エ ホ バ の 証 人 記 者 ク ラ ブ |
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輸血拒否のための法的・技術的情報 |
■ エホバの証人はなぜ輸血を拒否するのか ■ |
2003年8月1日更新 |
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(1) 教理の概要 |
キリスト教の聖典である聖書は、神が人間に配慮を示して、憐れみ深くも正邪の点での譲歩をさえ行われることを示しています。その代表となるのは離婚を容認する律法で、神の子とされるイエス・キリストも聖書の中でそれが譲歩であることを認めています。 そのような譲歩には、他にも一夫多妻に関するものなどがありますが、その多くは聖書自身により修正されたり撤回されたりしています。 そのような中で、現在でも神の譲歩が続いている教えの中に、肉食に関するものがあります。 聖書の神は、人が動物の肉を食べることを容認し、聖書の中でこのように述べています。 「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える」。(聖書の創世記 9章3節) ただし、この譲歩には条件がついていました。続く記述はこうなっています。 「ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない」。(同4節)
ここで聖書は、「肉を食べるのはいいが、肉と共に血を食べてはならない」とし、血を命の代償とする考え方を示しています。
この教えは、イエス・キリストの死後しばらく後に、使徒たちや年長の弟子たちによる最初の「使徒会議」において追認されました。(聖書の使徒 15章)
エホバの証人の輸血拒否の教えは、このキリスト教独特の「命の代償としての血」という考えを発祥としています。 |
(2) 運用の現状 |
エホバの証人は輸血医療を拒否する信条を有していますが、実際にはすべての輸血を拒否しているわけではありません。
もともと「肉と共に血を食べてはならない」という神の命令はジレンマを生じさせていました。血を一切伴わない肉というものはないからです。肉から血を完全に除去することは技術的に不可能ですので、この律法は人々の良心を試みるものとなりました。
聖書には、急いで食事をとろうとした者が、時間のかかる血抜き処理を軽く済ませて調理を行った事例が記されています。(サムエル記第一 14章32節から34節) 血抜き処理の行為自体は形式的また儀式的なものですが、それは命の尊厳に対する敬意を神の前で証明する行為であるため、人は真剣かつ慎重にそれを行わなければなりません。
そこで、エホバの証人としては、肉食と血に関する聖書の規定を根拠に輸血を拒否するとしても、「すべての輸血を拒否する」というルールは作れないと考えました。
エホバの証人の教理として輸血拒否が説かれた初期の段階において、問題となった要素は二つくらいしかありませんでした。当時は成分輸血や血液製剤といったものがまだなかったため、考慮すべき要素は輸血(全血輸血)と血漿由来のワクチンのみでした。エホバの証人の指導者組織である『統治体』は、輸血は認めずワクチンについては譲歩する態度を示しました。
どのように輸血を拒否するとしても、それが「命の尊厳への敬意」を命題にしていること、その背景には人間が生き物を殺して食べているという事実があることをエホバの証人は忘れません。そうでないなら、それは単なる儀式・形式、のみならず迷信ということになってしまうでしょう。それは真剣かつ慎重に行うべきものであり、エホバの証人の多くはできる限り輸血を回避しようとします。 |
(3) 他教派の動向 |
エホバの証人が聖書の教えに基づいて輸血を拒否するのに対し、他の教派はどのような立場を示しているでしょうか。 キリスト教諸教派のほとんどは、それを無視するか静観するかの立場を取っており、一部には輸血拒否に反論する動きも見られています。日本において、輸血を拒否するキリスト教派はエホバの証人だけのようです。 ではなぜ、エホバの証人という一教派だけが輸血拒否の教理を持っているのでしょうか。
その理由のひとつは、血に関する聖書の命令の明瞭さにあるようです。
もう一つの理由として挙げられるのは、肉と共に血を食べるヨーロッパの食文化です。 「今もし我々が使徒会議に従う教会を持ちたいのであれば、……我々は、王子も、領主も、自治都市の市民も、農民も、今後は血で調理したガチョウ、雄ジカや雌ジカ、豚などを食べてはならないと教えかつ主張しなければならない。……また、自治都市の市民と農民は、赤いソーセージと血入りのソーセージを特に避けなければならない」。 しかし、宗教改革にかけるルターの熱心さも、ヨーロッパの食文化を変えるほどのものではありませんでした。ヨーロッパでは現在でも、キリスト教諸教派の信徒たちが肉と共に血を食しており、そのことが容認されているため、「血を食べてはならない」とする聖書の命令を取り上げること自体が諸教会にとって困難となっています。
もう一つの理由として挙げられるは、キリスト教諸教派に広く見られる“エホバの証人嫌い”です。
もう一つの理由はカルト問題です。 |
(4) 反対論 |
エホバの証人の輸血拒否の教理は神学的に確かなものですが、それでも一部ファンダメンタリズム教派から膨大な量の神学的反論が提出されています。 その内容はまともなものではありませんが、エホバの証人の輸血拒否に対抗するにあたって他に有用なものが見当たらないという理由で、キリスト教諸教派において使い回されているというのが現状です。
その代表的な例を見てみましょう。 こういう種の神学的反論はきわめて異端的であり、正統的なキリスト教の信仰をゆがめる危険なものであるとエホバの証人は考えます。また、このようなエセ神学であっても一般人は信じてしまうので非常に迷惑だとも考えます。
また、幾つかの反宗教的団体からも反論が提出されています。 また、反対者の一部には「エホバの証人の輸血全面解禁」を予測する動きもあります。しかし、輸血拒否の教えが撤回されるような見込みは現実には全くなく、種々の予測も当たらないため、このような見方は下火になりつつあります。 戻る |