エホバの証人の聖書

ローマ 9:5

新世界訳聖書(エホバの証人)「父祖たちは彼らに属し、キリストも、肉によれば、彼らから[出た]のです。すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。アーメン。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。」


 新共同訳聖書で、「キリストは神」となっているところが、新世界訳聖書ではそうなっていません。
 そのため、エホバの証人に反対する人たちは、「エホバの証人は聖書を改竄してしまった」と主張しています。

 「フリーマインドジャーナル」1994年6月号に掲載された、「新世界訳聖書における改竄」リストは、この聖句についてこう述べています。

『「万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神」が「キリストも、肉によれば、彼らから[出た]のです。すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。」変えられている。キリストは神であることを示す宣言が、異なる意味の文の差し替えによって覆い隠されている。』

 新世界訳は改竄されているのでしょうか。

共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「彼らはまた、偉大な先祖を持ち、メシアも人間としては彼らから出られたのです。万物を支配しておられる神は、永遠にほめたたえられますように。アーメン。」

 共同訳聖書の内容からすると、どうやらそうでもないようです。


 この聖句は、原典を見ると、文法的に二通りの読み方が可能なんだそうです。
 このように、文法的に二通りの読み方が可能な聖句があり、三位一体論が関係している聖句については、「聖書から論じる」がこう述べています。

『ある箇所が文法的には二通り以上に翻訳できる場合,どれが正しい訳ですか。それは聖書のほかの箇所と一致した訳です。もし,聖書のほかの部分を無視し,自分の好きな訳の特定の節を中心にして自分の信条を組み立てるなら,その人の信じている事柄は実際には神の言葉ではなくて,自分自身の考えか,もしかすると別の不完全な人間の考えを表わすものとなります。』

 この本は、さらにこう述べています。

『この節は,キリストが「万物の上に」,または「すべてのものの上に」おられ,またそれゆえにキリストは神であると述べているのですか。それとも,異なった別個の存在としての神とキリストとに言及し,神が「すべてのもの」の上におられると述べているのですか。ローマ 9章5節のどちらの訳し方がローマ 15章5,6節と一致しますか。この句はまず神とキリスト・イエスとを区別し,次いで,「わたしたちの主イエス・キリストの神また父の栄光をたたえる」ことを読者に勧めています。(また,コリント第二 1:3とエフェソス 1:3も参照。)ローマ 9章のつづきの部分を考慮してみてください。6-13節までの箇所は,神の目的が肉による相続ではなく,神のご意志に基づいて成し遂げられることを示しています。14-18節は,出エジプト記 9章16節に記されているファラオに対する神の音信に言及し,神が万物の上に,つまりすべてのものの上におられることを強調しています。19-24節では,陶器師と陶器師が作る粘土の器を用いた類推によって神の優位性がさらに例証されています。ですから,5節の「すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。アーメン」という表現は何と適切なのでしょう。』

 さらに、「新約聖書神学新国際辞典」はこう述べています。

『ローマ 9:5は論議を呼んでいる。……この表現はキリストを指していると見るのは容易であり,また言語学的にも全く可能である。そう読むとすれば,この節は,『万物の上におられる神であるキリストは,永久にほめたたえられるように。アーメン』ということになるであろう。それでも,キリストは神と完全に同等であるということにはならず,ただ神の性質を備えた存在として描写されているにすぎないということになろう。というのは,テオスという語には冠詞が付されていないからである。……この言葉は神に対する頌栄であるというほうがずっと妥当な説明のようである。』(「聖書から論じる」より)

 さらに、新共同訳聖書に準拠する「新共同訳新約聖書略解」はこう述べています。

『頌栄(問題の部分)は11:36の終結部分と呼応し、歴史の支配者である神に対する賛美。「キリスト賛歌」と称し、《キリストは、……神》とキリストを主語とするこの訳は無理がある(口語訳参照)。』(一部追記)

 新共同訳のような訳は、三位一体の教理を聖書翻訳に持ち込むものですので、教会の人たちは喜んでも、学者たちは気分を悪くするようです。

 それにしても、この「新共同訳新約聖書略解」は、教会の牧師が、この本を新共同訳と一緒に購入するよう信徒たちに勧める目的で出版された本なのですから、そのような本にこのようなことを書かれては、教会の牧師としても困るのではないでしょうか。


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