エホバの証人の聖書

ローマ 8:29

新世界訳聖書(エホバの証人)「ご自分が最初に認めた者たちを,[神]はまた,み子の像にかたどったものとするようにあらかじめ定められたからです。それは,[み子]が多くの兄弟たちの中で初子となるためでした。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」


 「フリーマインドジャーナル」1994年6月号に掲載された、「新世界訳聖書における改竄」リストは、この聖句についてこう述べています。

『「あらかじめ知っておられる人々」が「最初に認めた者たち」変えられている。この改訂は、神の知識の特質をぼかして、神が「最初に認める」ということが予見であるとも予見でないとも読ませるものである。』


 フリーマインドジャーナルの指摘は内容的にその通りだと思います。
 参照資料付き新世界訳聖書の脚注はここのところをこのように解説しています。

『または,「ご自分が予知した者たち」。』

 新世界訳聖書としては、この聖句に異なる解釈があることを考慮して、本文にはなるべく中立的な訳文を使用し、そうでない訳文は脚注にもっていくということにしたようです。とはいえ、そのことに厳密な神学的立場を見いだすほどのことではないようです。
 同じ語が用いられているペテロ第一 1:20では「予知」という訳語が用いられています。

ペテロ第一 1:20
新世界訳聖書(エホバの証人)「確かに,彼は世の基が置かれる前から予知されていました。しかし時代の終わりに,あなた方のために現わされたのです。」

 一方、やはり同じ語が用いられているローマ 11:2はローマ 8:29と同じで、「予知」という語は脚注のほうにあります。

ローマ 11:2
新世界訳聖書(エホバの証人)「神はご自分が最初に認めた民を退けたりはされませんでした。あなた方は,エリヤに関して聖書が述べていることを知らないのでしょうか。彼はイスラエルを責めて神に願い出ているのです。」
脚注
『または,「ご自分が予知した」。』

 また、この語の名詞形が用いられているペテロ第一 1:2でも「予知」という訳語が用いられています。

ペテロ第一 1:2
新世界訳聖書(エホバの証人)「父なる神の予知にしたがい,霊による聖化をもって,[また]従順な者となってイエス・キリストの血を振り掛けられる目的で選ばれた者たちへ:」

 フリーマインドジャーナルの批判はもっともなもので、ローマの聖句であえて異なる傾向の訳し方をすることの是非が検討課題となるところですが、同時に、フリーマインドジャーナルは特定の聖句の訳文に対して過剰に反応しているようにも感じました。


 補足的な点になりますが、「聖書に対する洞察」はこの表現についてこのように解説しています。

『クリスチャンの「召された者たち」や「選ばれた者たち」について論じている聖句において,それらの人は,「神の予知にしたがい……選ばれた」者たち(ペテ一 1:2),『世の基が置かれる前から選ばれ』,『神の養子となるようあらかじめ定められた』者たち(エフェ 1:3-5,11),『救いのために初めから選び出され,ほかならぬこの定めに召された』者たち(テサ二 2:13,14)であると述べられています。
もしこれらの言葉が,とこしえの救いを受けるようあらかじめ定められている特定の個人に当てはまるのであれば,それらの個人が不忠実になったり,自分たちの召しに関して失敗したりすることは決してあり得ないということになります。彼らに関する神の予知が不正確であるということはあり得ず,彼らをある運命にあらかじめ定めたことが実現しなかったり,妨害されたりすることも決してあり得ないからです。しかし,霊感によって前述の言葉を記した同じ使徒たちは,『買い取られ』,キリストの贖いの犠牲の血によって「神聖にされた」人々,また「天からの無償の賜物を味わい」,『聖霊と,来たるべき事物の体制の力にあずかる者となった』人々の中から,悔い改めが不可能なところまで離れ落ち,自ら滅びを被る者が出ることを示しています。(ペテ二 2:1,2,20-22; ヘブ 6:4-6; 10:26-29)使徒たちは一致して,自分たちが手紙を書いた人々を次のように激励しました。「自分の召しと選びを自ら確実にするため,……力を尽くして励みなさい。これらのことを行なってゆくなら,あなた方は決して失敗することはないからです」。「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」。
一方,前に引用した聖句が,一つの級,つまりクリスチャン会衆,あるいは召された者たちから成る一団としての「聖なる国民」に当てはまると考えれば(ペテ一 2:9),それは,神がそのような級(それを構成する特定の個人ではない)が生み出されることを予知し,そのことをあらかじめお定めになったという意味になります。また,それらの聖句は,すべて神の目的により,やがてその成員となるよう召される人々すべてが従わなければならない『型』を神が規定された,あるいはあらかじめお定めになったという意味になります。(ロマ 8:28-30; エフェ 1:3-12; テモ二 1:9,10)神はまた,そのような人々が行なうよう期待されている業や,彼らが世からもたらされる苦しみのゆえに試みられるということをあらかじめお定めになりました。―エフェ 2:10; テサ一 3:3,4。』
(表記修正)

 これは、キリスト教諸教派で盲目的に支持されている、「憐れみ深い愛の神はあなたの救いをあらかじめ予定されていたのです」というような概念を訂正するものです。キリスト教世界には、「この世界が創造されるよりはるか昔から、神はすでに救われる人間が誰で救われない人間が誰であるということをあらかじめ定められておられた」などと主張する人がいます。ファンダメンタルな教派の多くがこの考えを支持していて、そのような教派の教会に通う信者たちは牧師さんから「あなたが救われることはあなたが生まれる前から定められていたのですよ」ということを言われたりします。一方の救われない人たちについては、やはり彼らが救われないということが昔から定められているそうです。しかも、彼らの主張では、この救われる救われないというのは確実に定められていて、誰もこの神の決定を覆すことができないとのことです。
 宗教とは半分は妄想の世界で、このような偏った教えに陶酔するような考え方を持ち、それで実際に陶酔して幸せな気分になっている人がたくさんいたりします。しかしエホバの証人はこのような考えを危険なものとして退け、神の予知は個人の救いには及ばず、集団(エホバの証人はこれを「級」と呼びます)の救いを予知するにとどまるということをはっきりと言います。キリストに信仰を働かせる者を神が救ってくださることが予知されたことであっても、それは大まかな話であって、キリスト教徒である誰が救われるかという細かいところまで決まっているはずはありません。ですから、だれにせよ救われたいと願う人は救われるためにそれなりの努力を払わなければなりません。
 フリーマインドジャーナルはファンダメンタルですから、理性を無視してこのような妄想を支持しているようです。それで、自分は必ず救われる特別な存在だと思って幸福にしているところに「そうではない」という話を聞かされるので、エホバの証人に対して腹を立てているのではないかと思います。そのような訳で、上の聖句に対しても過剰に反応するようです。


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