情報部
情報部へのメール
宮沢 幸一さん(1)
2000年1月4日更新

輸血に関する質問
Subject: 宮沢幸一輸血に対する質問
Date: Tue, 14 Sep 1999 07:00:46 +0900
From: 宮沢幸一 < **** >
To: < **** >

ある病院の院長です。エホバの証人の方に対する輸血問題で当院でも悩んでいます。私は原則として証人であるかないかにかかわらず本人の意思を尊重することを第一にしており、医局会でも当院は医師の義務としてどんな患者でも、たとえエホバの証人も受け入れたいと考えています。実際エホバの証人の方で受診し手術が必要な場合、過去の経験から輸血がまず不要と考えられる患者には免責証書に記入していただき、手術をしてきました。相談された他の医師には私の責任で手術をするように話し、て他で拒否された患者の手術も行いました。医師にもそれぞれ意見があって病院で一定の決定はできません。特に輸血せず、死亡した場合、どの程度まで輸血以外の処置をすれば満足してもらえるのかわかりません。(田舎の当院の医療レベルなのか、あるいは世界で最高の病院のレベルなのか)。また死亡した場合いくら免責証書があっても法律的に有効とは聞いておりません。また交通事故の場合輸血せず 死亡した場合、死亡した原因は病院が輸血をしなかったためだとして病院が訴えられる可能性もあると思いますがどうでしょうか。

< **** >

宮沢幸一
**** 総合病院外科 院長
電話:****、
ファックス:****


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Fri, 17 Sep 1999 23:31:12 +0900
From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
To: 宮沢幸一 < **** >

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。

ご質問くださり、ありがとうございます。

> 特に輸血せず、死亡した場合、どの程度まで輸血以外の処置をすれば満足してもらえるのかわかりません。(田舎の当院の医療レベルなのか、あるいは世界で最高の病院のレベルなのか)。

これは、通常であれば、患者が治療を受ける病院の達成可能なレベルでかまわないと思います。
特に「最高の延命医療」を求めるような教理をわたしたちは持っていないからです。

「死は待ち望むようなものではありませんが、死にゆく過程を引き延ばすために必死になって努力する責務もないのです」。
(「目ざめよ!」誌1991年10月22日号)

より高度な医療を望むエホバの証人は、可能なら、転医を望むことでしょう。

さらに、「エホバの証人記者クラブ」内の次のURLを参照ください。
http://jwpc.milkcafe.to/blood04.html

そこには、輸血拒否のための「継続的委任状」が掲載されています
が、その中には、延命治療に関する項目があります。

それは以下の通りとなっています。

(6) 延命治療中止の決定に関して、私は以下の事柄を選択します。
□ (a) 延命措置を行なわない。つまり、私が現在の医学の知識と技術をもってしても治療不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にあるなら、私は延命措置を望みません。したがって、そうした状況のもとでは、私は人工呼吸(換気)、心肺蘇生術(CPR)、チューブによる栄養補給(人工的な栄養または水分の補給)、その他を望みません。しかし、緩和的な治療−痛みを和らげるための治療−は望みます。
□ (b) 延命措置を行なう。つまり、私は、一般に受け入れられている医療の標準の範囲内で、可能な限りの延命措置を施してもらうことを望みます。
□ (c) その他。

通常、患者は(a)もしくは(b)を選択することでしょう。
それなら問題はないと思います。
ただし、患者個人の強い希望により、(c)が選択される可能性もあります。
とはいえ、この(c)が何であるかについて、ものみの塔協会は、どこまで延命治療に費用をかけるかという問題や、転医の選択などしか挙げていませんので、これもやはり問題はないでしょう。

> また死亡した場合いくら免責証書があっても法律的に有効とは聞いておりません。

そのような意見があるのも確かです。
たいていの場合、このような主張は、刑事責任に関連したものです。
ですからそれは、「免責証書はあくまで民事上のものに過ぎず、これによって患者から損害賠償の訴えのないことが保証されるとしても、医師は刑事責任を問われることになるであろう」、という意見だと思われます。

しかし、この問題については、東京高等裁判所が平成10年2月9日に判決を言い渡した「平成9年(ネ)第1343号損害賠償請求控訴事件」の判例があります。

これは、輸血拒否の無効を主張する医師が、患者に対し、強制的に輸血を施し、裁判になった事例です。

エホバの証人の患者の勝訴したこの判決の中には、刑事責任に関する事柄も含まれています。

「絶対に輸血しないという条件での手術例があり、死亡例があっても医師が刑事責任を問われたことがない、日本医師会や大病院も輸血無しの手術を認める見解を示している、法曹界でも患者の意志決定を尊重する見解が多数発表されている。−−などの現状を指摘・・・・」
(毎日新聞1998年2月10日朝刊)

これは、エホバの証人の輸血拒否に絡んで医師に刑事責任が問われる可能性があるので、エホバの証人の輸血拒否は法的に無効であるという主張に答えるものです。

この判決は、そのような考え方を現実的ではないとして退け、医療の現状に従った裁定を下しました。

この判決により、エホバの証人と医師との間で交わされる無輸血の契約には、刑事責任が伴わないことが確認されています。

> また交通事故の場合輸血せず 死亡した場合、死亡した原因は病院が輸血をしなかったためだとして病院が訴えられる可能性もあると思いますがどうでしょうか。

この可能性は、エホバの証人があらかじめ作成された免責証書を携行することにより、回避されます。
一方、エホバの証人であってもこの免責証書を携行しない人が、事故のような緊急事態の際に輸血を受けさせられるとしても、当人に病院や医師を訴える根拠がないことは明らかであり、その場合、自分の良心を尊重してもらえなかった責任は医師にではなく患者本人にあると、ものみの塔協会は信者たちに説明しています。

以下に、このご質問に関連したエホバの証人側の資料を2つ掲載します。

1.
(小冊子「血はあなたの命をどのように救うことができますか」)
−法律上の心配を除き去る−
 『ある医師や病院が、輸血の法廷命令をすぐに取りつけるのはどうしてか』と考える方がいるかもしれません。幾つかの場所で、共通して見られる理由の一つは、責任を負わされるのではないかという恐れです。
 エホバの証人が無輸血の処置を選択する時には、そのような心配をすべき理由はありません。アルバート・アインシュタイン医科大学(米国)のある医師はこう書いています。「大半の[証人たちは]、医師と病院の責任を免除する、アメリカ医師会の用紙に快く署名する。また『医療上のお願い』[のカード]を携帯している人も多い。正しく署名と日付が付された“血液製剤拒否”の用紙は、契約上の合意であり、法的な拘束力を持つ」―「麻酔ニューズ」誌,1989年10月号。
 そうです、エホバの証人は協調性を示し、求められた無輸血療法を提供した責任は医師や病院に負わせないという法的な保証を与えているのです。医療専門家たちが勧めているように、エホバの証人は各自医療カードを携帯しています。このカードは年に一度更新され、本人と複数の証人―最近親者である場合が多い―の署名が付されます。
 1990年3月に、カナダのオンタリオ州の最高裁判所は、そのような書類に関して、次のような好意的な見解を表明した判決を支持しました。「このカードは、その携帯者が医師との契約に書面による制限を課す際、合法的に取ることができる正当な立場を示す、書面による宣言である」。ダニエル・アンダーソン教授は「メディシンスク・エティク」(1985年)の中でこう書きました。「もし、自分はエホバの証人で、どんな状況のもとでも輸血は望まないという主旨の、書面による患者の明確な申し立てがあるなら、患者の自主性を尊重する立場からすると、その申し立てが口頭によって行なわれたかのように、その願いを尊重しなければならない」。
 エホバの証人は、承諾を求める病院側の用紙にも署名します。ドイツのフライブルクで用いられた用紙には、医師が治療に関して患者に与えた情報を記せる余白があります。そして医師と患者の署名の上部には、こう付記されています。「私はエホバの証人の宗教団体の一員として、手術の際に他の人の血液や血液成分を用いることを絶対に拒否します。そのため、計画され必要とされた方法には、出血に関連した合併症ゆえに大きな危険が伴うことは承知しています。私は、とりわけその点に関する十分な説明を聞いた後、他の人の血液や血液成分を用いない、必要とされる手術が行なわれることを希望します」―「ヘルツ・クライスラオフ」,1987年8月号。
 実際のところ、無輸血の処置のほうが危険性は低いかもしれません。しかしここで大切な点は、エホバの証人の患者は、医療関係者が行なうよう委ねられている事柄を行なう面で前進し、人々の回復を助けることができるよう、不必要などんな心配をも喜んで除き去りたいと思っていることです。アーンゲロース・A・カンボーリス博士が「エホバの証人の腹部大手術」の中で述べているように、この協力の精神はすべての人に益を与えます。
 外科医は手術前に得られた合意事項を拘束力のあるものとみなし、手術中また手術後にどのような事態が進展しようと、その合意事項を固守しなければならない。[これ]によって、患者は手術処置に対して積極的な気構えを持つようになり、外科医の注意は法的かつ哲学的な考えから外科的かつ技術的な考えに振り向けられ、そのために外科医は最良の手術を行ない、患者の最善の益を図ることができる」―「アメリカの外科医」,1987年6月号。

2.
(「医療に関する事前の指示および継続的委任状」についての質問と答え)
−かかりつけの医師や他の医療関係者は、継続的委任状に表明されている意思を尊重すれば、法的な責任を負いませんか−
負いません。医師や他のすべての医療従事者は、継続的委任状に表明されているあなたの意思に調和して行動するとき、法的な責任を負うことはありません。実際のところ、それらの人々はあなたの意思を尊重する法的な義務があります。ですから医療関係者は、継続的委任状に反して行動した場合にこそ責任が問われることを気にかける必要があるのです。

上記1に示されているように、わたしたちは、自分たちの輸血拒否という宗教信条が、医師や病院の負担となることを極力減らそうと努力を払っています。
そのため、輸血拒否に関連して生じるさまざまな問題に関しては、わたしたちは喜んで医師の側の福祉を図ります。

上記2に関連した点として、今年の3月、英国麻酔科学会は、「エホバの証人信者で輸血を拒否する患者の希望は尊重しなければならない」というガイドラインを発表しました。(BBC報道)
そのガイドラインは、訴訟に関してエホバの証人が医師たちに説明している内容に同意するもので、「輸血を拒否する患者に輸血することは違法行為であり、倫理上容認出来ないので、それは刑事や民事の訴訟を引き起こすであろう」と述べています。

質問に対する回答は以上です。

なお、ここで一言断っておくべき点がありますが、わたしは一介の信者に過ぎず、わたしの運営する「エホバの証人記者クラブ」も公式のものではありません。
よって、あなたの質問に対するこの回答も、個人的なものであり、エホバの証人の公式な内容のものではない旨、思いに留めていただけるとうれしく思います。
また、本サイトは、医療面での危急の事態に際して行われるどんな問い合わせにも対処する用意を備えていません。
万が一、あやまってこちらにそのような問い合わせを行うことがないようにどうぞご注意ください。

最後に、そちらの病院の方々が、自分たちのできる範囲でわたしたちの良心を重んじようと努力してくださり、また悩んでおられることを知り、わたし自身としてもほんとうにに感謝しています。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


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