新世界訳
エホバの証人の聖書

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テモテ第一 1:14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書英語版 (NW/Reference Bible) ◇ (エホバの証人)
But the undeserved kindness of our Lord abounded exceedingly along with faith and love that is in connection with Christ Jesus.

◇ 新世界訳参照資料付き聖書日本語版 ◇ (エホバの証人)
しかし,わたしたちの主の過分のご親切が,信仰と共に,またキリスト・イエスに関連した愛[と共に],大いに満ちあふれたのです。

◇ 新世界訳聖書英語版 (NWT) [2013年改訂版] ◇ (エホバの証人)
But the undeserved kindness of our Lord abounded exceedingly along with faith and the love that is in Christ Jesus.

◇ 新世界訳聖書日本語版 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私たちの主は惜しみない親切をあふれるほど豊かに示してくださり,私が信仰とキリスト・イエスからの愛を得られるようにしてくださいました。

テモテ第二 1:13

◇ 新世界訳参照資料付き聖書英語版 (NW/Reference Bible) ◇ (エホバの証人)
Keep holding the pattern of healthful words that you heard from me with the faith and love that are in connection with Christ Jesus.

◇ 新世界訳参照資料付き聖書日本語版 ◇ (エホバの証人)
キリスト・イエスに関連した信仰と愛をもってわたしから聞いた健全な言葉の型を常に保ちなさい。

◇ 新世界訳聖書英語版 (NWT) [2013年改訂版] ◇ (エホバの証人)
Keep holding to the standard of wholesome words that you heard from me with the faith and love that result from union with Christ Jesus.

◇ 新世界訳聖書日本語版 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
私から聞いた健全な言葉の型に絶えず従い,キリスト・イエスと結ばれた人として信仰と愛を示しなさい。



 この二つの句では、“A and B of C”という構文が問題になります。このような時、CはAとBの両方を修飾しているのでしょうか。それともBだけを修飾しているのでしょうか。これは言い換えると、「キリストの信仰と愛」なのか「信仰とキリストの愛」なのかということです。
 新世界訳聖書は、テモテ第一 1:14ではBだけ、テモテ第二 1:13では両方という判断をしています。そうすると、ほぼ同じ構文が見られるところでわざわざ異なる読み方をしていることになります。どちらの読み方が間違っているということはないのですが、聖書翻訳の世界では、このようなむらがあることはあまりよくないことだとされています。
 改訂版でも訳文の傾向が同じなので、何か思うところがあって意図的にそうしているということが考えられますが、何を考えてそうしたかは定かでありません。

 ひとつに考えられるのは、「信仰」や「愛」の源が人なのかキリストなのかを判断したようだということです。テモテ第一 1:14では、信仰は人からキリストに、愛はキリストから人に、ということを考えたのかもしれません。






 職業的反対者の岩村義男氏は「神のみ名は「エホバ」か」という本の中でこの聖句についてこのように批判を語っています。



◇ 「神のみ名は「エホバ」か」, 岩村義男, いのちのことば社 (表記等修正)

 このテモテ第一1章14節では、『新世界訳』翻訳委員会の語学力のレベルに改めて首をかしげざるをえません。王国行間逐語訳を参照してください。“in Christ Jesus”(キリスト・イエスにある)は何を修飾しているでしょうか。直前の「信仰と愛」“faith and love”であることは、英語力が少しでもあればすぐにわかるはずです。
 テモテ第二1章13節も、テモテ第一 1章14節と同じギリシャ語表現です。これを見ても、『新世界訳』が一貫した翻訳とは、とても言えません。正確には「キリスト・イエスにある信仰と愛」と翻訳すべきです。



 岩村氏による「一貫性に欠ける」との指摘にはもっともなところがあると思いました。ただ、翻訳者の語学力は関係ないと思います。どちらかというと、岩村氏に多義の問題が理解できていないというところでしょうか。