エホバの証人の聖書

ヨハネ第一 5:20

新世界訳聖書(エホバの証人)
しかしわたしたちは、神のみ子が来て、真実な方について知ることができるよう、わたしたちに知的な能力を与えてくださったことを知っています。そしてわたしたちは、み子イエス・キリストによって、真実な方と結ばれていますこの方こそまことの神であり、永遠の命です。

新改訳聖書(ファンダメンタル)
しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのですこの方こそ、まことの神、永遠の命です。


 訳し方の違いにより、「この方」の意味するところが変わっています。新改訳聖書では「真実な方はイエスでありまことの神である」というニュアンスなっていますが、新世界訳聖書ではそうなっていません。「真実な方である神」と「イエス」とが区別されています。そのため、エホバの証人に反対する人たちは、「新世界訳聖書のこの聖句は改竄されている」と主張しています。
 新世界訳は改竄されているのでしょうか。

バルバロ訳聖書(カトリック)
また神のみ子がすでに来られ、真実のお方を知るための知恵を私たちに授けられたことも知っている。私たちはそのみ子イエズス・キリストによって真実のお方のうちにいるそれは真実の神であって、永遠の命である。

 バルバロ訳聖書の内容からすると、どうやら新世界訳聖書は改竄されているとは言えないようです。


 この聖句は、原典を見ると、文法的にどちらの読み方も可能なんだそうです。
 ここのギリシャ語は“We are in the A in the B”の形になっています。そこで、二つある“in the X”を直列の意味に読むことも並列の意味に読むことも可能です。また、ギリシャ語の文法により、in は手段を表す「……によって」と読むことができます。

 口語訳聖書は中立的な訳を採用しています。

口語訳聖書(プロテスタント)
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのであるこのかたは真実な神であり、永遠のいのちである。

 この訳文は、「真実な方」と「御子イエス・キリスト」との関係を明示していません。
 しかし、同じ中立的な読みを採用しながら、続く「この方」のところをこのように訳しているものもあります。

フランシスコ会聖書研究所訳聖書(カトリック)
また、神の子が来て、わたしたちがまことの神を知るために、悟る力を与えてくださったことも知っています。わたしたちはまことの神の中におり、また、そのおん子イエズス・キリストの中におりますイエズス・キリストこそ、まことの神であり、永遠の命であります。


 この聖句の訳し方については、カール・ラーナー(神学者・カトリック・1904〜1984)「神学的研究」の中でこのように述べています。

聖ヨハネの第一の書簡において,o qeoV[ホ・セオス,『まことの神』]は非常にしばしば,確実に父(エホバ)を意味するから,o qeoVが関係している主題に何かの理解できない変化が起こったと考えなくてもよいかぎり,それはこの書簡全体において父(エホバ)と解釈されねばならないことに注目すべきである。(「目ざめよ!」誌1972年6月22日号より) (一部追記)

 あとは翻訳者が三位一体論をどう思うかです。


 ちなみに、ここで紹介されている、カール・ラーナーという方は、ドイツのカトリック神学者で、世界的権威と言える方なんですが、彼の三位一体に対するスタンスについては、「クリスチャン・センチュリー」誌1971年5月15日号がこのように指摘しています。

彼は進んでイエスを『主また救い主』として説明するが,イエスを神と呼ぶことまではしない。(「ものみの塔」誌1972年9月15日号より)(一部表記訂正)

 また彼は、「神学辞典」の中でこう述べています。

三位一体は……厳密な意味で……奥義であり……啓示なくしては知り得なかった事柄である。また,啓示を受けても,その全体は分からないのである。(「あなたは三位一体を信ずるべきですか」より)


追記になります。

 この聖句についての興味深い記事が「ものみの塔」誌2004年10月15日号に載せられました。
 それによりますと、三位一体論者の中には、ここで「この方」と訳されている代名詞フートスについて、「これは直前に記述されている者を必ず示す語である」という文法理論を展開される方がおられるそうです。その考え方によると、原典の語の並び方から考えるに、「この方」は直前にあるキリストを指しており、神を指してはいません。
 しかし記事は、権威ある学者の多くがこういう考え方を受け入れていないと指摘し、ローマ法王庁が発行している「新約聖書のギリシャ語文法解析」などから引用しています。
 さらに、ヨハネ第二 7など幾つかの聖句にあるフートスについて考えてみるようにとも述べています。

ヨハネ第二 7
新世界訳聖書(エホバの証人)「というのは,欺く者が多く世に出たからです。すなわち,イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たちです。それは欺く者,反キリストです。」

 ギリシャ語原典を参照してみると、「それは(フートス)」の直前に来るのは「告白しない者たち」ではなく、「イエス・キリスト」です。


 この聖句について、「エホバの証人統一協会対策香川ネット」正木弥氏は、「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」においてこう述べています。

この箇所では、新世界訳(英文)は逐語訳から大きく離れています。逐語訳はギリシャ語本文の意味を素直に表していますから、新世界約(英文)がギリシャ語本文から離れているということです。逐語訳で"in"とあるところを、新世界訳では"in union with"に変えていますが、この二つのことばは、当然、意味が違います。前者は、中に浸る、中にいる、という一体性を示そうとする語ですが、後者は、外的な連結性を示すものです。置き換えるべきでない言葉で置き換えているのです。
また新世界訳(英文)で"by means of"の意味は原文のどこにあるのでしょうか。このように訳す根拠は全くありません。第三段の冒頭の語"this (one)"が、第二段の"the Son of him…"にかかっていくのでは、み子=まことの神 という図式になりますが、それは、ものみの塔・エホバの証人の教理に反して困るのです。それを避けるために、第二段の"the ture (one)"にかかるようにしたのが"by means of"の語であるわけです。
要するに、ここでも、自分たちの教理を守るために、聖書のことばをいじくって、別の意味に変えたのです。聖書に教理を合わせるのではなく、教理に聖書を合わせる、それがものみの塔のやり方なのです。
(表記修正)

 ここで問題となっているのは、上で示した“We are in the A in the B”の構文の“in”に相当するギリシャ語エンです。すでに述べたように、この語は手段を表す「……によって」と読むことができます。また、この語には領域的な用法というものがあってその場合は「結ばれる」という意味になります。
 正木氏は、この語には“in union with (結ばれる)”という意味や、“by means of (……によって)”という意味があるということを否定し、「置き換えるべきでない言葉で置き換えている」、「このように訳す根拠は全くありません」と指摘しています。
 これはギリシャ語の辞書を引いて例文でも読んで確認すれば済むことです。正木氏はギリシャ語の辞書を持っていないのでしょうか……。

 ギリシャ語エンについては、ヨハネ 6:56の項で詳しく取り上げていますので、そちらをごらんください。


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