうでもないようです。


 この聖句の翻訳については、参照資料付き新世界訳聖書の『付録』に説明があります。

『文法的に言えば,この句は,ジェームズ王欽定訳やドウェー訳がしているように,「ご自身の血をもって」と訳すことができるでしょう。これは多くの人にとって難解な句とされてきました。アレ写,エフ写,ベザ写,シリ訳ヘ(欄外)(モファットの訳はこれらに基づいている)が,「神の会衆」とではなく,「主の会衆」と読んでいるのは恐らくそのためです。本文をそのように読むなら,「ご自身の血をもって」という読み方には少しの困難も伴いません。しかし,シナ写,バチ写,ウル訳は「神」(定冠詞を伴う)と読んでおり,ここを普通に訳せば,『神の血』となります。
「血をもって」という句のあとに,tou idou(トゥー イディウー)というギリシャ語が続いており,この句全体は「ご自身の血をもって」とも訳せます。この「ご自身」という語のあとに単数形の名詞が省かれているものと考えられます。それは,恐らく,神と最も近い関係にある,独り子イエス・キリストであると思われます。J・H・モールトンは「新約ギリシャ語文法」(A Grammar of New Testament Greek,第1巻[序文],1930年版,90ページ)の中でこの点にふれ,次のように述べています。「idioV(イディオス)について話を終える前に,明確に示された名詞を伴わないo idioV[ホ イディオス]の用法について述べておかねばならない。これはヨハネ 1:11; 13:1, 使徒 4:23; 24:23に見られる。我々はパピルスに,近い関係にある者に対する愛称語としてこうした単数形の用いられている例を見いだす。……Expos.VI.iii.277ページで,わたしはあえてこのことを取り上げ,使徒 20:28を『ご自身のものである方』と訳したいと思う人々(B・ワイスを含む)への励ましとした」。
ホートも,「ギリシャ語原語による新約聖書」(The New Testament in the Original Greek,ウェストコットおよびホート編,第2巻,ロンドン,1881年,付録,99,100ページ)でこう述べました。「現在あるすべての文献に影響を及ぼすようなごく初期の写しを作るさい,TOUIDIOU[トゥー イディウー,『ご自身の』]のあとのUIOU[ヒュイウー,『み子の』]が脱落したと考えられなくはない。これを挿入すればこの句は少しも難解でなくなる」。
新世界訳聖書はこの句を字義通りに訳出し,idouのあとに角かっこに入れた「み子」を加えて,「ご自身の[み子]の血をもって」と読んでいます。』


 ちなみに、似たような例は創世記 24:65にも見られます。

新世界訳聖書(エホバの証人)「そして僕にこう言った。「野を歩いてわたしたちを迎えに来るあの方はどなたですか」。すると僕は言った,「あの方がわたしの主人です」。それで彼女は頭きんを取って身を覆った。」

 ここにでてくる「僕」は、59節にあるように「アブラハムの僕」です。51節ではアブラハムの息子イサクのことが「(僕の)主人の子息」と呼ばれています。

創世記 24:59/新世界訳聖書(エホバの証人)「そこで彼らは自分たちの姉妹リベカとその乳母,またアブラハムの僕とその一行を送り出すことにした。」

創世記 24:51/新世界訳聖書(エホバの証人)「さあ,リベカはあなたの前にいます。彼女を連れて行って,エホバの語られたとおり,あなたのご主人の子息の妻にならせてください」。」

 しかし、65節ではイサクのことが単に「主人」と呼ばれています。つまり、僕である者から見れば、主人の息子は主人も同様だということです。

 また、サムエル第一 18:18にも注目できます。

新世界訳聖書(エホバの証人)「そこでダビデはサウルに言った,「私は何者なのでしょう。私の親族,私の父の一族もイスラエルでは何者なのでしょう。私が王の婿になるなどとは」。」

 ここは、サウル王が自分の娘をダビデの妻としようと言っているところです。それに対しダビデは、「王の娘の婿になる」と言うべきところを、「王の婿になる」と言っています。文意と合わせて、王の娘と結婚することの重みがみごとに強調されています。
 そのようなわけで、ダビデはこの後「王の婿」と呼ばれていたようです。

サムエル第一 22:14/新世界訳聖書(エホバの証人)「そこでアヒメレクは王に答えて言った,「ですが,あなたのすべての僕の中でだれがダビデのように忠実でしょうか。しかも彼は王の婿で,あなたの護衛の長ですし,あなたの家で敬われているのです。」

 口語訳聖書はここに「娘」を補っています。

サムエル第一 22:14/口語訳聖書(プロテスタント)「アヒメレクは王に答えて言った、「あなたの家来のうち、ダビデのように忠義な者がほかにありますか。彼は王の娘婿であり、近衛兵の長であって、あなたの家で尊ばれる人ではありませんか。」


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