新世界訳
エホバの証人の聖書

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◆ エホバの証人のコラム ◆
#08 キリスト教と進化論



 現代の「宗教」には「宗教と科学」という深刻なテーマがあります。その主要な争点は進化論です。
 キリスト教は創造論を信じます。この宇宙も、地球も、地球上の生き物も、神によって造られたと考えます。一方の科学は進化論を提唱するようになりました。しかも、進化論は徐々に強化され、今では証明されたものと考えられています。

 キリスト教には天動説の教訓があります。科学の進歩により真理が明らかになったのに宗教がそれを否定し、科学者を迫害するということがありました。これがいかに愚かなことだったかはよく理解されるようになっています。教会が多くの間違いを認めるようになったのも、科学の進歩のおかげです。
 1996年には、カトリックのローマ教皇が進化論を認める声明を出して世間を驚かせました。その後、多くのキリスト教会がその立場に倣いました。でも、少し注意が必要です。進化を認めていると公言する教会のほとんどは、「神は“進化”という手段を用いて創造の御業を行われた」と教える方針を立てたにすぎません。これらの教会の中に、100パーセント進化論を認めているところはありません。肝心なところは創造論でしっかりガードしています。
 キリスト教が神の存在を否定することはありません。よって、創造論を否定することもありません。だからといって、科学的に証明された事柄に逆らっても意味がありません。事実と反することを信じるのは愚かですし、恥です。そこで、「神は“進化”によって創造を行われた」という解決策が出てくることになります。
 これは究極の解決策です。今後、進化論が何を証明しようとも、教会は「神はその方法で私たちを創造されたのです」と言って済ませることができます。信徒たちには「神様が世界を造った」と教えていても、世間に向かっては「わたしたちの教会は進化論を支持しています」と言うことができます。

 これとは全く異なる解決策を考えた人たちもいます。ファンダメンタルは、聖書の字義的解釈にこだわった結果、神はたった6日で世界を創造したと信じています。誰かが、地球には何十億年もの地層があることや、百億光年も離れた星から光が届いていることを指摘すると、彼らはこう答えます。「それは造られた時点ですでにそうなっていたのだ」。彼らに言わせれば、地球上に何十億年もの地層があるのは、実際に何十億年もかかって地層が形成されたからではなく、“何十億年分もの地層のある地球”を神が造ったからです。百億光年も離れたところから星の光が届くのは、宇宙に百億年もの寿命があるからではなく、“百億年の歴史つきの宇宙”を神が造ったからです。つまるところ、神は“途中から始まる世界”を造ったというわけです。
 これも究極の解決策です。今後、科学が何を発見しようとも、ファンダメンタルは「神はその状態で世界を創造されたのです!」と言って済ませることができます。もっとも、先の場合とは異なり、この理論で世間に媚びを売ることはできません。彼らは、「私たちは進化論を支持しています」などとは宣伝せず、創造論を支持していると公言します。

 一方のエホバの証人は、「進化論を認めない」ことを公言しています。そのため、「他のキリスト教派に比べて遅れている」と批判されることがあります。「最近はどのキリスト教会も進化論を認める立場に転向しているのに」、「愚かにも科学の進歩に逆らい続けている」という具合です。しかしエホバの証人にはエホバの証人なりの解決策があります。これを見てみましょう。

 進化論の提唱者であるダーウィンは、ガラパゴス諸島でフィンチの観察を行い、進化論のヒントを得たと言われています。エホバの証人は「進化を認めません」と公言していますが、それなのに、彼らにとってガラパゴス諸島でフィンチに生じた進化を否定する理由はどこにもありません。ただ、それを「進化」と呼ばないというだけのことです。エホバの証人の間には、生物学者たちは「進化」という言葉を使いすぎている、という認識があります。このような進化を見るのにガラパゴス諸島にまで行ってフィンチを観察する必要はありません。近くのペットショップに行ってイヌとかネコとかハムスターとか金魚とかを見れば、同じことが観察されます。エホバの証人に言わせれば、このようなことは「進化」と呼ぶに値しません。

 「目ざめよ!」誌1994年2月22日号にはクジルカ(ウォルフィン)についての記事があります。クジルカとはクジラとイルカの交配種のことです。記事に載ったクジルカはタイセイヨウハンドウイルカのメスとオキゴンドウのオスから生まれました。普通、クジルカは生殖不能となりますが、記事になったクジルカは子供を産んで人々を驚かせました。つまり、新しい種が誕生したことになります。このクジルカについて記事はこう述べています。



◇ 「目ざめよ!」誌1994年2月22日号, ものみの塔聖書冊子協会

 世間は,神がご自分の創造物の中に組み込まれた多様性の驚くべき可能性を示す光景を,また一つ垣間見たわけです。



 後に、「目ざめよ!」誌1995年5月22日号はこの記事について触れ、こう述べています。



◇ 「目ざめよ!」誌1995年5月22日号, ものみの塔聖書冊子協会

 「神がご自分の創造物の中に組み込まれた多様性の驚くべき可能性」があるからこそ,合いの子が存在するのです。それで本誌の記事は,神に当然の誉れを帰しているのです。



 このようですから、生物学者が「進化」と呼ぶ現象のほとんどは、エホバの証人にとって問題とはなりません。そういうことはあって当然とエホバの証人は考えます。

 聖書には、神は6日で世界を造った、と書かれています。しかし、エホバの証人はこれが文字通りの6日間であったとは考えません。そこで、地球や宇宙の年齢が長いことは問題になりません。聖書の述べる人類史は6000年ほどですが、エホバの証人はこれを、文明以前の人類史は無視してしまうことで解決しています。つまり、学者たちによって1万年前や10万年前の人類とされているものは、エホバの証人の基準では人間ではないことになります。

 さらに、エホバの証人が教科書として用いている「エホバに近づきなさい」という本にはこのような記述があります。



◇ 「エホバに近づきなさい」, ものみの塔聖書冊子協会

 エホバの創造する力は,わたしたちの住みかである地球においても明らかに示されています。神は細心の注意を払って,この広大な宇宙の中に地球を置かれました。多くの銀河の環境は地球のような生命を宿す惑星には適さないだろう,と考える科学者たちがいます。この天の川銀河の多くの部分も,生命をはぐくむようにはできていないようです。この銀河の中心部には恒星がひしめいており,放射線量が多く,恒星どうしの異常接近が頻繁に生じています。銀河系の外縁部では,生命に不可欠な元素の多くが足りません。わたしたちの太陽系は,そうした両極端の間の理想的な位置にあります。



 このように、近年の宇宙科学が生命誕生について述べている事柄がそのまま用いられていたりします。
 エホバの証人は、神による創造を「無からの創造」とは考えていません。適切な素材と環境があってはじめて神は創造の業を行えると考えます。神は物理の法則に従い、既成の素材を加工するという人工的な方法によって「創造」を行ったことになります。

 このように見ていくと、エホバの証人は必ずしも非科学的な宗教ではなく、進化論とも相性がよいということが見て取れます。もちろん、彼らも肝心なところでは妥協しません。彼らにとって創造論は揺るがない結論です。彼らは今でも相変わらず「私たちは進化論を認めません」と公言し続けています。

 現代の進歩したキリスト教にとって、「宗教と科学」のテーマは、もともと両立しないように思える二つ価値観の共存を意味しています。非常に難しいことですが、この課題に果敢に挑んで乗り越えていかなければ、宗教が生き残ることはできないのでしょう。