新世界訳
エホバの証人の聖書

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ペテロ第二 2:11

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
しかしみ使いたちは,強さと力において勝っていながら,彼らをあしざまに訴えたりはしません。[そうしないのは]エホバに対する敬意からです。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
天使たちは,偽りを教える人たちより強さも力も勝っていますが,エホバに敬意を抱いているので,彼らを悪く言って訴えたりはしません。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
これに対し、天使たちは、権威にも力にもまさっているのに、主の前で彼らを訴えそしることはしません。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
天使たちは、力も権能もはるかにまさっているにもかかわらず、主の御前で彼らをそしったり訴え出たりはしません。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
それに比べると、御使いたちは、勢いにも力にもまさっているにもかかわらず、主の御前に彼らをそしって訴えることはしません。



 ここは「主の前に」のところで解釈と翻訳が難しいというところがあり、新世界訳聖書は「エホバへの敬意により」というふうに訳出しています。

 聖書には「神の前」という表現の慣用法があります。このような場合、「神の前」という表現が使われているからといって、誰かが神の前に立っているとか、神の前まで出頭したなどと考えてはなりません。この聖句を原典で見ると「神の前」とは違う言い回しが使われていますが、同じように考えることができます。



ローマ 14:22

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。

コリント第二 12:19

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
あなた方はこれまでずっと,わたしたちがあなた方に対して自分の弁護をしていると考えてきたでしょうか。わたしたちは神のみ前で,キリストにあって語っているのです。しかし,愛する者たちよ,すべての事はあなた方を築き上げるためなのです。

ガラテア 1:20

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
さて,わたしが[今]あなた方に書いている事柄について言えば,ご覧なさい,わたしは神のみ前にあって偽りを語ってはいません。

テモテ第二 2:14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
これらのことをいつも彼らに思い出させなさい。言葉のことで争わないようにと,証人である神のみ前で彼らに言い渡しなさい。それは聴いている者たちを覆すだけで,何の役にも立たないのです。



 こういった表現の多くは、字義通りに訳出したとしても問題にはなりません。対象が人間だからです。しかし、ペテロ第二 2:11のように、対象が天使であるとなると話は変わってきます。天使は文字通り神の前に立つことができるからです。
 というわけで、この聖句を字義通りに訳出すると、いろいろと誤解が生じることになります。ある人は、天使たちが悪人を訴えるために神の前まで出ていくことを遠慮してしまう、という場面を想像します。またある人は、神の見ているところではおとなしくしている天使たちが、神の見ていないところでは悪人のことをののしっていると思います。
 新世界訳聖書は、そのような誤解を避けるために訳文を工夫したようです。この聖句が言っているのは、天使たちは自分の身分をわきまえていて、それで、いつであろうとどこであろうと決して、神に決める権限があるようなことに口出ししたりはしないということです。






 さて、翻訳の話から逸れることになりますが、この聖句は実質的には禁止令であるということを指摘したいと思います。

 この句が暗に述べているのは、「天使より身分の低い人間はなおのことそうすべきだ」ということです。世の中には、自分の敵である人や邪悪な人たちを『悪魔』呼ばわりして断罪するような人がいたりしますが、そんなことはやめなさい、ということを言っています。現に聖書はそういう醜態を見せたりしません。後代になってキリスト教はこの教えを無視するようになりましたが、聖書自体は逆のことを教えています。

 文脈を見ると、この聖句は特に背教者について語っています。現代のエホバの証人においても、背教者の特徴となっているのは悪口と断罪です。しかしエホバの証人は彼らに対して抗戦することをかなり我慢していて、聖書のこの教えによく従っているということが言えそうです。
 このウエブサイトを運営している私も、時に背教者に対して厳しいことを言うことはあるのですが、聖書のこの命令になるべく従うように心がけています。

 もしあなたが、エホバの証人のことを批判する本やウエブサイトを見ることがあったら、一度、ペテロ第二 2章を読んだうえで、批判のやりすぎということはないだろうか、ということを考えるとよいと思います。



○ 課題

 ペテロ第二 2章では、背教者をののしったり断罪することが禁止されていますが、全面的に禁止されているわけではありません。それは、この記述自身が彼らの醜態を批判していることからも明らかです。では、ペテロ第二 2章を読み、聖書がどのへんに線引きをしようとしているかを考えてみましょう。






 エホバの証人統一協会対策香川ネット正木弥氏は、この聖句についてこのように批評しています。



◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)

 英文新世界訳で「[not doing so] out of respect for Jehovah」と訳してありますが、根拠がありません。ギリシャ語本文なり、逐語訳なりと比べて見ればそれがわかります。"respect"なる概念がどこから出てきたのでしょうか。