エホバの証人の聖書

ローマ 5:21

新世界訳聖書(エホバの証人)「何のためですか。罪が死を伴って王として支配したのと同じように,過分のご親切もまた,わたしたちの主イエス・キリストを通して来る永遠の命の見込みを伴いつつ,義によって王として支配するためでした。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」


 「エホバの証人統一協会対策香川ネット」という団体の「宗教研究家 正木 弥」は、「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」という文書の中で、この聖句についてこう述べています。

『ここでも、新世界訳(英文)にはギリシャ語本文、逐語訳(英文)にないことばが2箇所も出てきます。"as king"(王として)と"in view"です。いずれも本文の中にその意味を汲み取ることができません。特に後者の結果、新世界訳(日本語文)では「・・・永遠の命の見込みを伴いつつ・・・」と訳されてしまいました。”永遠の命”が見込みに格下げされたのです。原文の中にない意味をもたらすような挿入は、改ざんという外ありません。』(一部表記訂正)


 まず、新世界訳聖書が「王として支配する」と訳しているところを取り上げたいと思います。ここには、「王」を意味するギリシャ語バシレウスの変化形バシレウオーが用いられています。この語を、新約聖書ギリシア語辞典はこう定義しています。

『1.王として治める、支配する。2.王となる。』(表記訂正)

 ですから、新世界訳聖書の訳し方は新改訳聖書よりも正確です。


 続いて、「見込みを伴う」という訳し方ですが、これについては、ギリシャ語 eis と救いの概念にてすでに取り上げている通りです。

 目的と結果の両方の意味を持つギリシャ語エイスが用いられている場合、それが目的の意味なのか、それとも結果の意味なのか、それとも両方の意味なのかが問題となります。さらに、目的にせよ結果にせよ、現在のことなのか将来のことなのかが問題になります。聖書の翻訳者はこういった点を見極めてから訳文を構築していくことになります。
 この聖句の場合は、関連する聖句にローマ 6:22がありますので、見極めは容易です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「しかし、今あなた方は罪から自由にされて神に対する奴隷となったので、神聖さの面で自分の実を得ており、その終わりは永遠の命です。」

 文脈が、「永遠の命」が将来のものであることを示していますので、新世界訳聖書は eis に「見込みを伴う」という訳語を用いています。

 正木氏はこれを「救いの格下げ」と呼んで非難していますが、そんなこと、言うにあたらないと思います。


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