エホバの証人の聖書

テモテ第一 5:17

新世界訳聖書(エホバの証人)「りっぱに主宰の任を果たす年長者たち、とりわけ、話すことや教えることに骨折っている人たちを、二倍の誉れに値するものとみなしなさい。」

新改訳聖書(ファンダメンタル)「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。」

新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。」


 ここで注目したいのは、新世界訳聖書で「誉れ」と訳されている語です。
 これを新改訳聖書は「尊敬」、新共同訳聖書は「報酬」と訳しています。

 原典の意味合いから見て、もっとも適切な訳語を用いているのは新世界訳聖書です。
 しかし、昔の聖書翻訳では、この語は「尊敬」と訳すのが普通でした。これは、翻訳者の良心が、「二倍の」という語のあとに、実利的な意味合いのある語を用いることを許さなかったからです。
 一方、新共同訳聖書は、聖書翻訳の近年の保守的な傾向に沿って、この訳し方を覆しています。

 新共同訳聖書の訳が間違っているということではありません。そのような読みは文脈からも支持されるからです。
 この点について、「聖書に対する洞察」はこう述べています。

『ギリシャ語ではティメーという名詞が,「誉れ」,「尊重」,「価値」,「貴さ」といった意味を持っています。その動詞のティマオーには「値を定める」という意味もあり(マタ 27:9),名詞のティメーは「代価」や「代金」という意味を持つ場合があり(マタ 27:6; 使徒 4:34),形容詞のティミオスには「重んじられる」,「惜しい,もしくは貴重な」,「宝の,もしくは貴い」などの意味があります。―使徒 5:34; 20:24; コリ一 3:12。

 ……教えることに骨折っている長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたと思われます。』


 しかし一方で、「ものみの塔」誌1997年10月1日号はこのようなことも述べています。

『一部の聖書翻訳では,説教師が十分の収入を得られるようにするという意図が,言葉遣いにはっきり出ています。なるほど,「働き人はその報酬を受けるに値する」と,聖書は述べています。(テモテ第一 5:18)しかし,りっぱに主宰の任を果たす年長者たちを「二倍の誉れに値するものとみな(す)」ようにと述べるテモテ第一 5章17節で,それら一部の翻訳者が指摘できるとみなすのはただ金銭面での誉れだけなのです。(ペテロ第一 5:2と比較してください。)例えば,「新英訳聖書」は,それらの長老たちを「二倍の給与に値するものとみなすべきである」としており,また「最新英語訳」は,長老たちは「二倍の支払いを受けるに値する」と述べています。』


 この聖句には、良心的に許容できる解釈が二つあると思います。
 一つは、この句は「二重の誉れ」を表しており、それは「尊敬」と、「物質援助」もしくは「報酬」であるというものです。
 もう一つは、この句は「二重の報酬」を表しているが、その句の意図は、あくまで「そう見なす」ということであって、字義通りではない。
 また、ここを「二倍の報酬」と訳すことには良心の抵抗があるので、「十分な報酬」と訳している聖書もあります。
 なんといっても、ここで「二倍の誉れ」なり「二倍の報酬」なり訳されているものを受けるのは、聖書を翻訳しているその人自身なのですから、「二倍の報酬」という訳語を選ぶときには、やはり良心的な抵抗があって当然でしょう。

 誤解がないように、この語によって示されている概念を「聖書に対する洞察」から引用しておきます。

『子供は従順であることによって親を敬わなければなりません。(申 5:16; エフェ 6:1,2)大人になっている人たちも,自分の親が困窮するような場合,進んでその事態に対応して物質面で援助することにより,親に敬意を示すことができます。(マタ 15:4-6; テモ一 5:3,4)夫は愛のこもった品位ある接し方で妻を尊ぶ一方,妻は夫に服して深い敬意を示すなら,夫を敬うことになります。(ペテ一 3:1-7)教えることに骨折っている長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたと思われます。(テモ一 5:17,18)クリスチャンの奴隷たちは,自分に割り当てられた仕事を謹んで果たすことにより,自分の主人を敬わなければなりませんでした。(テモ一 6:1,2)支配者や他の権威ある人たちには,その立場のゆえに当然の誉れを与える,すなわち敬意を示すべきです。(ロマ 13:7)どんな人も,身分にはかかわりなく,神の創造物として,誉れを受けるに値します。―ペテ一 2:17。クリスチャンは仲間の信者を敬うことに率先すべきです。(ロマ 12:10)』

 もし、これをすべて「報酬」に置き換えたりするとどうなるだろうかと考えてください。


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