新世界訳
エホバの証人の聖書

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ローマ 8:29

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
ご自分が最初に認めた者たちを,[神]はまた,み子の像にかたどったものとするようにあらかじめ定められたからです。それは,[み子]が多くの兄弟たちの中で初子となるためでした。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。



 この句では、“あかじめ”という表現が二度出てきます。新世界訳聖書は最初のほうでこれを“最初に”と訳出しました。これはどうしてでしょうか。
 おそらくですが、関係しているいくつかの聖句を考慮したものと思われます。

 一つは、“初穂”について述べたローマ 8:23です。ローマ 8:23には関連する句がいくつかあります。



ローマ 8:23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それだけではありません。初穂としての霊を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らの内でうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることを切に待っているのです。

コリント第二 5:5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,まさにこのことのためにわたしたちを生み出してくださった方は神であり,来たるべきものの印である霊をわたしたちに与えてくださったのです。

エフェソス 1:13-14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方の救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そして信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,[神]ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています。



 ローマ 8:23は「養子縁組」となることについて述べています。キリストと結ばれた者たちが、神の養子(神の子)になり、こうして、キリストの義兄弟となるという概念です。ローマ 8:29はその続きですから、同じことを述べているはずです。もし、ローマ 8:29の“あらかじめ”がローマ 8:23の“初穂”と同じであるなら、これを“最初に”と訳してもよいでしょう。

 もう一つは、復活の“順位”について述べたコリント第一 15:23です。



コリント第一 15:23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかし,各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト,その後,その臨在の間に,キリストに属する者たちです。



 ここは用語が紛らわしいので気をつけなければなりません。ここで使われている“初穂”という表現は、ローマ 8:23の“初穂”とは関係がなく、ローマ 8:29の“初子”を指しています。
 つまり、ローマ 8:29はコリント第一 15:23と同様に復活の順番について述べているようにも見えます。“キリストに属する者たち”は復活の順番において、神の子であるキリストを除けば、つまり人間のグループにおいては最初の位置を占めることになりますから、これを“最初”と訳すのは妥当なのかもしれません。

 もっとも、この聖句の場合、最初の“あらかじめ”を“最初に”と訳したとしても文の趣旨はあまり変わらないようです。2回目の“あらかじめ”がそのままだからです。つまり、神が最初に認めることは前もって決められていたということです。

 新世界訳聖書の採用した“最初に”の訳は辞書からの裏付けが得られるでしょうか。



◇ “THEOLOGICAL DICTIONARY OF THE NEW TESTAMENT”, γινώσκω の項 (表記修正)

 προγινώσκω のおそらく別の意味は“初めに(earlier:もしくは「早期に」)知る”であり、……使徒 26:5にその例が見つかる。



使徒 26:5

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
最初からわたしと面識のあるユダヤ人がみな知っており,彼らが証しをする気さえあればよいことなのですが,わたしは,わたしたちの崇拝方式のうちで最も厳格な派にしたがい,パリサイ人として生活しておりました。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
彼らはわたしを初めから知っているので、証言しようと思えばできるのですが、わたしは、わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、パリサイ人としての生活をしていたのです。



 ここで用いられているギリシャ語は、過去を振り返って語る場合には「語られている事柄の初期」というような意味を持つことがあるそうです。ローマ 8:29は神の聖霊による召し、あいるは復活の順番について述べていますので、その範囲の最初ということを考えることができるようです。
 新世界訳聖書の訳は辞書からの支持が得られているようです。






 ではここで、かなりおおざっぱになりますが、聖書に出てくる復活の順番という概念を解説したいと思います。

 この概念は、聖書には出ていますが、現代のキリスト教ではおおかた無視されています。そのため、もしあなたがキリスト教徒であったとしても、こういった話はよくわかっていないと思います。「いったい何の話だ」とか「訳が分からない話だ」などと言う方もおられるでしょう。

 復活の順番について直接的に述べた聖句は先に示したコリント第一 15:23です。これを文脈を含めてみてみましょう。



コリント第一 15:20-24

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしながら,今やキリストは死人の中からよみがえらされ,[死の]眠りについている者たちの初穂となられたのです。死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのです。アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。しかし,各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト,その後,その臨在の間に,キリストに属する者たちです。次いで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。



 この聖句は復活の順番について二つの段階を述べています。1番目はキリスト、2番目は聖霊によって証印を押されてキリストと結ばれた者たちです。そうするとこの聖句は、人間の復活については単に1つの段階しか述べていないように見えます。この聖句を読んで「それだけ?」と思う方は多いと思います。順位ということを言うにしてはお粗末です。また、聖書に通じている方ならこう思うでしょう。「キリストと結ばれていない人たちは?」。

 キリストと結ばれていない人の復活については、イエスがこう述べています。



ヨハネ 5:25-29

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「きわめて真実にあなた方に言いますが,死んだ人々が神の子の声を聞き,[それに]注意を向けた者たちが生きる時が来ようとしています。それは今なのです。父は,ご自身のうちに命を持っておられると同じように,子にもまた,自らのうちに命を持つことをお許しになったからです。そして,裁きを行なう権威を彼にお与えになりました。彼が,人の子であるからです。このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと[出て来るのです]。



 イエスのこの言葉は、復活について述べたメシア預言への言及です。



ダニエル 12:1-2

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「そして,その時に,あなたの民の子らのために立つ大いなる君ミカエルが立ち上がる。そして,国民が生じて以来その時まで臨んだことのない苦難の時が必ず臨む。しかしその時,あなたの民,すなわち書に記されている者はみな逃れ出る。また,塵の地に眠る者のうち目を覚ます者が多くいる。この者は定めなく続く命に,かの者は恥辱に,[また]定めなく続く憎悪に[至る]。



 こうして関連聖句を見ると、復活の順番という概念は、コリント第一 15:23で見る以上に複雑だということに気づかされます。

 ここでイエスの言っている復活は、キリストと結ばれていない人の復活であるということになります。このことを示す聖書の言葉は2つあります。先に2つ目のほうに注目しましょう。



啓示(黙示録) 20:12-15

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,[数々の]巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた。



 イエスが言ったことと同じことが黙示表現で述べられていますが、注目したいのは「第二の死」という表現があることです。



啓示(黙示録) 20:4-6

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
またわたしは,[数々の]座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた。実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した。(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。



 順位にしたがって最初に復活する人たちはここで「第一の復活にあずかる者」と述べられています。彼らは聖霊を受けてキリストと結ばれ、養子縁組により神の子またキリストの兄弟となりましたから、キリストが王として千年支配する時には一緒に支配を行い、イエスが復活した人の仕分けを行う時にもやはり一緒に仕分けを行います。彼らは仕分けをする立場に立っていますので「第二の死」に直面する心配がありません。
 というわけで、先のイエスの言葉は、キリストと結ばれていない人の復活についてであるということになります。

 そして1つ目は、ローマ 8章にあります。これは、イエスの言葉と共に、この黙示表現の出典となった記述です。また、この文書の主題であるローマ 8:29と深く関係します。



ローマ 8:14-23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
神の霊に導かれる者はみな神の子であるからです。あなた方は,再び恐れを生じさせる奴隷身分の霊を受けたのではなく,養子縁組の霊を受けたのであり,わたしたちはその霊によって,「アバ,父よ!」と叫ぶのです。霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供であることを証ししています。さて,子供であるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人なのです。ただし,共に栄光を受けるため,共に苦しむならばです。それゆえ,今の時期の[いろいろな]苦しみは,わたしたちのうちに表わし示されようとしている栄光に比べれば,取るに足りないものとわたしは考えます。創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです。それだけではありません。初穂としての霊を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らの内でうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることを切に待っているのです。



 すでに示された解説を理解しているなら、この句についての解説は基本的に不要でしょう。関連性についてもだいたいわかると思います。(黙示表現の基礎は異常な引用です。ローマの聖句で「共に苦しむ」という表現があって、それが啓示の書では「斧で処刑される」という過激な言い方になっています。)
 ひとつ気をつけなければならないのは“創造物”という表現です。これを動植物のたぐいと受け取る方が多くおられますが、これは「人類」を意味する聖書の慣用表現です。



コロサイ 1:23

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
もとよりそれは,あなた方が引き続き信仰にとどまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく,自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされないでいるならばのことです。その[良いたより]は天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。私パウロは,この[良いたよりの]奉仕者となりました。



 ローマ 8:14-23では、“全て”を意味するギリシャ語パースとその同義語が用いられています。注目したいのは、「神の霊に導かれる者はみな神の子である」という表現と「創造物すべては今に至るまで共にうめき」という表現です。ギリシャ語パースと救いの概念で詳しく解説していますが、このような言い方は排他的表現となります。つまり、神の子であるグループと、神の子の自由を受けるグループは完全に別のグループです。
 というわけで、神の子の自由を受ける全創造物のグループはキリストと結ばれていない人のグループであるということになります。



○ 聖書の示す復活の順位

復活の“初穂”なるイエス・キリスト
人類の“初穂”としてキリストと結ばれた者たち
キリストと結ばれなかった者たち、人類全般



 さて、復活の順位もしくは順番について聖書が述べていることを見て、意外に思われる方はたくさんおられると思います。あなたはキリスト教徒かもしれませんし、キリスト教についての詳しい知識を持っている方かもしれません。そういう方は復活に関するキリスト教の一般的見解が気になるでしょう。さらに、現代のキリスト教の大半は、救われる人には2つのグループがあるというエホバの証人の指摘を完全に拒絶しています。そのようなわけであなたは、「こんな話は違う。間違いだ!」と叫びたい気分になったかもしれません。
 というわけで、こういった話を疑ったり否定したりする方々に対して私からひとこと言っておきたいと思います。
 この世の中にはキリストを知ることなく死んでいく人たちがたくさんいたりします。もちろん、キリスト以前に死んだ人はだれもキリストと結ばれようがありません。それに、今キリスト教徒である人たちの中にキリストと結ばれている人はどれほどいますか。これらの人たちはどうやって救われるのでしょうか。聖書がそういうテーマを正しく扱っていることはなにか不自然なことですか。キリストと結ばれない人であっても救われると聖書が述べていることが、あなたにとっては不満なのですか。
 一方、エホバの証人は、キリスト教の諸宗派の中では異例なことに、信者でない人の救いに関する教義を念入りに整備しています。これは手本というものではないでしょうか。






 復活の順番について理解したところで、ふたたび、この文書の主題であるローマ 8:29について考えましょう。
 この句は、救いの順番について述べたローマ 8章の文章の続きに位置していますし、復活の順位について述べた聖句とも関連しています。そうすると、ここで用いられている“あらかじめ”という表現を“最初に”と訳出することには強力な根拠があるということになりそうです。
 こういったことを入念に考慮したうえで訳文を決定するというところは新世界訳聖書のすごさだと思います。

 新世界訳聖書はローマ 11:2でも同様の訳を採用しています。



ローマ 11:2

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
神はご自分が最初に認めた民を退けたりはされませんでした。あなた方は,エリヤに関して聖書が述べていることを知らないのでしょうか。彼はイスラエルを責めて神に願い出ているのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
神は、前から知っていたご自分の民を退けられたのではありません。それとも、聖書がエリヤの箇所で言っていることを、あなたがたは知らないのですか。エリヤはイスラエルを神に訴えています。



 これは解りやすいと思います。イスラエルは神が最初に選んだ民族です。新世界訳聖書はこういったところをよく見ています。

 一方で、新世界訳聖書は脚注で“あらかじめ”の読みも示しています。



◇ 新世界訳参照資料付き聖書, ローマ 8:29, 脚注

または,「ご自分が予知した者たち」。

◇ 新世界訳参照資料付き聖書, ローマ 11:2, 脚注

または,「ご自分が予知した」。



 さらに、ペテロ第一 1:2と1:20では“予知”という訳が採用されています。



ペテロ第一 1:2

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
父なる神の予知にしたがい,霊による聖化をもって,[また]従順な者となってイエス・キリストの血を振り掛けられる目的で選ばれた者たちへ: 過分のご親切と平和があなた方に増し加えられますように。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。

ペテロ第一 1:20

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
確かに,彼は世の基が置かれる前から予知されていました。しかし時代の終わりに,あなた方のために現わされたのです。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。



 新世界訳聖書はローマ 8:29では“最初に”の訳を選択しましたが、だからといって、“あらかじめ”の意味を否定しようとしているわけではないようです。それぞれの文意に合わせて訳語を使い分けているだけです。

 ところでですが、ローマ 8:29の新改訳聖書の訳文は、将来のことである救いを過去のことのように述べていて不適切かもしれません。もし新世界訳聖書がこのような訳文を採用したら、反対者たちから叩かれまくると思います。
 少し考えてみてください。世界には数十億ものキリスト教徒がいます。その中に、キリストと結ばれただけでなく、結ばれる以前からすでにキリストの似姿にもされていたという人が一人でもいるでしょうか。






 「フリーマインドジャーナル」1994年5-6月号に掲載された「新世界訳聖書における改竄」はこの聖句の問題をこのように指摘しています。



◇ 'Misleading Revisions in the New World Translation' Andy Bjorklund, Free Minds Journal May/Jun 1994

 “あらかじめ知っておられる人々”が“最初に認めた者たち”に変えられている。
 この改竄は、神が“最初に認める”ということを予知であるともないともすることにより、神の知識と力の本質を不明瞭にするものである。



 フリーマインドジャーナルの指摘はもっともだと思います。聖書の翻訳とはなかなか難しいものです。
 フリーマインドジャーナルは“あらかじめ定められた”のほうは無視することにしたようです。すでに述べたとおり、この表現がありますのでローマ 8:29の意味はたいして変わりません。






 キリスト教世界には、ローマ 8:29の言葉を極端に受け取る人がたくさんおられるようです。これらの人たちは、「この世界が創造されるよりはるか昔から、神は救われる人間が誰で救われない人間が誰であるということをあらかじめ定められておられた」などということを主張しています。この問題について、「聖書に対する洞察」はこのように述べています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『霊』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 まだ残っているのは,クリスチャンの「召された者たち」や「選ばれた者たち」について論じている聖句です。(ユダ 1; マタ 24:24)それらの人は,「神の予知にしたがい……選ばれた」者たち(ペテ一 1:2),『世の基が置かれる前から選ばれ』,『神の養子となるようあらかじめ定められた』者たち(エフェ 1:3-5,11),『救いのために初めから選び出され,ほかならぬこの定めに召された』者たち(テサ二 2:13,14)であると述べられています。これらの聖句に関する理解は,そうした聖句がある個々の人をあらかじめ定めることについて述べているのか,それとも人々の級,すなわちクリスチャン会衆,もしくは天の王国でキリスト・イエスの共同相続人となる人々の「一つの体」(コリ一 10:17)をあらかじめ定めることについて説明しているのか,ということによって違ってきます。―エフェ 1:22,23; 2:19-22; ヘブ 3:1,5,6。
 もしこれらの言葉が,とこしえの救いを受けるようあらかじめ定められている特定の個人に当てはまるのであれば,それらの個人が不忠実になったり,自分たちの召しに関して失敗したりすることは決してあり得ないということになります。彼らに関する神の予知が不正確であるということはあり得ず,彼らをある運命にあらかじめ定めたことが実現しなかったり,妨害されたりすることも決してあり得ないからです。しかし,霊感によって前述の言葉を記した同じ使徒たちは,『買い取られ』,キリストの贖いの犠牲の血によって「神聖にされた」人々,また「天からの無償の賜物を味わい」,『聖霊と,来たるべき事物の体制の力にあずかる者となった』人々の中から,悔い改めが不可能なところまで離れ落ち,自ら滅びを被る者が出ることを示しています。(ペテ二 2:1,2,20-22; ヘブ 6:4-6; 10:26-29)使徒たちは一致して,自分たちが手紙を書いた人々を次のように激励しました。「自分の召しと選びを自ら確実にするため,……力を尽くして励みなさい。これらのことを行なってゆくなら,あなた方は決して失敗することはないからです」。「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」。(ペテ二 1:10,11; フィリ 2:12-16)「イエス・キリストの使徒となるために召された」パウロも(コリ一 1:1),自分が個人としてとこしえの救いを受けられるよう前もって運命が定められているなどと考えていなかったことは明らかです。パウロは,「神からの賞である上への召しのため,目標」を達成しようと奮闘していることや(フィリ 3:8-15),自分自身が「何かのことで非とされる」ことがないようにしたいと考えていることについて語っているからです。―コリ一 9:27。
 同様に,そのような人々に提供されている「命の冠」は,試練のもとで死に至るまで忠実を保つことを条件に与えられます。(啓 2:10,23; ヤコ 1:12)神のみ子と共にあずかる彼らの王権の冠は失われることがあります。(啓 3:11)使徒パウロは,「義の冠」が自分のために「定め置かれてい(る)」ことに対する確信を言い表わしましたが,その言葉はあくまでも,パウロが「走路を最後まで走り」,その終わりが近づいていることを確信した時に述べた言葉にすぎません。―テモ二 4:6-8。
 一方,前に引用した聖句が,一つの級,つまりクリスチャン会衆,あるいは召された者たちから成る一団としての「聖なる国民」に当てはまると考えれば(ペテ一 2:9),それは,神がそのような級(それを構成する特定の個人ではない)が生み出されることを予知し,そのことをあらかじめお定めになったという意味になります。また,それらの聖句は,すべて神の目的により,やがてその成員となるよう召される人々すべてが従わなければならない『型』を神が規定された,あるいはあらかじめお定めになったという意味になります。(ロマ 8:28-30; エフェ 1:3-12; テモ二 1:9,10)神はまた,そのような人々が行なうよう期待されている業や,彼らが世からもたらされる苦しみのゆえに試みられるということをあらかじめお定めになりました。―エフェ 2:10; テサ一 3:3,4。