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「なぜ学校で一生懸命勉強すべきなのだろう」
2000年2月1日更新

エホバの証人は、神に信仰を働かせているゆえに、様々な批判にさらされてきました。
批判の中には、エホバの証人の子供の教育に関するものもあります。
ある人たちは、教理上の理由により、エホバの証人の子供たちはまじめに勉強することさえ許されていないと考えています。
なかにはこのようなことを主張する人さえいるようです。
「エホバの証人は、あまり賢くなると信仰から離れてしまうから、学校でもあまりまじめに勉強したりしないようにと子供たちに命じている」。
「エホバの証人は“神が第一”なので、子供たちは学校の宿題などをすることさえも時間の無駄だと教えられている」。
「エホバの証人の子どもたちは、「どうせ自分は学校卒業後には“全時間宣教者”になるのだから、学校の勉強などいらない」と考えるよう仕込まれている」。
しかし、このような指摘は事実ではありません。
エホバの証人の親たちは、子供たちに一貫して教育の価値を教え、熱心に勉強するよう励ましてきました。
ここに示す記事は、エホバの証人の子どもたちに対し、まじめに勉強することの価値を諭すものです。
この記事をお読みになられるなら、エホバの証人にとって学校教育がどのようなものかが正確に理解できることでしょう。

「若い人は尋ねる−なぜ学校で一生懸命勉強すべきなのだろう」
『どうせ学校で勉強することなんて、ほとんどがただの理論さ。本当のところ、実際に役立つものはないよ』。
『宿題は面白くない。スポーツをしたり友達と出かけたりするほうがずっと面白いよ』。
『将来は全時間宣教をするんだから、学校で一生懸命勉強して一体何になるんだろう』。

 若い人たちが学校や宿題について話すとき、このような意見をしばしば耳にします。おそらくあなたも同じように感じたことがあるでしょう。

 もちろん、勉強かレクリエーションのどちらかを選ぶように言われると、たぶんほとんどの若者はレクリエーションを選ぶでしょう。中には全然勉強しなくてもよければいいのにとさえ思う人もいるかもしれません。そのような人は勉強というものを真剣に考えていません。それが自分の人生にどれほどの影響を与えるかを考えることができないのです。逆に、学校で立派な成績を修めたいと思っていても、学校の勉強に対する意気込みをほとんど持っていない人もいます。もしかするとあなたもそうかもしれません。「僕は、勉強家ってタイプじゃないんだ」というふうに考えます。
 どのような気持ち、興味、能力を持っているとしても、学校で立派な成績を修めることは可能です。でも、そうするためには動機づけが必要です。それで、一生懸命勉強することによって自分が受ける益について調べるなら、その動機を一層強めることができるでしょう。
頭脳の運動
 学校で勉強することの多くは、生活と関係がないように思えるかもしれません。科学者になろうとでも思っていない限り、先生から覚えさせられる物理の公式を将来使う機会はほとんどないでしょう。さらに、大人になってから、動詞の活用形を言ったり二等辺三角形の角の大きさを計算したりする必要が毎日生じることもないでしょう。『だから、こんなことを勉強して一体何になるんだろう』という疑問がわきます。
 一つの点として、学校では歴史、文学、科学、地理、数学といった様々な科目に関する一般的な知識をたくさん取り入れる機会があります。こうした広範な知識という基礎があれば、身の回りの世界に対する理解を深めることができるだけでなく、その土台の上にもっと詳しい情報を積み上げることができます。「理解ある人にとって知識は容易なものである」と、箴言 14章6節は述べています。
 ロベール・ボスケは、自著「勉強の方法を知る」の中で、学習するための思考の潜在能力は「徐々に発見され、正常に働く状態にされる」とさらに説明しています。また、このようにも語っています。「何かのスポーツのチャンピオンでも、長期間にわたる練習を行ない、自分の能力をフルに発揮する方法を発見して初めて、最善の結果が得られるというのは常識である。……勉強の方法を知るとは、自分の潜在能力をフルに使い、最小限の時間と努力で最善の結果を得ることである」。
 ですから、宿題のことを頭脳の運動と呼べるかもしれません。「勉強の方法」という本は、「脳は……相互につながった巨大なネットワークである。それがより複雑になり、相互の接続が増えれば増えるほど、効率よく働くようになる」と述べています。学校の宿題は、集中力や記憶力、推論する能力、問題を分析する力、論理的な結論を導き出す能力を磨く助けになります
感情的また霊的な成長
 在学中は、感情的また霊的に成長する時期でもあります。自分がどのような大人になるかをかなりの程度決めることになる習慣や態度を今身につけているのです。あなたはよく働き、勤勉で、自己鍛錬のできた、有能な―会社が雇いたいと思うような―人になるでしょうか。今自分を訓練して仕事や勉強をする良い習慣を身につけていれば、その益は一生涯に及びます。(箴言 22:6と比較してください。) とりわけ、そうすることは将来のあなたの経済状態や就職の見込みに相当の影響を及ぼします。多くの企業は、求職者が将来どれほど働けるかを示す目安として、学校での成績を参考にします。
 勉強の習慣は霊的な進歩にも影響を及ぼします。イエスは、「思いをこめ」て神を崇拝するよう教えられました。(マルコ 12:30) これには、神の僕は、若くても年を取っていても、エホバが備えてくださる知識を取り入れ、それを生活にあてはめる方法を理解するよう、精いっぱい思考力を働かせる必要があるという意味が含まれています。―ヨハネ 17:3。テモテ第一 4:7。
 フランスに住む若い女性シルビーはこう言っています。「同じ年代の若者の中にそういう人たちがいました。学校にいた時の勉強の習慣が、そのまま霊的な事柄の個人研究の習慣になったんです。学校での勉強が好きになれなかった人は、聖書の個人研究にもそれほど興味を示しませんでした」。箴言 10章4節は、「緩慢な手で働く者は資力が乏しくなり、勤勉な者の手はその人を富ますものとなる」と述べています。このことはシルビーにとって霊的な意味で真実となりました。良い勉強の習慣があったおかげで、聖書の理解を深めるのが一層容易になりました。こうして彼女は、全時間の福音宣明者として働く備えをすることができたのです。―詩編 1:2,3と比較してください。
勉強の方法を学ぶ
 でも、勉強が好きなタイプでない人はどうでしょうか。覚えておかなければならないのは、成績の良い人と悪い人との根本的な違いは普通、勤勉かどうかで決まるのであって、頭の良さで決まるのではないということです。シルビーもそのことを認めて、「私は、ある生徒たちのように生まれつきの才能に恵まれてはいませんでした。学校で良い成績を修めるために、そしてまずまずの点をとるだけでも、本当に一生懸命勉強しなければなりませんでした」と言っています。シルビーにとって学校は楽なところではありませんでしたが、勤勉に努力した結果、勉強の方法だけでなく、勉強を楽しむ方法も学びました。「勉強が習慣になったので、あるテーマについて勉強したり調べたりするのもそれほど面倒ではなくなりました。苦にせずにできるようになりました」と、シルビーは言います。
 ハリー・マドックスは、自著「勉強の方法」の中でこう言っています。「能力だけでは十分でない。非常に頭の良い生徒の多くが落第するのは……勉強が足りないためか、効率よく勉強する方法を全然身につけなかったためである」。さらに、「効率の良い勉強法は身につける価値がある。それは勉強するという直接的な目的のためだけでなく、勉強の習慣が一生の間ついて回るからでもある」と述べています。
 人は大抵、自分が上手にできることなら楽しく行なうことができますが、うまくできないことは避ける傾向があります。ですから、もしかするとあなたの場合も、勉強が楽しくなるところまで勉強の技術を伸ばしていないために学校の勉強が嫌いなのかもしれません。もしそうなら、勉強の方法を学ぶことに注意を集中するのはどうですか。「若い人が尋ねる質問―実際に役立つ答え」という本の18章には有益な情報が載せられています。
卒業後に目を向ける
 勉強の手を抜く生徒は少なくありません。その理由は単に、楽しく過ごしたりして、他のことをしたいというものです。しかし、箴言 21章17節は、「歓楽を愛している者は窮乏に陥る者とな(る)」と警告しています。レクリエーションや息抜きには、確かにそれなりの場所があります。(伝道の書 3:1,4) しかし学校に通っている間は、勉強を優先事項の最初のほうに置かなければなりません。得られる結果は、どれだけの努力を進んで払うかにかなり依存しています。「あらゆる労苦によって利益がもたらされる」と、箴言 14章23節は述べています。
 だからといって、学校の科目や宿題を全部好きにならなければならないという意味ではありません。しかし、教育とは、実質があって実りの多い生活を送るのに役立つ知識と技術を得るという目的を達成するための実際的な手段である、と考えるようにすることができます。確かに、要求される教育の程度や経済状態は国によって大きく異なります。それでも、多くの若い人々が最も基本的な学習技術さえ身につけずに学校を出て、自分たちがほとんどの種類の職業に就く準備ができていないことに、また資格を備えていないことに気づくのです。なぜでしょうか。それは学校に通っている間、勉強に専念しなかったからです。
 このわなに陥ってはいけません。卒業後に目を向けて、学校を出た後に自活できるように計画しましょう。いつか家族を養う責任を担うようになるかもしれません。(テモテ第一 5:8。箴言 24:27と比較してください。) エホバの証人の多くの若者のように、あなたも全時間の福音宣明を生涯の仕事にしようと思っているかもしれません。それでもあなたは自活し、おそらく家族も養わなければならないでしょう。ですから、将来のことを考えましょう。卒業するかなり前から、地元にどのようなパートタイムの仕事があるか調べておくようにします。学業に専念するなら、そうした仕事に就くために必要な技術を身につけることができるでしょう。
 将来の計画がどのようなものであれ、学校で一生懸命勉強することには意義があります。もちろん、クラスのトップになる必要はないでしょう。でも、学習が好きになる方法を学ぶことはできます。さらに望ましいこととして、生涯役に立つ知識や技術や習慣を身につけることができます。

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