エホバの証人の聖書

ローマ 8:28

新世界訳聖書(エホバの証人)「さて,わたしたちは,神を愛する者たち,つまりご自身の目的にしたがってお召しになった者たちの益のために,神がそのすべてのみ業を協働させておられることを知っています。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」


 「フリーマインドジャーナル」1994年6月号に掲載された、「新世界訳聖書における改竄」リストは、この聖句についてこう述べています。

『「すべてのこと」が「すべてのみ業」に改変されている。この改竄は、神の主権を妨害して、神は自分に直接関係したものだけをコントロールするのだと主張するものである。』


 フリーマインドジャーナルが何を言いたいのか、あいかわらずよく分かりません。
 おそらく、ファンダメンタルの立場から、「この世の中のすべてのものは、神がそれを放置しておいても神の思うとおりになるようにできている」とか「神は全能者なので、この世界のあらゆることを完全にコントロールしておられる」とか言いたいのだと思います。神が自分の思うとおりにするためこの世界の物事に介入するという考えを、神の能力を疑うものとみなしているようです。それで、「神は自分のすべての業をコントロールしている」という新世界訳聖書の訳文に勝手な意味をつけて、「神は自分の業だけをコントロールできる」とか「神の業でないものはコントロールできない」などいう意味に読み、そのうえで反対しているのだと思います。
 そうだとすれば、フリーマインドジャーナルの妄想は度を超していると私は思いますが、いかがなものでしょうか。

 原典をみると、単に「すべて」という語が用いられています。これは、対象となるものが省略されている形ですので、翻訳するときには文脈を見ながら「すべてのことを」とか「すべての者を」といった具合に補足をつけて訳すのが普通です。新世界訳聖書が「すべてのみ業」としたのは、単に、それを働かせているのは神であると文が示唆しているからだと思います。

 この場合、「すべてのこと」と「すべてのみ業」は等価であるということでいいと思います。いずれにせよ神がコントロールしているんですから。


 すこし余談になりますが、エホバの証人は神学上の立場から、聖書の翻訳に「神が“計画”する」という表現を用いることに反対しています。「計画」という語は試行錯誤の意味合いにおいて「目的」とか「予定」という語と異なっているからです。「神は目的を持って予定を定め、遂行されるのであって、試行錯誤されるのではない」というのがエホバの証人の主張です。ここで用いられているギリシャ語は、英訳聖書では一般に“purpose(目的・意図)”という訳語が充てられるのに、和訳聖書では「計画」という語が充てられています。
 この語に関する新世界訳聖書の方針は慎重でよいものだと思います。

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