新世界訳
エホバの証人の聖書

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◆ エホバの証人のコラム ◆
#01 エホバの証人をカルトと呼ぶ人たち



 このウエブサイトの趣旨は、聖書翻訳としての新世界訳聖書を取り上げて擁護したり批評したりすることにありますが、新たな趣向として、すこし聖書翻訳の話題から離れ、エホバの証人に関連したコラムの連載を行うことにしました。
 エホバの証人と社会の関わりや、職業的反対者の動向、エホバの証人信仰の実状、エホバの証人についての宗教学者の見解など、様々な話題を取り上げ、エホバの証人内外の理解を深めることができれば幸いです。






 おおざっぱな言い方をすると、現在、エホバの証人をカルト呼ばわりする人たちは大きく二つのグループに分類できます。キリスト教世界に属する見方を持つ人たちと、一般的な見方を持つ人たちです。

 現行のほとんどのキリスト教派は、少なくとも公式には、エホバの証人のことを『異端』つまり偽のキリスト教だと見なしています。そして、これらの宗教に属する多くの人は「異端はカルト化するもの」という認識を抱いています。その結果キリスト教の諸教会は、エホバの証人のことを「キリスト教の典型的な異端またカルト」と見なすようになりました。つまり、エホバの証人は、(1)神やイエス・キリストの神性を否定し、(2)聖書の一部分だけを取り上げて(3)自分たちの都合の良いようにいいかげんに解釈し、(4)聖書よりも俗人の指導者や教団組織を重んじる宗教であり、(5)信者たちはマインドコントロールを施されて自分で考えることができなくなり、(6)家庭崩壊を始めとする様々な社会的弊害を生じさせていると考えます。

 一般の人たちは、カルトについてのありがちな印象にしたがってエホバの証人をカルトと呼ばわったり、あるいは、ある程度の知識に基づいて彼らを「原始宗教的なカルト」だと評価したりします。このうち、印象によるものは無知による誤解や偏見に過ぎないので、ここでは無視してしまいます。
 このグループは、エホバの証人は、(1)神やイエス・キリストを本気で信じており、(2)聖書をあますところなくすべて取り上げて(3)厳密に解釈・運用し、(4)人や組織を聖書ほどには信じない宗教であると考えます。このグループは、この宗教の信者たちが洗脳されているとかそれで家庭崩壊が生じているということを想定しません。彼らのほとんどは「この宗教は無害だ」と言います。

 長年、これらの人たちが非常に気にしてきたのが、エホバの証人という宗教に特有の教条である『輸血拒否』です。
 一方の主張するところによれば、エホバの証人が輸血を拒否するのは、彼らが聖書の一部だけを取り上げて曲解しているからです。他方の主張するところによれば、エホバの証人が輸血を拒否するのは、彼らが聖書を一部とは言わず全部取り上げて厳密に解釈してしまうからです。いずれにせよ、この信条を根拠に「エホバの証人は危険なカルトである」という結論が導かれてきました。

 21世紀の始まった頃、キリスト教世界の視点は非常に優勢でしたが、徐々に弱まり始め、今はほとんど崩壊した状態にあります。背景には、世の中が宗教への偏見に対して厳しい見方をするようになった、学者たちがこの宗教を学術的に扱うようになった、ということがあります。長年にわたってエホバの証人がカルトであることを証明するものとして語られてきた輸血拒否も、現在では根拠にならないと見なされるようになっています。






 このことを詳しく見ていきましょう。

 キリスト教世界の視点の土台となっているのは、自衛ということが発端となった『異端』思想です。
 エホバの証人は、19世紀に『原始キリスト教の復興』ということを志して創始されたキリスト教派です。エホバの証人のほかにも同じようなことを言う教派はありますが、そのほとんどが言うだけです。しかし、エホバの証人は本気になって「実践」ということに励みました。たとえば、エホバの証人には「教会」はなく、集会所には「十字架」もありません。クリスマスとイースターの祝いは禁止されていますし、聖書伝道に励むことなど聖書が命令として述べていることはすべて信者に義務付けられています。これが、現行のキリスト教諸教会にとっては非常に不愉快で受け入れられないことだったのです。
 背景となっているのが、もともとのキリスト教と現代のキリスト教との違いの大きさです。たとえば「十字架」ひとつ取ってみても、全然違います。原始キリスト教は十字架を何かに飾り付けてそれに祈りを捧げたりしませんでした。そして、現代のキリスト教では、この種の問題は気にしないことになっています。
 そこに、エホバの証人という教派が現れました。彼らは雰囲気を読まず、お約束を無視して、これまで口先では言われていたことを本気で実践し始めました。しかも、彼らの歴史が始まった初期には、周辺の諸教会に改革を促すということもしていました。その結果、エホバの証人と諸教会は対立し、とうとう戦争状態となりました。
 まず諸教会は、「エホバの証人のやっていることが“原始キリスト教の復興”であることを認められるだろうか」という深刻な問いに直面しました。これを認めてしまうと、自分たちが正しいキリスト教ではないことを認めたことになってしまいます。結局、諸教会はこの問いを完全に否定することにしました。多くの教会は現在でもこの立場を固守しています。続いて、エホバの証人が原始キリスト教の復興を志して実践したことを逆手にとることが行われるようになりました。例えば、エホバの証人は十字架を用いずそれに祈りを捧げることもしません。そこで諸教会は「エホバの証人は十字架を否定する反キリスト教的な教団だ」ということを言い始めました。やがて、この主張は「エホバの証人はイエス・キリストが神の子であることも救い主であることも否定する“悪魔の教団”である」という過激なものに変容していきました。
 驚くべきことに、『エホバの証人はキリストを否定する』とするこの主張は、100年ほどの間、キリスト教会内で本当に信じられてきました。エホバの証人は声をあげてそれを否定し続けましたが、諸教会とその信徒たちはそろってその反論を無視しました。今でも、古本屋に行ってすこし古めのキリスト教書籍を読んだりすると、「エホバの証人はキリストが神の子であることを否定する」、「キリストの贖い (キリストが救いであること) を否定する」という記述が普通に見つかります。
 偏見はエスカレートしていきます。そのうち諸教会は、「エホバの証人は世界で最も危険なカルト宗教である」ということを主張しはじめ、その主張を広める団体を設立するまでになりました。
 最近はさすがにこのような過激な思想は使えなくなっています。しかし、諸教会は基本的な結論を変えてはいません。つまり、エホバの証人は異端であるということです。

 キリスト教の見解が衰退していく一方で台頭してきたのが一般の見解です。
 それは、「エホバの証人はカルトである」というよりは「まるでカルトのように見える」という認識です。キリスト教に限らず宗教というものは、その教えを厳密に守れば守るほどカルトに近づいていくようにできているものです。エホバの証人はこの法則によくあてはまるというわけです。この見解に従う人たちは、「彼らは宗教を真面目にやっているのでカルトに見えてしまうんだ」と言います。エホバの証人を本気になってカルト呼ばわりしているわけではありませんので、この見解にはあまり勢いがなく、これはこれで衰退する傾向にあります。

 ところでですが、最近になって、エホバの証人から派生した脱宗教的な思想グループが社会の注目を集めるようになっています。
 1990年代にインターネットが普及し始めると、信者、元信者、二世といった立場の人たちが、キリスト教会で共有されているエホバの証人についての過激な思想に簡単にアクセスできるようになりました。それらの情報は、エホバの証人がたいへん危険なカルト宗教であるということを生々しく描写しています。その結果、これらの人たちの中に、こういった思想を現実だと認識する層が現れるようになりました。やがて彼らはインターネットを介して組織化していきます。
 このグループの特徴となっているのは、特殊な現実感覚と演技性と異常な告発です。
 エホバの証人にかかわるほとんど全ての人はこのグループを相手にしません。宗教学者たちもこのグループを実質的にカルトだとみなしているそうです。しかし、彼らによる「悲惨な実態」、「深刻な被害」、「児童虐待」といった表現を伴った告発は、世間の同意と同情を得やすく、明らかに事実でない情報がメディアによって広められることもたびたび生じています。






 この文書が改訂された2020年の時点で、エホバの証人の社会的地位は大幅に向上しています。21世紀の初頭には、エホバの証人はカルトであるという社会的認識は不動で、世界中のいろいろな国でエホバの証人を規制する法律案が作られていたというのに、それが嘘みたいです。

 ここで、現在のエホバの証人の社会的地位の向上を示すものとして、エホバの証人の公式ウエブサイト jw.org のランキングというものを見てみたいと思います。
 これは SimilarWeb というところが作成しています。2020年5月29日の時点で、jw.org は「宗教(Faith and Beliefs)」のカテゴリで堂々の1位、インターネット全体で134位です。134位というのはすさまじいですね。jw.org は単にランクが高いだけでなく、内容の評価のほうも高く、グローバルなウエブサイトの手本だと言われています。
 日本はエホバの証人に対する社会的認識という点では鎖国状態にありますので、ここ最近のエホバの証人の爆発的地位向上ということを知らない状態にあります。ですから、このランキングを見た方のほとんどは唖然とされると思います。いったいいつのまに、どうしてこうなった、と思うはずです。






 このような劇的変化をもたらした要因の一つとして、エホバの証人に対する国際機関の態度の変化ということも指摘できるでしょう。今では、国際連合、EUという具合に、主だった国際機関が足並みをそろえてエホバの証人を擁護するようになっています。彼らはついこの間までエホバの証人のことを規制しようとしていたわけですから、大変化です。その背景には、エホバの証人に対するもうひとつの偏見が衰退してきたということがあります。
 ヨーロッパでは、キリスト教の諸教会により長年にわたって「エホバの証人から家庭を守る運動」ということが行われてきました。それもかなり熱心に行われました。諸教会による“社会貢献”によって、「エホバの証人は家庭を破壊する宗教である」という認識はヨーロッパ全体に広がり不動のものとなっていました。それに対してエホバの証人は反論してこう言いました。そのような主張には統計の裏付けがあるのですか、そのようなものはないはずです。ところがそのような反論は無視されるばかりでした。
 しかし、世界的にカルト宗教の問題が取りざたされるようになると、ヨーロッパのいくつかの国でエホバの証人を規制しようとする動きが始まり、こうして、エホバの証人が家庭を崩壊させることの学術的根拠をそろえることが必要になってきました。こうして、ようやく統計ということに目が向くようになりました。
 いったん統計に注目する流れになると、話はがらりと変わってしまいました。エホバの証人の離婚率と別居率は、社会全体と比べてほぼ10分の1だったのです。そののち、ヨーロッパ人権裁判所によって“エホバの証人が家庭を崩壊させたとされる事例”に関する広範囲な調査も行われましたが、結果はエホバの証人にとって非常に良いものでした。こうして、エホバの証人が家庭にとってなんら危険な宗教ではないことが証明されると、ドミノ倒し的に他の偏見もなくなっていきました。
 現在、宗教学者の間では、エホバの証人がカルトであるとの主張は宗教的見解の一種であると認識されています。そういった変化に伴って、国際機関も態度を変えるようになりました。






 今、エホバの証人の社会的地位はさらにもう一つ上がりそうな気配です。世界の指導的宗教の仲間入り、というところまで行くのかもしれません。

 では、あなたはエホバの証人のことをどう思われるでしょうか。エホバの証人はカルトだと思いますか。思うとしたら、どうしてだと説明しますか。エホバの証人はどんな種類のカルトだと説明しますか。
 エホバの証人をカルトだと思う人のほとんどは、具体的な根拠もたいしてなく、ただイメージ的にそう思っているに過ぎないようです。また、具体的な根拠を示す人も、多くは偏見につかれてそう言うようです。

 このコラムでは、こういった話題から逃げることなく、むしろ積極的に取り上げることにより、また率直に事実を語ることにより、信者の側から見たその諸相を明らかにしていこうと思っています。