エホバの証人の聖書

テモテ第一 3:11

新世界訳聖書(エホバの証人)「同様に、女たちもまじめで、人を中傷したりせず、習慣に節度を守り、すべての事に忠実であるべきです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。」


 新共同訳聖書で、「婦人の奉仕者たち」となっているところが、新世界訳聖書では「女たち」となっています。
 これについては、「新共同訳新約聖書略解」がこう言っています。

『《婦人の奉仕者たち》と訳された言葉は、直訳すれば「女性たち」である。そのため、その意味について注解者たちの意見が分かれる。もし女性一般を指すものでなければ、女性執事か執事の妻である。』

 なぜ意見が分かれるかというと、文脈の、テモテ 3:1-9が、まず「監督の職」の資格について述べた後、役職としての「奉仕者」の資格について述べているからです。
 そこで、ある人たちは、ここの「女たち」とは役職としての「女」のことを指しているのではないかと考えます。
 そこで生まれたのが、「婦人の奉仕者たち」という訳語です。新共同訳聖書はこの訳語を用いることにより、通常の「女」という語と、役職にも読める「女」という語とを区別しています。
 これは、役職としての「奉仕者」に、新世界訳聖書が「奉仕の僕」という訳語を、また、新改訳聖書が「執事」という訳語を充てているのと同じです。

 カトリックなどは伝統的に、ミサなどの時に女性に司祭の補佐をやらせているそうですから、そのように解釈するのが無難だと思うようです。
 しかし、この「女たち」を役職と読むことには聖書自身の裏付けがありません。というのも、聖書は女性が何かの役職に就くことを特に認めていないからです。意見の相違が生じるのはそのためです。
 ところが、聖書の中には女性の奉仕者について述べている記述が一つあって、このことが、この聖句の「女たち」を役職に読む根拠になると主張する人がいます。
 それはローマ 16:1です。

新世界訳聖書(エホバの証人)「わたしはあなた方に、ケンクレアにある会衆の奉仕者である、わたしたちの姉妹フォイベを推薦します。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「ケンクレアの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。」

 しかし、聖書の考え方では、クリスチャンはすべてが奉仕者ですので、女性の奉仕者に関する記述があること自体は何の根拠にもなりません。
 もしも、テモテの聖句の「女たち」が役職であると読めるのなら、ローマの聖句も役職を示唆すると読めるかもしれない、というくらいのものです。


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