新世界訳
エホバの証人の聖書

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ローマ 12:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
他の人たちのことを,自分自身に対すると同じような気持ちで考えなさい。高ぶった事柄を思わず,むしろ,へりくだった事柄を求めなさい。[ただ]自分の目から見て思慮深い者となってはなりません。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。



 ここでは、新世界訳で「へりくだった」と訳されている語について、そのギリシャ語が男性形か中性形かということが問題になるようです。これはどちらにも読めます。
 これを中性形と考えると、新世界訳聖書のような訳文になり、男性形と考えると、新共同訳聖書のような訳文になるそうです。ただ、翻訳された聖書を見てみると、新世界訳聖書のような訳文はまず見かけませんので、不思議に思われる方もおられると思います。ここで気になるのは文意の相違が生じていることです。新共同訳聖書の訳文では、身分の低い人に対して対等になることが要求されているように読めますが、新世界訳聖書の訳文では、それ以上のこと、つまり誰に対しても格下となることが求められるように読めます。

 新世界訳聖書に見られるような読み方については、田川健三氏がこのように説明しています。



◇ 田川健三訳聖書 , ローマ 12:16 解説 (表記修正)

 「低いこと」という語は、文法的な形だけからすれば、男性とも中性ともとれる。男性ととれば「低い者たち」。中性ととれば「低いこと」。……直前の「高いこと」が中性で、……11:20にもまったく同じ表現が出て来ていて、ほぼ意味ははっきりしており、それと対になっているのだから……「謙虚になりなさい」程度の意味であろう。



ローマ 11:20

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
そのとおりです! 彼らは信仰の欠如のゆえに折り取られ,一方あなたは信仰によって立っているのです。高ぶった考えを抱かず,むしろ恐れの気持ちでいなさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。



 また、すこし前にはローマ 12:10の言葉もあります。



ローマ 12:10

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情を抱きなさい。互いを敬う点で率先しなさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。



 新世界訳聖書は文意をよく考慮して訳文を決定しているように見えます。
 ですから、新世界訳聖書の訳文がほとんどの聖書と異なるのを見て、もしかしてこれは誤訳なのではないか、と疑う必要はないようです。



ローマ 12:16

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
他の人たちのことを,自分自身に対すると同じような気持ちで考えなさい。高ぶった事柄を思わず,むしろ,へりくだった事柄を求めなさい。[ただ]自分の目から見て思慮深い者となってはなりません。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。



 この部分についても同じようなことが言えるようです。新共同訳聖書の訳文だと、“心を合わせる”の意味になりますが、新世界訳聖書では、“人の気持ちを考える”の意味になります。直前のローマ 12:15の言葉から考えて、単に心が一致していることについて述べているのではないだろう、ということのようです。さきほどと同じく、ローマ 12:10の言葉もあります。



ローマ 12:15

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣きなさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

ローマ 12:10

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情を抱きなさい。互いを敬う点で率先しなさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。



 喜ぶ人と共に喜び泣く人と共に泣くことによって互いの思いが一致するのであれば、実際には一方が他方に寄り添っていることになります。
 新世界訳聖書は、普通なら「互いに」と訳す語をあえて「他の人」と訳出しています。これは十分な考察のもとに意図して行っているものと思われます。新世界訳聖書を攻撃する人ならきっと、またもやエホバの証人は原語の意味をすり替えていると指摘することでしょう。しかし、よく文意を考察するなら、このように訳し替えることの意義に気づかされると思います。

 聖書の文意をできるだけ厳密に訳出しようとするこのような努力は、新世界訳聖書の特徴となっています。他の聖書はなかなか追随できないでしょう。