新世界訳
エホバの証人の聖書

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テモテ第一 5:17

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
りっぱに主宰の任を果たす年長者たち,とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たちを,二倍の誉れに値するものとみなしなさい。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
立派に監督している長老たち,とりわけ一生懸命に話したり教えたりしている人たちは,深い敬意を受けるに値します。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の尊敬に値すると心得なさい。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。



 ここで注目したいのは、新世界訳参照資料付き聖書で「二倍の誉れ」と訳されている語です。多くの聖書は聖書はこの「誉れ」の部分を「尊敬」というふうに訳していますが、新共同訳聖書は「報酬」と訳しています。
 原典の意味合いから見て、もっとも適切な訳語を用いているのは新世界訳参照資料付き聖書のようです。しかし聖書翻訳の伝統では、この語は「尊敬」と訳すのが普通です。それは、翻訳者の良心が、「二倍の」という語のあとに実利的な意味合いのある語を用いることを許さなかったからです。この教えが「お金の話」になってしまうのはよろしくないだろうということです。
 一方の新共同訳聖書は、近年の保守的な傾向に従ったせいなのか、この伝統を覆しています。もっとも、新共同訳聖書の訳が間違っているということはありません。そのような読みは文脈からも支持されるからです。

 この点について、「聖書に対する洞察」はこう述べています。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『誉れ,敬う,尊ぶ』の項, ものみの塔聖書冊子協会

 ギリシャ語ではティメーという名詞が,「誉れ」,「尊重」,「価値」,「貴さ」といった意味を持っています。その動詞のティマオーには「値を定める」という意味もあり(マタ 27:9),名詞のティメーは「代価」や「代金」という意味を持つ場合があり(マタ 27:6; 使徒 4:34),形容詞のティミオスには「重んじられる」,「惜しい,もしくは貴重な」,「宝の,もしくは貴い」などの意味があります。―使徒 5:34; 20:24; コリ一 3:12。
 ……教えることに骨折っている長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたと思われます。(テモ一 5:17,18)



 一方で、エホバの証人の出版物には「二倍の報酬」の訳を手厳しく批判する記述があります。



◇ 「ものみの塔」誌1997年10月1日号, ものみの塔聖書冊子協会

 一部の聖書翻訳では,説教師が十分の収入を得られるようにするという意図が,言葉遣いにはっきり出ています。なるほど,「働き人はその報酬を受けるに値する」と,聖書は述べています。(テモテ第一 5:18)しかし,りっぱに主宰の任を果たす年長者たちを「二倍の誉れに値するものとみな(す)」ようにと述べるテモテ第一 5章17節で,それら一部の翻訳者が指摘できるとみなすのはただ金銭面での誉れだけなのです。(ペテロ第一 5:2と比較してください。)例えば,「新英訳聖書」は,それらの長老たちを「二倍の給与に値するものとみなすべきである」としており,また「最新英語訳」は,長老たちは「二倍の支払いを受けるに値する」と述べています。



 最後に、誤解がないように、この語によって示されている概念の要約を「聖書に対する洞察」から引用しておきます。



◇ 「聖書に対する洞察」, 『誉れ,敬う,尊ぶ』の項, ものみの塔聖書冊子協会 (表記修正)

 エホバ神とみ子は最大の誉れを受けるに値しますが,ほかにも誉れに値する人間同士の関係があります。子供は従順であることによって親を敬わなければなりません。(申 5:16[ギリシャ語セプトゥアギンタ訳]; エフェ 6:1,2)大人になっている人たちも,自分の親が困窮するような場合,進んでその事態に対応して物質面で援助することにより,親に敬意を示すことができます。(マタ 15:4-6; テモ一 5:3,4)夫は愛のこもった品位ある接し方で妻を尊ぶ一方,妻は夫に服して深い敬意を示すなら,夫を敬うことになります。(ペテ一 3:1-7)教えることに骨折っている長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたと思われます。(テモ一 5:17,18)クリスチャンの奴隷たちは,自分に割り当てられた仕事を謹んで果たすことにより,自分の主人を敬わなければなりませんでした。(テモ一 6:1,2)支配者や他の権威ある人たちには,その立場のゆえに当然の誉れを与える,すなわち敬意を示すべきです。(ロマ 13:7)どんな人も,身分にはかかわりなく,神の創造物として,誉れを受けるに値します。―ペテ一 2:17。クリスチャンは仲間の信者を敬うことに率先すべきです。(ロマ 12:10)



 この語にはたしかに「報酬」というような意味がありますが、それよりも「尊敬」の意味のほうが強く、「報酬」のニュアンスが無視されることも多いようです。
 試しに、これらをすべて「報酬」に置き換えたりするとどういうことになるだろうかと考えてください。