エホバの証人のコラム

#6 宗教による社会の浸食


 最近のアメリカでは、社会に対して圧力団体となる宗教団体が増えているそうです。
 キリスト教ファンダメンタリズム勢力はその代表的なものです。彼らは政治団体や市民団体を作ったりしてさまざまな仕方で社会を変えようとしています。
 彼らの努力には同じキリスト教であるエホバの証人の観点から見て評価できる点もありますが、それを社会に対して強制しようとする姿勢はどうでしょうか。たとえば、同性愛者の権利を認めない法律を作ろうとして政治家に圧力をかけてみたり、学校で生徒にコンドームを配るのをやめさせようとするような努力が盛んに行われています。

 最近、ファンタジー小説のハリー・ポッターシリーズが映画化されましたが、ファンダメンタリズムの市民団体が、これを何とかしようとしてアメリカ中の図書館に圧力をかける運動をしているそうです。オカルトを題材とした人気ある小説が図書館に置かれると、子供たちは喜んでそれを読みます。キリスト教徒の親にとってそれは大問題なので、公共性のある図書館にはそのようなものは置くべきではない、と言うそうです。それで、多くの図書館がハリー・ポッターの本を片づけてしまっているようです。

 しかし、こういった行為の一つが世間でまかり通ってしまうようなら、他の宗教による同様の行為もそうなるのではないでしょうか。それが積み重なると社会はいったいどうなるでしょうか。
 アメリカではこんな事件もあります。「キリンの首」というたいへん有名な本がありますが、このように書いています。

『(アメリカにおいて)進化論に反対する根本主義(ファンダメンタリズム)が復活した年は、1963年と定めることができる。この年に、アメリカ科学同盟(「神のおことばとキリスト教信仰に対する忠誠心を共有する男女科学者」に会員を限定している団体)に属する10人の福音主義者が、同盟の特殊創造に対する取り組み方が中途半ぱであるとの不満を表明し、カリフォルニア州オレンジに創造研究協会(CRS)を設立したのである。……これは時宜にかなった動きだった。というのも、その同じ年に最高裁判所が、無信仰の児童に学校でむりやりお祈りを読ませることは違憲だとの判決を下したからである。
この判決を逆手にとれば自分たちの側に都合がよくなることを、協会の会員たちはすぐに見ぬいた。ただちに協会の創始者の一人が二人の婦人に手を貸して、地区の教育当局に「キリスト教徒の子弟のための公正を求める」嘆願書を提出させた。かれらの主張によると、キリスト教徒の子弟も無神論的教えを読まされることから同等に守られるべきで、ダーウィン進化論は、創世記の物語を否定するのだから当然それにあたるというのだ。』

 この運動は急速に大きくなっていき、ついには、学校で子供たちに創造論を教えるよう州政府に圧力をかけるまでになりました。「目ざめよ!」誌1981年12月22日号はこう述べています。

『米国の根本主義のクリスチャンたちは,公立学校の科学の授業で,進化論と共に“科学的創造説”を教えるべきであるという運動を展開しています。ある報告では,すでに40の州議会でこれを要求する法案の審議がなされたとされています。アーカンソー州では,こうした主旨の法律が制定されました。この問題は法廷でも審理されており,教科書が改訂されたところもあります。カナダでもこの問題は論議を呼んでいます。
クリスチャンの親の中には,自分たちの子供が攻撃にさらされていると感じている人が少なからずいます。攻撃の目標になっているのは子供たちの信仰であり,戦場は教室です。敵は進化論者で,攻撃の武器は科学ならぬ単なる主張です。脅しと洗脳がその戦術として用いられており,結果として価値感の崩壊といった事態が生じています。
進化論者はこうした主張に異議を唱えており,特に最後の点に強く反ぱつしています。』

 エホバの証人はキリスト教の一派ですので、学校で創造論が教えられるのはもちろん大歓迎ですが、それを社会に強制したいとは思いません。この記事は、ファンダメンタリストのやり方を「政治的」と呼び、これに「証人たちは関与しない」と述べています。また、クリスチャンの親は家で子供に創造論を教えるとしています。
 エホバの証人が学校関係者に配布している冊子にはこう書かれています。

『私たちは,最初の男女が他のあらゆる種類の生物と同様,神によって創造されたと考えています。ですから,授業中に生物の起源に関する学説が考慮される場合,先生方に証人の若者たちの聖書に基づく信条を尊重していただければうれしく思います。』

 エホバの証人は、せいぜいお願いするくらいのことしかしません。エホバの証人の場合、法廷での論争に至るラインはもっと後方にあります。たとえば、学校がエホバの証人の子供に「進化こそ事実である」ことを無理矢理宣言させようとした場合です。普通、学校でそのようなことは起こらないでしょう。

 最近になって、学校の行事としてクリスマスを祝うことが攻撃されるようになっています。イスラム教や仏教などの非キリスト教団体が、学校でキリスト教の祝いを行うのはやめてほしいと訴えています。圧力を受けているのは学校だけでなく、大手スーパーの中には、キリスト教徒でない人たちの気分を害さないようクリスマスセールを行わないことにしたところもあります。今やキリスト教ファンダメンタリズム教派も叩かれる側にまわったという感じです。

 カナダでこのことが政治問題となった時、エホバの証人の意見を代表して、アデレードで都市の監督をしているビル・ボンド氏のコメントが報道されました。(エホバの証人の方は「組織」の本の46ページをご覧ください。都市の監督とは「一切の管轄権を持たない」中立的な立場にある監督です。)

[Advertiser Newspapers より]

We do not celebrate Christmas, but people have freedom of choice, and we would not interfere or make comment on what others want to do.
People need to be reasonable about these things, and tolerant.

 彼はここで、エホバの証人は他者の行動を自分の価値観で評価することさえ控えると言っています。たとえば、エホバの証人は輸血医療を否定しますが、だからといって輸血医療を行うことで病院を批判したりはしません。そういったことは自分たちの宗教の中でのみ行えばよいという考え方です。外ではむしろ他者に好意的に振る舞います。

 宗教者が自己の権利を主張することはきわめて重要なことですが、度を超すと、その信条が社会を浸食することになってしまいます。そういった問題は最小限にとどめておくべきですし、そのためにはまず第一に宗教者の側に自制が求められるのではないでしょうか。


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