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「なぜ親はわたしの生活を束縛しようとするのだろう」
1999年11月8日更新

エホバの証人の子供に対する教育の方針は、聖書に即して健全なものですが、その教育を受けるエホバの証人の子供すべてがそれに同意するわけではありません。
そのため、エホバの証人に育てられた子供たちの中には、自分の親や親の宗教のことを批判し、反抗する子供たちもいます。
そのような場合、反抗する子供たちとエホバの証人の親の側とでは、どちらが正しいのでしょうか。
エホバの証人は、このような場合、正しいのは子供の側であることも、親の側であることもあるということを正しく理解しています。
では、このような問題にエホバの証人はどのように取り組んでいるでしょうか。
これから掲載する記事は、この点で子供の側の抱える問題を、子供の側の視点に立って論ずるものです。
この記事は、子供の側の問題点を論じるだけにとどまらず、子供が問題を克服し、「親の束縛」から早く自立するための提案をさえ載せています。
この記事を読まれるなら、エホバの証人が教育の問題に対処する点でまどろんでいるわけではないことを知ることができるでしょう。

「なぜ親はわたしの生活を束縛しようとするのだろう」
「自分で行動し、自分で試し、自分の力を知るチャンスが欲しい。……苦しいことも楽しいことも、話からではなく味わって学びたい。いろんなことを体験したい。親はくどくど説明するだけだ」―16歳の少年。
「母とわたしは完全にぶつかり合っています。……母はわたしのことをまるで赤ちゃんみたいに扱うんです。……もう逃げ出したいわ。こんな窮屈な生活には耐えられない。……大人になろうと努力しているのに、母はそうさせてくれません」―17歳の少女。
 親はわたしの生活を束縛しようとする、というのは若い人にありがちな不満です。もしかしたらあなた自身も同じ不満を持っているかもしれません。あなたは遅くまで外出していたいと言いますが、親は早く家に帰ってきなさいと言います。あなたはもうデートをしてもいいころだと言いますが、親はまだ若すぎると言います。『……してもいい?』と聞けば、必ず『だめ』という答えが返ってくるように思えます。
 しかし親の言い分も考えてみましょう。ほとんどの若者は少なくとも時々は自分の好きなように行動させてもらっています。きっとあなたも例外ではないでしょう。それに親は、あなたがもう子供ではないことや、生まれたときからあなたに与えていた規制をいつかは解かなければならないことを重々承知しているに違いありません。それに、ほとんどの親と同じく、あなたがバランスのとれた自立した大人になることを願っているはずです
 でも、『もし親がそう思っているのなら、どうしてそのことを態度で示さないんだろう』と思うかもしれません。あなたにしてみれば、親はあなたの好きなようにはさせてくれず、しかもそうした規制が緩む気配はないように感じます。しかし実際問題、いつかは自分で自分の生活を律してゆくことになるのはまず間違いありません。残る問題は、それがいつかということです。あなたは今すぐにでもと思います。しかし親は、あなたが徐々に自分の生活を律してゆくようになることを願っているかもしれません。
 ある十代の少女はそういうときに、親から「不信任案」を突き付けられているかのように感じました。自分には「抑制しなければならない自滅的な傾向」があると言われているような屈辱感を味わったわけです。しかし、親がそう行動することにはそれなりのわけがあるのではないでしょうか。自分に対する親の接し方がいやで憤慨することもあるでしょうが、いずれにしても親の考え方が理解できれば、そういう気持ちを抑えやすくなるかもしれません。箴言 19章11節にあるとおり、「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする」のです。
親が束縛するわけ
 まず理解しておかなければならないのは、親が青春時代を過ごしたころに比べ、世の中はますます危険になり悪くなっているということです。(テモテ第二 3:1,13) ある親が認めるとおりです。『息子や娘が14歳とか15歳とか16歳の時期を過ごす今の世の中は、私たちが育ったころの世の中よりも危険です。独りで外を出歩くのも昔ほど安全ではありません。十代で妊娠する人は、私たちが若かったころよりも多くなっています』。親があなたを守りたいと思うのも不思議ではありません
 神を恐れる親であれば、子供の霊的な健康にも深い関心があります。聖書が命じているとおり、親は子供に、「キリスト教の養育方法の一部である教訓と矯正」を与えなければなりません。(エフェソス 6:4, 新英訳聖書) それに親は、自分がキリスト教の価値観や信条を受け入れたからというだけで、子供も自動的にそうするわけではないことを知っています。また、「したい放題にさせて置かれる少年[や少女]はその母に恥をかかせる」ということも理解しています。(箴言 29:15) 親はあなたが子供だとは思っていないかもしれませんが、それでもあなたのために門限を決めたり他の制限を課したりする責任を感じているかもしれません。
 あなたとしては、そのように束縛されるのは赤ちゃんみたいで、こけんにかかわると思うかもしれません。しかし思い出してください。あなたはついこの間まで、実際に親の腕に抱かれた無力な赤ちゃんだったのです。親は以前に身体的な害からあなたを守ったのと同様、今は道徳的な害からあなたを守りたいと思っています。それにもう一つ、親にも十代のころがあったということ、だから親は若者が巻き込まれるかもしれない難しい問題をよく知っているということを忘れてはなりません。そうです、義人ヨブでさえ「若い時のとが」を認めました。(ヨブ 13:26) また、若いときに大きな過ちを犯して、厄介な問題を招いた親もいます。
 ある母親はこう打ち明けました。「私は結婚せざるを得なくなりました。非常に若いころから、決まったボーイフレンドがいたからです。16歳のときに妊娠しました。今では3人の子供がいますが、そのうち二人は十代です。私はまだ37歳なのに50歳のような感じがします。青春を失ったのです」。
 あなたの親はそういう苦い経験を全くしていないかもしれません。しかし、早くからデートすることに伴う危険が非常に心配なため、デートを禁じることもあります。そうした制約に腹を立てるべきでしょうか。もし腹を立てているなら、箴言 27章12節の言葉を考えてみましょう。「災いを見た明敏な者は身を隠した。進んで行った経験のない者は報いを身に受けた」とあります。確かに、親の忠告に注意を払うなら、災いを避けることができます。
(注:エホバの証人はデートを禁じているわけではありません。しかし、子供が道徳的にまだ未熟であったり、結婚するにはまだ若ければ、親はそれを認めないかもしれません。)
過渡期の人格
 しかし、ある若者の次のような言葉に共感を覚える人もいるでしょう。「自分のしていることはちゃんとわきまえています。人生をめちゃくちゃにしようなんて思っていません。わたしの人生なのに、どうして親は好きにさせてくれないのでしょうか」。しかし問題は、あなたが知らず知らずのうちに、親にあいまいな信号を送っているということにあるのかもしれません。十分に大人らしい行動をするときがあるかと思えば、子供っぽいことをして親の助けが必要なことを示してしまう場合もあるのです。
 フィッツヒュー・ドドソン博士は「独りで子供を育てる方法」という本の中で、ある母親が15歳の娘と買い物をしていたときの経験について述べています。娘は気に入ったワンピースを三つ選んで、どれが一番似合うか尋ねました。母親はちょっと考えてから、「そのブルーのが断然いいと思うわ」と答えました。娘は自分から頼んだアドバイスにどう反応したでしょうか。「お母さんったら、いちいちわたしを抑えつけようとして、ああしなさい、こうしなさいって言うんだから!」
 数か月後、この親子はまた買い物に出かけました。娘は幾つかのスーツを選んでから、「お母さん、どのスーツが一番似合うと思う?」と尋ねました。母親は前のことを思い出し、当たり障りのないように、「自分で決めたらいいんじゃない」と答えました。すると娘は、「もう、お母さんったら、わたしが困ったときには絶対助けてくれないんだから!」と怒鳴りました。
 けんか腰で強がったかと思うと、すぐに子供のようにまつわりつく、というふうに気分がころころ変わるのを見ると、親はまごつきます。もちろん若い人は皆ある程度、そういう浮き沈みの激しい行動をする傾向があります。これは成長期に付き物の傾向です。しかし、いくら付き物だとは言っても、親はそういう行動を見ると、あなたにはまだ克服しなければならない『みどりごの特性』があるので、規制を完全に緩めることはできないと思うでしょう。―コリント第一 13:11。
もう少し自由にさせてもらう
 とはいえあなたは、そういう支えや注意がもうちょっと少なくてもいいと感じるかもしれません。欲しくてたまらない自由を得たいと思うあまり、ずるいやり方をする誘惑にかられることさえあります。ある十代の少女はこう書きました。「うそをつくのがいけないことは分かっています。でも、面倒なことは避けたかったので、うそをつきました。ママは厳し過ぎます。本当のことを言ったら、行かせてくれないに決まってるんです」。しかし、親をだませば面倒なことを避けられるかと言うと、決してそうではありません。うそが明らかになったら(いつかは、明らかになるでしょう)、問題がひどくこじれる場合もあります。
 「選択の自由」という本の著者たちは、賢明にもこう述べています。「信用してもらいたいと思いながら親にうそをつくのは、自分がどれほど正直かを証明しようとして盗みを働くのと同じことだ。親にばれたら、こそこそやったということで、余計に厳しい罰を受けるかもしれない」。もっと重要なのは、うそをつくと神ご自身から嫌われるということです。箴言 3章32節には、「ねじくれた人はエホバにとって忌むべきものである」とあります。
 ですから、親に何でも正直に話しましょう。どこに行きたいと思っているのか、だれと一緒に行くのか、といった詳しい事柄を包み隠さずその通りに話します。何時までに帰りなさいと言われたら、その時間を守りましょう。そうすれば、親から信頼してもらえるようになりますし、外出しているときも親はそれほど心配しなくなります。やがて親は、安心してもっと大きな自由をあなたに与えるかもしれません。聖書にあるとおり、「多く与えられてきた者からは多くのことが期待されます。人は信頼されればされるほど、人々はその人に多くのことを期待します」。―ルカ 12:48, フィリップス訳。
 あなたが自分の人生に責任を持つときがもうすぐやって来ます。それまでは辛抱してください。青春を楽しみましょう。(伝道の書 11:9) デートや決まりや門限などに関する親の方針に協力するのです。今そうすれば、後で悔やんだり痛い思いをしたりせずにすむかもしれません。たとえ何かの制限が自分の年齢に合わないとか、道理に外れていると思っても、反抗してはいけません落ち着いて問題を親と話し合ってください。もしかしたら親は、あなたの実際の年齢を忘れていたり、あなたの成長ぶりに気づかないでいるだけかもしれません。いずれにしても、親は子供の生活を束縛したいと本心から思っているわけではないことが分かるでしょう。親はひたすら子供が幸せになることを願っているのです。

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