新世界訳
エホバの証人の聖書

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コリント第二 1:15

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それで,このような確信のもとに,わたしは以前あなた方のもとに行くつもりでした。それは,あなた方が喜び[の機会]をもう一度持てるようにするためでした。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
そうした確信の下に,私は皆さんに再び喜んでいただきたいと思い,まずそちらに行くつもりでした。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
このような確信をもって、私は、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。



 聖書協会共同訳聖書などでは「恵み」となっているところ、新世界訳聖書では「喜び」となっています。
 これは、聖書の「校訂本文」の差によるものです。

 新約聖書はもともと2000年ほど前にギリシャ語で書かれたものです。私たちが手にする聖書はこれを日本語に翻訳したものですが、なにしろ古いものですから、原本はもう失われていて、原本を書き写した「写本」から翻訳をするしかないということになります。そうすると今度は、聖書の写本は世界中に多数あり、所在がばらばらで、たまに写本同士の相違もあったりするという問題に直面することになります。
 この問題を解決するのが校訂本文です。校訂本文は、世界中に保管されている写本の情報をまとめて原本の「テキスト」を復元し、写本に相違があるなどにより復元の確かさに疑いがあるところには注記をつけたりしています。

 聖書の翻訳は、どの校訂本文を用いるかを決めるところから始まります。これを「底本」と呼びます。
 新世界訳聖書は「ウェストコットとホート」の校訂本文を底本としています。聖書協会共同訳聖書は「ネストレ」、新改訳聖書は「ネストレ」と「UBS(聖書協会連盟)」の併用です。

 では両者の違いを見てみましょう。



コリント第二 1:15 原典

◇ ウェストコットとホートの校訂本文 ◇
Καὶ ταύτῃ τῇ πεποιθήσει ἐβουλόμην πρότερον πρὸς ὑμᾶς ἐλθεῖν, ἵνα δευτέραν χαρὰν σχῆτε,

◇ ネストレの校訂本文 および UBSの校訂本文◇
Καὶ ταύτῃ τῇ πεποιθήσει ἐβουλόμην πρότερον πρὸς ὑμᾶς ἐλθεῖν, ἵνα δευτέραν χάριν σχῆτε,



 見ての通り、一文字だけ違います。これは、聖書の写本に相違があった場合に、校訂本文の製作者がどちらの写本を選択するかよって生じる違いです。
 このような場合、聖書の翻訳者は、どちらのテキストを採用するか慎重に検討して決定しなければなりません。このような時になにかと参考になるのは、UBSの付録として発行されている「新約ギリシャ語聖書本文注解」です。この本は、写本に相違がある箇所の判定をABCDで行い、その説明もしてくれています。

 この本がUBSの判断 (「恵み」) につけた評価は「B」です。この本についているマニュアルによると、「B」は「おそらく正しい」です。



◇ “A TEXTUAL COMMENTARY ON THE GREEK NEW TESTAMENT, UBS (表記修正)

χάριν {B}

 (本文テキストに採用されなかった) χαρὰν (カラン,「喜び」) の読みは、χάριν (カリン,「恵み」) の書写における修正であるらしい。もしかするとコリント第二 2:3が影響しているかもしれない。



コリント第二 2:3

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
それでわたしは,まさにこのこと,つまり,わたしが行くときには,自分が当然歓ぶはずの人たちのために悲しまされることがないようにと書いたのです。自分が持つ喜びはあなた方すべての[喜び]でもあるとの確信を,あなた方すべてについて抱いているからです。



 おそらくですが、新世界訳聖書の翻訳者はUBSと逆のことを考えたのでしょう。
 UBSの見解は、書き写しの際にコリント第二 2:3とコリント第二 1:15を調和させておこうとした人がいたに違いない、そうするとこの二つはもともと相違していたに違いない、というものです。
 それに対して新世界訳聖書の翻訳者は、この二つの句はもともと調和していたんじゃないか、と考えたのかもしれません。