新世界訳
エホバの証人の聖書

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啓示(黙示録) 3:14

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
「また,ラオデキアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。アーメンなる者,忠実で真実な証人,神による創造の初めである者がこのように言う。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
ラオデキアにある会衆の使者に書き送りなさい。アーメンである者,忠実で真実な証人,神に最初に創造された者が,こう言います。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
ラオディキアにある教会の天使に、こう書き送れ。『アーメンである方、忠実で真実な証人、神に造られたものの源である方が、こう言われる。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。



 この聖句では、ほとんどの聖書が原典の意味を修正して訳出しているようです。現在主流となっている聖書のなかで、これを字義通りに訳出しているのは新世界訳聖書くらいです。
 というのも、この聖句には、現在のキリスト教において極めて重要な「三位一体(さんみいったい)」の教理との矛盾があるからです。

 原始キリスト教は、イエスのことを文字通りの意味で神の子であると考えていました。イエスは神から産まれたということです。このことは、原始キリスト教の書物である聖書自身によって語られています。聖書の説明によると、神はまず最初にイエスを創造し、続いてイエスが、この世界のすべてのものを創造しました。というわけで聖書は、イエスのことを「神の独り子」また「初子」と呼びます。しかし、キリスト教成立から数百年が過ぎると、キリスト教は三位一体の教理を構築するようになりました。三位一体の教理によると、イエスは神です。よって、イエスは永遠の昔から存在していて、誰かから産まれたなどということはありません。

 キリスト教が三位一体の教えを採用するようになると、聖書の中のいくつかの句がその教えに合わせて読み替えられるようになりました。その中でも代表的なのが、この句と、もうひとつ、コロサイ 1:15です。



コロサイ 1:15

◇ 新世界訳参照資料付き聖書 ◇ (エホバの証人)
彼は見えない神の像であって,全創造物の初子です。

◇ 新世界訳聖書 [2019年改訂版] ◇ (エホバの証人)
神の子は,目に見えない神に似た者であり,全創造物の中の初子です。

◇ 聖書協会共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
御子は、見えない神のかたちであり すべてのものが造られる前に 最初に生まれた方です。

◇ 新共同訳聖書 ◇ (カトリックとプロテスタント)
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

◇ 口語訳聖書 ◇ (プロテスタント)
御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。

◇ 新改訳聖書 [2017年版] ◇ (ファンダメンタル)
御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

◇ 新改訳聖書 [第三版] ◇ (ファンダメンタル)
見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。



 まず、コロサイ 1:15では、「全創造物“の中で”最初に生まれた」という言い回しが「全創造物“より”最初に生まれた」という具合に読み替えられます。続いて、この文書のテーマとなっている啓示 3:14では、「神による創造物の“最初”」という言い回しが「神による創造物の“源”」と読み替えられています。

 しかしこれはなかなか不自然な読み替えであるようです。
 コロサイ 1:15の場合、「全創造物“より”最初に」と訳せば、理屈としては「イエスは創造物に含まれないんだ」ということになりますが、その直後に「生まれた」という言葉がありますので、「じゃあイエスは何から生まれたんだ」とか「何かから生まれたんなら創造物に含まれるんじゃないか」とかいうことになってしまいます。
 啓示 3:14の「神による創造物の源である方」とはつまるところ「神」のことですが、これは不自然すぎる言い回しです。普通なら、単に「創造者」と言うか、「創造の源である方」と言うはずです。たとえばですが、一般的な進化論では「海は生命誕生の舞台となった」と言われています。これをわざわざ「海は、海による生命誕生の発生源だ」とか「海による生命誕生の発生源である海」と言ったりするでしょうか。

 とはいえ、現代のキリスト教において三位一体の教理は極めて重要で神聖なものです。諸教会にはこれらの句の改変を改めるつもりはまったくないようです。それどころか、聖書を書き換えてしまっているのは自分たちだという事実を差し置いて新世界訳聖書を攻撃し、「エホバの証人は聖書を改竄している」とか「新世界訳聖書は偽物の聖書だ」ということを言ってきました。

 とはいえ、そんな諸教会にとってかなりショッキングなことが生じます。岩波書店の企画により、日本を代表する神学者たちが総力を結集して聖書の訳業を行い、学術的に価値のある聖書というものが出版されたのです。



コロサイ 1:15

◇ 岩波訳聖書 (新約聖書翻訳委員会訳聖書) ◇ (エキュメニカル)
この方は見えざる神の形姿。あらゆる創造の〔内で〕最初の誕生者

啓示(黙示録) 3:14

◇ 岩波訳聖書 (新約聖書翻訳委員会訳聖書) ◇ (エキュメニカル)
ラオデキアにある教会の使いには、こう書き送れ。『アーメンである者、すなわち忠実にして真実なる証人、神の被造物の初めである者が、次のように語っている。



 岩波訳聖書は、まずコロサイ 1:15に、わざわざ「内で」という語を挿入して、読み替えなど全くできないようにしました。続いて啓示 3:14でも、新世界訳聖書と同じように字義通りの訳出を行いました。
 この聖書が出版されたことで、諸教会は事実上絶句した状態になりました。今では新世界訳聖書に対する攻撃もかなり弱くなっています。

 「ものみの塔」はこの聖句の問題について次のような指摘を行っています。



◇ 「ものみの塔」誌1975年6月15日号, ものみの塔聖書冊子協会

 黙示録 3章14節において,み子は「神に造られたものの根源であるかた」(口語訳),「神の創造の根源」(アメリカ訳),「神の創造の初め」(欽定訳)と呼ばれています。多くの人の論ずるところによると,これはみ子が創造の創始者あるいは創造者であったという意味です。しかしそれはこの聖句が言わんとしている事ではありません。三位一体論者の中にさえ,このような説明の間違いを認めている人がいます。
 神学者アルバート・バーンズは,「初め」あるいは「根源」と訳されているギリシャ語について次のように述べています。「この語は物事の初まりを示しており,創始者であることを示すものではない。そして時間における首位,地位における首位を正しく示すが,何かを存在させるという意味での首位を示すものではない……ゆえにこの語は,その方が何かを存在させるという意味で,あるものの初めであることを示すものとして,創造者という意味には用いられていない」― バーンズの新約聖書注解,1569ページ。
 このあと,この神学者はキリストが創造されたという意味に黙示録 3章14節(口語訳)をとり得ることを認めて,こう述べています。「キリストがたしかに創造された者であり,神の造った最初の者であることが他の箇所から示されるならば,この語がその事実を適確に表明するものであることは否定できない」。
 三位一体論者であるゆえにバーンズはこの事実を受け入れず,他の聖句はイエスがみずから創造者であり,したがって創造された者ではなくて永遠であることを証明していると主張します。



 また、「目ざめよ!」は、啓示 3:14の「初め」を「源」と読み替えることは可能だとする見解には難があるということについてこのように言っています。



◇ 「目ざめよ!」誌1979年7月8日号, ものみの塔聖書冊子協会

 「解説者のギリシャ語聖書」によれば,啓示 3章14節を,イエスが最初に創造された方ではなく,創造の“活動源”という意味に解釈するためには,アルケーを「ギリシャ哲学や[非聖書的]ユダヤ人の知恵の書におけるアイティアつまり起源」と同じものと解釈しなければなりません。



 ギリシャ語アルケーとギリシャ語アイティアは違うということです。






 エホバの証人統一協会対策香川ネット正木弥氏は、この聖句についてこのように解説しています。



◇ 「ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書」, 正木弥 (表記修正)

 ギリシャ語του Θεουは属格(英語の所有格)のことばです。そこで逐語訳でも、"of the god "と訳されているのです。従って新世界訳(英文)のように"by God" と訳すのは誤りです。その誤りを、新世界訳(日本語)は忠実に引き継いだので、「神による創造」と誤訳しました。「神の」と訳さねばなりません。そうするとギリシャ語のαρχηは「初め」ではなく"chief"とか"ruler(支配者)"あるいは"origin"とか"source(至源、根源)"と訳すほうが無理がありません。イエスは創造者ですから、創造や創造物、時間などより前からおられた方であることは、聖書の全体から言えることです。新世界訳が「神による」と訳したいのは、イエスが被造物である、というものみの塔の教理が先にあるからです。その前提を離れて素直に訳せば「神による」と変える必要がないのです。



 これがどういう意味なのか正確に理解できる方はほとんどいないと思います。私にもさっぱり解りません。

 この文章の内容を考えるにあたって必要な点は三点あります。
 一つ目は聖書ギリシャ語の「属格」についてです。彼が属格について言っていることは間違ってはいないのですが、聖書のギリシャ語の属格の用法は幅が広いので、それを無視してしまうというのは正しくありません。



◇ 「新約聖書ギリシャ語原典入門」, J・G・メイチェン (表記等修正)

 属格は所有をあらわす。すなわち λόγοι ἀποστόλων は「使徒たちの言葉」(words of apostles 又は apostles' words)の意である。しかし、属格には他の多くの用法があるが、それは考察によって学ばなければならない。



 二つ目に、じゃあこの属格はなんなのかというと、所有です。所有の対象になっているものは「創造」の名詞形で、実質的に動詞です。「創造する」という動作を神が所有しているので、「神による創造」もしくは「神に創造されたもの」となります。現にほとんどの聖書はそういう意味の訳出をしています。
 三つ目に、「神の」が属格であることは、この聖句の争点と何の関係もありません。