新世界訳
エホバの証人の聖書

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◆ エホバの証人のコラム ◆
#06 宗教による社会の浸食



 このコラムの先の記事では、成熟した宗教は自分の内側の世界と外側の世界を区別し、外に向かっては自由の制限を求めないということを指摘しました。しかし一部のカルト化した宗教ではこのルールが守られていないということにも言及しました。
 ところがキリスト教の領域には、カルトじゃないけどそんなルールは守りません、というグループが存在しています。ファンダメンタルと言われている(根本主義とも原理主義とも福音派とも呼ばれる)人たちです。
 ファンダメンタルのこの傾向が特に目立つ国にアメリカがあります。アメリカのファンダメンタルは、自分たちの信条に合わせて世の中を作り替えていこうと企み、そのために政治に手を出すことでよく知られるようになっています。

 しばらく前、ファンタジー小説のハリー・ポッターシリーズが映画化された頃、ファンダメンタルの人たちが図書館に圧力をかけたということがありました。彼らの意見では、オカルトを題材にした作品が子供たちの目に触れるのは非常に良くないということでした。そこで彼らは、この小説が学校などの図書館に置かれることに反対する社会運動を始めます。どうなったでしょうか。ファンダメンタルからの圧力を受けて、多くの図書館がこの小説を片付けてしまったと言われています。

 ファンダメンタルが合衆国最高裁判所の判事の選任に関する運動を推し進めたこともありました。彼らが目標として掲げたのは、最高裁の判決による堕胎の禁止です。そのためには堕胎を嫌悪する判事の選任が必要だというわけです。
 さらに最近では、ファンダメンタルがアメリカ大統領選に深く関与する様子が見られています。動機の一つに、イスラエルに対するアメリカの政策が、神殿の復興に関する彼らの信条に調和したものとなるよう仕向けることがあるとされています。

 このような話はたくさんありますが、その中でも特に伝統的なテーマとなっているのが「創造論」の普及です。創造論は進化論と対立します。



◇ 「キリンの首 ― ダーウィンはどこで間違ったか」, フランシス・ヒッチング (表記等修正)

 (アメリカにおいて)進化論に反対する根本主義(ファンダメンタリズム)が復活した年は、1963年と定めることができる。この年に、アメリカ科学同盟(「神のおことばとキリスト教信仰に対する忠誠心を共有する男女科学者」に会員を限定している団体)に属する10人の福音主義者が、同盟の特殊創造に対する取り組み方が中途半ぱであるとの不満を表明し、カリフォルニア州オレンジに創造研究協会(CRS)を設立したのである。……これは時宜にかなった動きだった。というのも、その同じ年に最高裁判所が、無信仰の児童に学校でむりやりお祈りを読ませることは違憲だとの判決を下したからである。
 この判決を逆手にとれば自分たちの側に都合がよくなることを、協会の会員たちはすぐに見ぬいた。ただちに協会の創始者の一人が二人の婦人に手を貸して、地区の教育当局に「キリスト教徒の子弟のための公正を求める」嘆願書を提出させた。かれらの主張によると、キリスト教徒の子弟も無神論的教えを読まされることから同等に守られるべきで、ダーウィン進化論は、創世記の物語を否定するのだから当然それにあたるというのだ。



 社会との大きな軋轢を生じさせながら、彼らの運動は拡大していきます。



◇ 「目ざめよ!」誌1981年12月22日号, ものみの塔聖書冊子協会

 米国の根本主義のクリスチャンたちは,公立学校の科学の授業で,進化論と共に“科学的創造説”を教えるべきであるという運動を展開しています。ある報告では,すでに40の州議会でこれを要求する法案の審議がなされたとされています。アーカンソー州では,こうした主旨の法律が制定されました。この問題は法廷でも審理されており,教科書が改訂されたところもあります。カナダでもこの問題は論議を呼んでいます。
 クリスチャンの親の中には,自分たちの子供が攻撃にさらされていると感じている人が少なからずいます。攻撃の目標になっているのは子供たちの信仰であり,戦場は教室です。敵は進化論者で,攻撃の武器は科学ならぬ単なる主張です。脅しと洗脳がその戦術として用いられており,結果として価値感の崩壊といった事態が生じています。
 進化論者はこうした主張に異議を唱えており,特に最後の点に強く反ぱつしています。



 その後、進化論の世界には「科学的に進化を論じるが、知的存在の排除はしない」という趣旨の「インテリジェント・デザイン理論」という仮説が出現します。ファンダメンタルはこの仮説に飛びつきました。

 創造論を学校で教えようという彼らの努力は、長期的に見れば失敗するという傾向にあります。彼らの前に立ちはだかったのが合衆国連邦裁判所です。連邦裁判所は1987年に、学校で創造論を教えることは違憲であるとし、禁止しました。さらに2005年には、インテリジェント・デザイン理論を教えることも禁止します。

 エホバの証人は、キリスト教にあまり詳しくない人たちからファンダメンタルの一教派だと言われてきました。今でもそのようなことを言う人はたくさんいます。エホバの証人は自分たちの教えを聖書伝道という手段によって人々に伝えていますので、それが、ファンダメンタルに特有の、自分たちの価値観によって社会を変えようとする思想や行動に結びつけて考えられるようです。
 しかし、エホバの証人はファンダメンタルではありませんし、社会を変えようともしていません。ただ教えを広めるだけです。

 20世紀の終わり頃から、アメリカのファンダメンタルには新しいグループが現れるようになっています。エホバの証人の影響を受けたグループです。この人たちが特に目につくのはクリスマスの時期です。彼らは、クリスマスが近づくとクリスマスの祝いに反対する運動を行います。ある時期からメディアがこの運動を取り上げるようになり、彼らとその運動は広く知られるようになりました。

 エホバの証人はクリスマスを祝いません。理由はいくつもあります。
 キリストもその弟子もクリスマスの祝いを祝わなかった。なぜなら誕生日の祝いは神に対する冒涜だと考えられたからだ。誕生日の祝いが冒涜だとされたのは、もともとそれが異教徒に由来しているからだ。それなのに、後代のクリスチャンはクリスマスを祝っただけでなくそれに異教の慣行を混ぜた。別にキリストの誕生日でもない12月25日が祝いの日とされたこと、祝うにあたってクリスマスツリーを使用したことなどがそうだ。これは、キリストを祝福しているように見えるとしても、実際には挑発ではないか。

 エホバの証人は、キリスト教の現状についてほかにもいろいろな指摘を行っています。エホバの証人自身は、その指摘が社会に対する圧力になったりしないよう気を遣っていますが、最近は、他教派の中にこれらの指摘の正しさを認める人たちが増えてきていて、それでこういう状況となっています。
 メディアがこの運動を取り上げるようになったころから、エホバの証人はクリスマスについての宣伝を手控えるようになりました。メディアによって自分たちが彼らと同列に置かれることを避けようとしているようです。

 宗教者が自己の信条を語ることはきわめて重要なことですが、やり方を間違えると、その信条が社会を浸食することになってしまいます。そういったことがないように、宗教者には慎重さが求められているのではないでしょうか。