エホバの証人の聖書

ガラテア 2:20

和文新世界訳聖書(エホバの証人)
わたしはキリストと共に杭につけられているのです。生きているのはもはやわたしではなく,わたしと結びついて生きてくださるキリストです。実際,わたしは自分が肉にあって今生きているこの命を,神のみ子に対する信仰によって生きているのです。[み子]はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださったのです。

英文新世界訳聖書(エホバの証人)
I am impaled along with Christ. It is no longer I that live, but it is Christ that is living in union with me. Indeed, the life that I now live in flesh I live by the faith that is toward the Son of God, who loved me and handed himself over for me.


 この聖句について、岩村義男氏は「神のみ名は「エホバ」か」の本の中でこのように指摘しています。

クリスチャンのことを「神の子」と言う場合は親子の関係を意味しますが、「神の御子」はそのような意味での親子の関係を表わしません。ヨハネは「雷の子」(マルコ 3:17)ですが、父の名が「雷」であったというわけではありません。ヨハネの気性が雷の権化のように荒っぽかったからです。「慰めの子」(使徒 4:36)のバルナバも同様です。ですから、イエスが、「神の御子」と言われる場合、必ず定冠詞がつき、神性が関係しているのです。
称号「神の御子」に対する無知のために、日本語版『新世界訳』は、31か所を意図的に「神の子」と訳して、「神の子」と「神の御子」の区別をなくしてしまいました。『新世界訳』英文の“the Son of God”(神の御子)を「神の子」と訳しているのです。ギリシャ語本文や『新世界訳』英文を見ても、違いは明らかです。
(表記修正)

 岩村氏は「神の子」という聖書の表現について独自の見解を持っているようですがそれは置いておき、「必ず定冠詞がつき……」以降の事実関係のみを検証したいと思います。

聖句* 和文新世界訳 英文新世界訳 ギリシャ語本文 口語訳 新改訳 新共同訳
マタイ4:3 神の子 a son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ4:6 神の子 a son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ8:29 神の子 Son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ14:33 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ16:16 生ける神の子 the Son of the living God 定冠詞あり 生ける神の子 生ける神の御子 生ける神の子
マタイ26:63 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
マタイ27:40 神の子 a son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ27:43 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マタイ27:54 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
マルコ3:11 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
マルコ5:7 至高の神の子 Son of the Most High God 定冠詞なし いと高き神の子 いと高き神の子 いと高き神の子
マルコ15:39 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ルカ1:35 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ルカ4:3 神の子 a son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ルカ4:9 神の子 a son of God 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ルカ4:41 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ルカ8:28 至高の神の子 Son of the Most High God 定冠詞なし いと高き神の子 いと高き神の子 いと高き神の子
ルカ22:70 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ1:34 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ1:49 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ3:18* 神の独り子 the only-begotten Son of God 定冠詞あり 神のひとり子 神のひとり子 神の独り子
ヨハネ5:25 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ10:36 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ヨハネ11:4 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ11:27 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の御子 神の子 神の子
ヨハネ19:7 神の子 God's son 定冠詞なし 神の子 神の子 神の子
ヨハネ20:31 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
使徒9:20 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ローマ1:4 神の子 God's Son 定冠詞なし 神の御子 神の御子 神の子
コリ二1:19 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ガラ2:20 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の御子 神の御子 神の子
エフェ4:13 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヘブ4:14 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヘブ6:6 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の御子 神の子 神の子
ヘブ7:3 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヘブ10:29 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヨハネ一3:8 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
ヨハネ一4:15 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヨハネ一5:5 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヨハネ一5:10 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヨハネ一5:12 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の御子 神の御子 神の子
ヨハネ一5:13 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
ヨハネ一5:20 神のみ子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の御子 神の子
啓示2:18 神の子 the Son of God 定冠詞あり 神の子 神の子 神の子
*聖句 : 表現が標準と言えないものは灰色とした
*ヨハネ3:18 : 原典に「子」の表記が見られるためリストに加えた
 リストを見ると、「神の子」という表現に必ず定冠詞がついているということはないこと、どの聖書翻訳も彼の言うところの「“神の子”と“神の御子”との区別」を考えていないことが分かります。
 また、ガラテア 2:20が引用されているのは、岩村氏が自身の主張を述べるにあたってもっとも条件の良い聖句を選んだからだということが推察されます。

 私見となりますが、新共同訳聖書に「神の御子」という訳語が一度も用いられていないのはなかなか立派なことだと思います。そもそもギリシャ語原典に“神の御子”という表現はないのですから。


 彼自身の主張するところについて考えてみたいと思います。ヨハネが「雷の子」と呼ばれたことについての彼の指摘はその通りです。これは親子関係について述べているものではありませんから、「ヨハネの父は雷である」などと思う必要はありません。一方、イエスを「神の子」と言うとき、それはイエスが神と親子関係にあるという意味です。現に、神はイエスを「わたしの子」と呼んでますし、イエスは神を「わたしの父」と呼んでいます。

マタイ 3:17
新世界訳聖書(エホバの証人)
見よ,さらに天からの声があって,こう言った。「これはわたしの子,[わたしの]愛する者である。この者をわたしは是認した」。

マタイ 10:32-33
新世界訳聖書(エホバの証人)
「それゆえ,人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな,わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。しかし,だれでも人の前でわたしのことを否認する者は,わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します。

 さらに聖書はこのように述べます。

ヨハネ第一 2:22-24
新世界訳聖書(エホバの証人)
イエスがキリストであることを否定する者でなければ,いったいだれが偽り者でしょうか。父とみ子を否む者,それが反キリストです。すべてみ子を否む者は,父をも持っていません。み子について告白する者は父をも持っています。あなた方は,初めから聞いている事柄を自分のうちにとどめて置きなさい。初めから聞いている事柄があなた方のうちにとどまっているなら,あなた方もまた引き続きみ子と結ばれ,また父と結ばれていることになります。

 聖書がこのように述べているので、岩村氏は父と子を否定する異端者、また反キリストであると考えて差し支えないと私は思います。

 振り返れば、エホバの証人は昔から「イエスが神の子であることを否定する異端教派」と言われ、キリスト教諸教会から激しく非難されてきました。最近になってようやく、これが全くの間違いであることが知られるようになってきています。しかし、ヨーロッパなどのキリスト教国にはまだそのような見解と非難が根強く残っています。これは、キリスト教最大教派であるカトリック教会が、プロテスタント諸教会の協力を得ながらそういう宣伝を行ってきたからにほかなりません。人々は教会の説教壇から、牧師たちの口を通してそう教えられてきました。それで、教会の信徒たちが「イエス・キリストは神の子である」と書いたプラカードを掲げてエホバの証人の教会の前でデモを行ったとか、伝道中の証人たちに石を投げたとか、リンチにかけたりしたとか殺害したとか、そういう話がいっぱいありました。
 彼らがそのような反応を示したのはある意味当然のことでした。イエスが神の子であると信じている人たちとしては、イエスが神の子であることを否定する教会があると聞いてぞっとしないわけにはいきません。キリスト教を名乗っていながらキリストを否定する教会があるとするなら、諸教会はその存在を認めることができるでしょうか。このような危険な教会はなんとかして根絶しなければならないと思うはずです。
 この宣伝はほぼ1世紀にわたって多大な効果を上げ、エホバの証人と諸教会との間の巨大な障壁の役割を果たしてきましたが、最近になってさすがに使えないものとなってきました。メディアの普及により、こういう虚偽の宣伝が社会的に非難される時代がやってきたからです。そこでカトリック教会はしばらく前から、エホバの証人に関する宣伝を「エホバの証人は家庭を崩壊させるカルトである」とか「聖書を曲解している」とか「聖書を改竄している」という方向にシフトするようになっています。こういった主張は虚偽であってもあからさまではないため、つまり反論の困難さゆえに、今でも使えます。そして、日本においてその役割を担っているのが「いのちのことば社」という出版社です。岩村氏の本がこの出版社から出ているのは、結論的にはそれがカトリック教会の方針だからです。岩村氏自身はプロテスタント系ファンダメンタリストですが、いのちのことば社によってこの種の宣伝を行う貴重な人材として発掘され、養われているという立場にあります。
 そこで私が言いたいのは、「あなたたちはいったいどこに向かっているのか」ということです。エホバの証人を攻撃するにあたって向かう方向を間違えれば、諸教会が自身の言うところのエホバの証人となってしまうのではないでしょうか。ヨハネ 14:14のところでも指摘したように、最近は聖神中央教会のような教会がどんどん増えていますし、とても心配です。


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