エホバの証人の聖書

ローマ 12:16

新世界訳聖書(エホバの証人)「他の人たちのことを、自分自身に対すると同じような気持ちで考えなさい。高ぶった事柄を思わず、むしろ、へりくだった事柄を求めなさい。[ただ]自分の目から見て思慮深い者となってはなりません。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」


 「他の人たちのことを、自分自身に対すると同じような気持ちで考えなさい」という新世界訳聖書の訳は珍しい訳です。
 ここ部分をギリシャ語原典で読むと、「[自分を]互いの人の思いに向けなさい」というような文です。
 そして、新世界訳聖書が「へりくだった事柄」と訳しているところは、新共同訳聖書のように「身分の低い者」とも読めます。
 この「へりくだった事柄」というのが、最初の部分の訳し方を決めるひとつのポイントのようです。
 新世界訳聖書は、「へりくだった事柄を求める」、つまり自分を謙虚にするという文意、新共同訳聖書は「身分の低い人々と交わる」、つまり他の人を自分と対等にするという文意を採用しています。
 そして、最後の部分が、最初の部分の訳し方を決めるもうひとつのポイントのようです。
 ここのところ、読みようによっては「賢くなってはなりません」という意味になってしまう問題を解決するために、新世界訳聖書は「[ただ]」という語を挿入し、新共同訳聖書は「うぬぼれる」という訳語を用いています。
 訳文は違いますが、謙遜さが強調されているという点は同じです。
 しかしながら、新世界訳聖書の場合は、この最後の部分を「謙虚になって自分を他の人より低くする」という意味に取ったために、そして、新共同訳聖書の場合は、やはりこの最後の部分を「うぬぼれずに自分を他の人と対等にする」という意味に取ったために、それに応じて全体の訳文が決められていったように思います。

 どちらの訳が良いというようなことは言えませんが、一つ言えることは、新世界訳聖書も、新共同訳聖書も、最後の部分に適切な意味を補足することによって、正しい聖書解釈に読者を導くよう工夫をこらしており、これは賞賛すべきことです。
 このような努力は他の翻訳にも見られます。

口語訳聖書(プロテスタント)「互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。」


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