新世界訳
エホバの証人の聖書

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ローマ 8:23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それだけではありません。初穂としての霊を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らの内でうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることを切に待っているのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。



 この聖句では、二つの表現の訳し方が問題になるようです。

 最初のほうを見てみましょう。一般的な聖書において「霊の初穂」と訳されることの多い語が、新世界訳聖書では「初穂としての霊」と訳されています。これはどちらにも訳せるようですが、意味は異なります。
 新共同訳聖書や新改訳聖書は、使徒 2:1-4などの記述に見られる、クリスチャンには神の霊の一部が与えられるという聖書の概念との調和をはかっていると思われます。これについては使徒 2:17の項でも取り上げていますので、参照してください。



使徒 2:1-4

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,ペンテコステの[祭りの]日が進行していた時,彼らは皆一緒に同じ場所にいた。すると突然,激しい風の吹きつけるような物音が天から起こり,彼らの座っている家全体を満たした。そして,さながら火のような舌が彼らに見えるようになってあちらこちらに配られ,彼ら各々の上に一つずつとどまり,彼らはみな聖霊に満たされ,霊が語らせるままに異なった国語で話し始めたのである。



 一方の新世界訳聖書は関連聖句のコリント第二 5:5やエフェソス 1:13-14を考慮したものと思われます。つまり、神の救いは将来のものであるが“事前の証印”として聖霊が与えられる、その“事前である”ということがここでは“初穂”と表現されているという解釈のようです。



コリント第二 5:5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,まさにこのことのためにわたしたちを生み出してくださった方は神であり,来たるべきものの印である霊をわたしたちに与えてくださったのです。

エフェソス 1:13-14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方の救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そして信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,[神]ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています。



 聖書の考える救いは2段階構成になっています。わかりやすく言うと、「現在の救い」と「将来の救い」です。この点については、ローマ 5:21の項で扱われていますので、参照してください。

 新世界訳と同じような訳文はフランシスコ会聖書研究所訳聖書などいくつかの翻訳に見られます。



ローマ 8:23

◇ フランシスコ会聖書研究所訳聖書 [2011年版] ◇ (カトリック)
被造物だけでなく、初穂として霊をいただいているわたしたち自身も、神の子の身分、つまり、体の贖われることを待ち焦がれて、心の中で呻いています。

◇ 岩隈直訳新約聖書 ◇ (プロテスタント)
彼らばかりでなく、御霊という初穂を持っているわたしたち自身も、(神の)子どもとされること、すなわちわたしたちの体があがなわれることを、わたしたち自身も心の中で呻きながら待ち望んでいる。

◇ 塚本虎二訳聖書 ◇ (プロテスタント)
しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。



◇ 「新共同訳新約聖書略解」, 日本基督教団出版局

 聖霊による……切符を手にしている、あるいは、霊の賜物としてその一部を持っているという意味か。



 ここで少し私が気になったのは、聖書の解説書をあたってみると、これを証印の意味に取る解釈が主流だという点です。新改訳聖書や新共同訳聖書の訳文は、聖書解釈ということにきちんと当たらず機械的に組み立てられたようにも見えます。

 新世界訳聖書の“贖いによって解き放される”という訳はどうでしょうか。これについて、エホバの証人の出版物はこのように説明しています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『贖い』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 リュトロン(「解く」という意味の動詞リュオーに由来)は,特に戦争捕虜を贖う,つまり請け戻す,あるいは拘束されている人や奴隷状態にある人を解放するために支払われる代価を指す語としてギリシャ人の著述家により使われました。(ヘブ 11:35と比較。)この語は聖書中に2回出ており,それらの箇所で,キリストが「自分の魂を,多くの人と引き換える贖い」としてお与えになることを述べるのに使われています。(マタ 20:28; マル 10:45)これと関連のあるアンティリュトロンという言葉はテモテ第一 2章6節に出て来ます。パークハーストの「新約聖書希英辞典」によれば,その語は「贖い,請け戻しの価,もっと正確に言えば,対応する贖い」を意味しています。パークハーストは,「その語が,捕虜を敵の手から請け戻すために支払われる代価,およびある人の命が別の人の命によって請け戻される場合のような交換を表わしているのも当然だ」というヒペーリウスの言葉を引用しています。そして,結論として,「ゆえに,アリストテレスはこの動詞[アンティリュトロオー]を命は命によって請け戻すという意味で用いている」と述べています。(ロンドン,1845年,47ページ)したがって,キリストは「すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださった」のです。(テモ一 2:5,6)関連のある語としてはほかにも,「贖いによって解く」という意味のリュトロオマイ(テト 2:14; ペテ一 1:18,19)や,「贖いによる釈放」を意味するアポリュトローシスがあります。(エフェ 1:7,14; コロ 1:14)



 聖書には「贖い」を指して用いられる語が複数あり、新世界訳はそれぞれの語義をよく考えたうえで異なる訳語を充てています。新世界訳聖書の訳文のほうが聖書原典に対して厳密であるようです。

 “体が贖いによって解放(釈放)される”という読み方はどこまで適切でしょうか。



コリント第一 15:42-50

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
死人の復活についてもこれと同じです。朽ちる様でまかれ,朽ちない様でよみがえらされます。不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。物質の体でまかれ,霊的な体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊的な[体]もあります。まさにそう書かれています。「最初の人アダムは生きた魂になった」。最後のアダムは命を与える霊になったのです。とはいえ,最初のものは霊的なものではなく,物質のものであり,後に霊的なものとなります。最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています。塵で造られた者たちは塵で造られた者のようであり,天的な者たちは天的な者のようです。そして,わたしたちは,塵で造られた者の像を帯びてきたように,また天的な者の像を帯びるのです。また,兄弟たち,わたしはこのことを言います。肉と血は神の王国を受け継ぐことができず,朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはありません。

フィリピ 1:21-23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
わたしの場合,生きることはキリストであり,死ぬことも益なのです。さて,もし肉の様で生きつづけるとすれば,それはわたしの業が実を結ぶことになります ― ですが,どちらを選ぶべきか,わたしには分かりません。わたしはこれら二つのものに迫られています。しかし,わたしがほんとうに願っているのは,解き放たれること,そしてキリストと共になることです。言うまでもなく,このほうがはるかに良いからです。

ペテロ第一 3:18

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
キリストでさえ罪に関して一度かぎり死なれました。義なる方が不義の者たちのためにです。それはあなた方を神に導くためでした。彼は肉において死に渡され,霊において生かされたのです。



 新世界訳聖書の訳は、救われることとは肉体を捨てることであるという聖書の概念とよく調和しているようです。

 ここで用いられているギリシャ語アポリュトローシスは、新共同訳聖書のルカ 21:28で「解放」と訳されています。



ルカ 21:28

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,これらの事が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」



 新改訳聖書のヘブライ 9:15では「贖い出す」と訳されています。



ヘブライ 9:15

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
こうして[キリスト]は新しい契約の仲介者なのです。それは,以前の契約下での違犯から贖いによって釈放するための死が遂げられたことに基づいて,召された者たちが永遠の相続財産の約束を受けられるようにするためです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。



 ヘブライ 11:35では、だいたいどの翻訳でも「釈放」と訳されています。



ヘブライ 11:35

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
女たちはその死者を復活によって[再び]受けました。またほかの人々は,何かの贖いによる釈放を受け入れようとはしなかったので拷問にかけられました。彼らはさらに勝った復活を得ようとしたのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
女たちは、死んだ身内の者たちをよみがえらせていただきました。また、ほかの人たちは、もっとすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを拒んで拷問を受けました。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。



 新改訳聖書や新共同訳聖書に見られるような“体が贖われる”という訳は問題の原因になっているようです。キリスト教神学の世界には、聖書の特定の句を字義通りに読み、そうすることによって生じる他の句との不一致を無視してしまうという人が多くいて、しかもけっこう幅を利かせていたりします。彼らは、この表現を「体が救われる」の意味に読んでしまうようです。

 このローマ 8:23では、新世界訳聖書の優秀さが際立っているように感じました。新世界訳に比べると、他の聖書は雑に見えます。






 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」は新世界訳聖書におけるローマ 8:23の訳文をこのように攻撃しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

 「霊の初穂を持つ」が「初穂としての霊を持つ」に改変されている。この表現は、既出のローマ 2:29に見られたような、聖霊の人格性を分離して隠蔽する手法の一つである。原典は聖霊の派生物について言及しているが、この改竄では、聖霊とその派生物とが同じにされている。
 「私たちの体が贖われる」が「贖いによって自分の体から解き放される」に改変されている。この改竄により、死後の体もしくは魂が存続し続けるという意味合いは消去された。エホバの証人は、魂は体が死ぬ時に無存在になると教え、贖われるべき体の結びつきや所有権を否定する。



 いつものことながら、フリーマインドジャーナルの主張は見当外れであるようです。この文書の著者は、なにかにつけ聖霊の人格性や魂の不滅ということを連想するらしく、それでまた論点がずれてしまっています。
 ローマ 2:29についてはこちらをご覧ください。