エホバの証人の聖書

ヘブライ 9:27


英文新世界訳聖書(エホバの証人)
And as it is reserved for men to die once for all time, but after this a judgment,

和文新世界訳聖書(エホバの証人)
そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれているように,

新改訳聖書(ファンダメンタル)
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、


 この聖句について、「エホバの証人統一協会対策香川ネット」正木弥氏は、「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」においてこう述べています。

逐語訳と新世界訳(英文)とを比較すると、後者には"for all time"がつけ加えられていることがわかります。新世界訳を見れば、「人がただ一度"かぎり"死に…」とあり。この"かぎり"の部分がそれです。全く唐突ですね。なぜ、このことばにこだわったのか、よくわかりません。第二の死を否定したかったのでしょうか。どういう理由があるにせよ、勝手につけ足すのは、聖書に対する重大犯罪です。(表記修正)

 新世界訳聖書は改竄されているのでしょうか。

口語訳聖書(プロテスタント)
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

 口語訳の内容からすると、新世界訳が改竄されているとは言えないようです。


 ここのところをギリシャ語本文で見てみますと、「一度だけ」を意味する副詞が用いられていることがわかります。また、動詞にはアオリスト動詞が使用されていることがわかります。アオリスト動詞はギリシャ語に特有のもので、たった一度限りの行為を指す時に用いられます。
 ここで使われているギリシャ語副詞を新約聖書ギリシア語辞典で調べるとこのようにあります。

1) 一度, ont time 2) 一度だけ once for all (表記修正)

 新世界訳聖書や口語訳聖書の訳文はそのニュアンスを正しく反映しており、適切だと言えるでしょう。

 正木氏の指摘している「第二の死」とは、この聖句で述べられているところの「死後に受ける裁き」によってもう一度死ぬことです。これが人にとって二回目の死であるということで「第二の死」と呼ばれます。聖句はまず第一の死について述べ、次いで裁きについて述べていますので、新世界訳の訳文に何ら神学上の問題は無いでしょう。


 ここで、聖書の述べる「第二の死」についてわかりやすく説明したいと思います。

 聖書には千年王国に関する記述があります。その記述によると、千年王国の終わりには人類の大規模な裁きが行われることになっています。これは一般に「最後の審判」と呼ばれています。

啓示(黙示録) 20:11-15
新世界訳聖書(エホバの証人)
またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった。そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,[数々の]巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた。

 聖書はこの裁きを受けるために死んだ人が生き返ると述べています。いったん生き返るというのがここでのポイントです。たとえばイエスはこのように語っています。

ヨハネ 5:28-29
新世界訳聖書(エホバの証人)
このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと[出て来るのです]。

 裁かれる人は、一度死んで、復活して、それからまた死ぬので、それを「第二の死」と言います。
 一方で、この復活には関わらない人もいます。

啓示(黙示録) 20:4-6
新世界訳聖書(エホバの証人)
またわたしは,[数々の]座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた。実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストと共に千年のあいだ王として支配した。(残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかった。)これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する。

 裁きは千年王国の終わりに行われることになっていますが、ある人たちは千年王国でキリストと共に支配を行うために召され、千年王国の前に復活します。この復活は「第一の復活」と呼ばれています。彼らは千年王国で裁きを受けないため、第二の死を受けることもありません。裁きのために復活する人たちの復活は第二の復活となります。

 聖書によると、復活には二つの種類があります。ひとつは、「人類からの復活の初穂」また「第一の復活」と呼ばれる、千年王国で支配する人のための復活です。もうひとつは千年王国での復活です。現代キリスト教では千年王国の教えは否定されており、それに伴って第二の復活は無視されがちですので注意が必要です。この点によく注意を払うなら、いま取り上げているヘブライ 9:27が第一の復活ではなく第二の復活について述べているのだということが正しく理解できるようになります。第一の復活を遂げる人は聖霊によって召されキリストと結ばれていますので死後の裁きを受けません。

 余談になりますが、エホバの証人はよくハルマゲドンの教理について非難されます。聖書が、ハルマゲドンの裁きでは人類の大半が死に、エホバを求める者だけが救われると教えているからです。しかしそれはハルマゲドンに限ったことです。ハルマゲドンは千年王国の前にある出来事であり、最後の審判と同じではありません。そして、最後の審判に先だつ第二の復活とは言い換えるなら「一般人の復活」です。聖書は、キリストに信仰を働かせた人たちだけでなく信仰を働かせなかった一般の人たちも救われることを述べ、そのために千年王国があると教えているのですから、これらをトータルで考えればよいのではないかと私は思います。
 エホバの証人はこのような考え方を一部要素においては認めていません。しかし、それは現在の生者たちが人生を怠ける口実を見つけてしまうことがないための保護の働きをしているのではないかと私は思ったりします。ですから、ハルマゲドンを肯定するエホバの証人より、千年王国を否定しているキリスト教諸教会のほうが、よりこの種の非難に値するのではないか、と私は思います。


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