エホバの証人の聖書

ローマ 8:23

新世界訳聖書(エホバの証人)「それだけではありません。初穂としての霊を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らの内でうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることを切に待っているのです。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」


 「フリーマインドジャーナル」1994年6月号に掲載された、「新世界訳聖書における改竄」リストはこう述べています。

『「霊の初穂を持つ」が「初穂としての霊を持つ」に改変されている。この描写は、既出のローマ 2:29で示したような聖霊の人格性を切り離すためのごまかしの手法の一つである。原典は、これが聖霊の派生物であることを示唆している。しかし、この改竄では、聖霊とその派生物とが同じにされてしまっている。』


 言及のローマ 2:29についてはこのサイトでも取り上げていますのでそちらをご覧ください。

 新世界訳聖書がこのような訳し方をしたのは、「霊の初穂」が霊そのものであるということを強調したかったからではないかと思います。それに対し、フリーマインドジャーナルが主張するような、この「霊の初穂」とは霊の派生物であって霊そのものではないという考え方があるようです。ただ、少なくとも私は聞いたことがありません。
 新世界訳聖書の訳し方は、コリント第二 1:22,5:5と調和しています。

コリント第二 1:22
新世界訳聖書(エホバの証人)「[神]はまたわたしたちにご自分の証印を押し,来たるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださったのです。」
新改訳聖書(ファンダメンタル)「神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」

コリント第二 5:5
新世界訳聖書(エホバの証人)「さて,まさにこのことのためにわたしたちを生み出してくださった方は神であり,来たるべきものの印である霊をわたしたちに与えてくださったのです。」
新改訳聖書(ファンダメンタル)「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」

 あるいは、フリーマインドジャーナルは、「霊の初穂」が霊そのものではなく、霊の一部であるという考えを支持しているのかもしれません。これは普通に聞きます。
 これについては、「新約聖書略解」がこう述べています。

『あるいは霊の賜物としてその一部を持っているという意味か。』

 霊の一部という概念については、エホバの証人もそれを支持していますので、使徒 2:17を参照してください。

 いつものことですが、フリーマインドジャーナルの、人格性についての主張はまるで見当違いだと思います。フリーマインドジャーナルが何を言いたいのかいまいちよく分かりませんので、私としても深追いは避けたいと思うところです。


 さらに、フリーマインドジャーナルはこう述べています。

『「私たちのからだが贖われる」が「贖いによって自分の体から解き放される」にすり替えられている。この改竄によって、体もしくは死後の魂が贖われるという、[原典の]意味合いが消し去られている。エホバの証人は、魂は体が死ぬ時に無存在になると教え、回復されるべき(もしくは回復されるであろう)体の所有権を否定する。』


 ここでは、「体を贖う」という言い回しの解釈が問題になっているというのがフリーマインドジャーナルの主張のようです。
 読みようによっては、パウロは死後に肉の体が救われて肉の復活を遂げることを期待していたことになります。しかし文脈を見れば分かるように、パウロは自分が死んで天に行くことについて語っています。
 パウロは死ぬ時、贖いによって、肉の体に代わって霊の体を獲得し、天に行きます。これが、ここで聖書が言うところの「贖い」の意味です。新世界訳聖書は訳文は、フリーマインドジャーナルが唱えるような聖書の極端なまでの字義的解釈による誤読を防止する役割を果たしています。

 聖書には「贖い」に類似する表現がいろいろあり、意味合いも様々です。また、同じ語でも文脈によってかなり違う意味合いを持つことがあります。ここで問題となっているギリシャ語アポリュトローシスもそのような語のようで、新世界訳聖書はこの語の用いられる多くの場所で「贖いによる釈放」という訳語を用いています。


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