Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Thu, 28 Jun 2001 07:34:09 +0900
From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
To: **** < **** >
エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。
メールありがとうございました。
あなたがわたしたちのことを真剣に気遣っていることが分かりました。
そこで、あなたが気にかけておられる点について、あなたの不安を解消する事実を指摘するのがよいと考えました。
[1]
まず、「イエスはアダムの罪のためだけに死なれたのか」という論点について、あなたの不安を解消できればと思います。
その点について聖書は何と教えているでしょうか。
ヨハネ第一 2:2はこのように述べています。
「そして彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし、わたしたちの罪のためだけではなく、全世界の罪のためでもあります」。
この聖句から、聖書自身がはっきりと、キリストの贖いが全人類のためのものであることを示していることを知ることができます。
では、エホバの証人はこの点についてどう考えているでしょうか。
エホバの証人が用いる聖書百科事典、「聖書に対する洞察」は、「贖い」の項でこのように述べています。
「このようなわけで、イエスは確かに、一人の罪人アダムを請け戻すためではなく、アダムの子孫である全人類を請け戻すための「対応する贖い」となられました。イエスはそれらの人々を買い戻して、人々がイエスの家族となれるようにされました。ご自身の贖いの犠牲の価値すべてを天で絶対的公正の神に差し出すことにより、そうされたのです」。
[2]
続いて、「エホバの証人は毎日聖書を読むことについてどう考えているか」という点について、あなたの不安を解消したいと思います。
「ものみの塔」誌1995年は5月1日には、「聖書を毎日読んで益を得る」と題する記事があり、記事の主題として、詩編 1:1-2が掲げられています。
「幸いなるかな、自分の喜びがエホバの律法にあり、その律法を昼も夜も小声で読む人は」。
記事はこのように述べています。
「「神のみ言葉聖書を毎日読みましょう」。
この標語は、ものみの塔聖書冊子協会が聖書や聖書関係の文書を印刷している、米国ニューヨーク市ブルックリンの一つの建物の壁に大きな文字で掲げられています。この勧めの言葉は、その看板を見る世の人々にだけ向けられているのではありません。エホバの証人は、自分たちもその勧めを心に留めなければならないことをよく知っています。聖書を定期的に読み、読んだ事柄を自分に当てはめる人は、聖書の与える教え、戒め、矯正、義にそった訓育などから益を受けます。
エホバの証人は、「ものみの塔」誌をはじめとする聖書研究用の手引き書の価値を深く認識しており、それらを定期的に用いています。しかし、そのどれも聖書そのものに代わるものではないということを知っています。かつて1909年に、ものみの塔聖書冊子協会の初代会長であったチャールズ・テイズ・ラッセルは、「ものみの塔」誌の読者に向けてこう書きました。「聖書が我々の規準であること、そして神が与えてくださった助けがどんなものであろうとも、それは『助け』であり、聖書に代わるものではないということを決して忘れてはならない」。
霊感を受けて書かれた聖書には、他のどんな本にもない深みと力があります。「神の言葉は生きていて、力を及ぼし、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、また関節とその骨髄を分けるまでに刺し通し、心の考えと意向とを見分けることができるのです」。弟子ルカはベレアの人々を温かくほめ、彼らのことを「気持ちがおおらか」であると述べました。彼らは使徒パウロとその仲間のシラスの宣べ伝えたみ言葉を意欲的に受け入れただけでなく、教えられた事柄の聖書的な根拠を確かめるために「日ごとに聖書を注意深く調べた」のです。
聖書は、わたしたちがどれほど頻繁に聖書を読むべきかについて明確には述べていません。しかし、聖書には確かに、エホバがヨシュアにお与えになった助言、すなわち、神から割り当てられた任務を遂行する点で賢く行動し、成功するよう『律法の書を昼も夜も小声で読みなさい』という助言が記録されています。また、聖書によれば、古代イスラエルでは王として支配する者はだれでも「命の日の限り」聖書を読むことになっていました。さらに、「幸いなるかな、邪悪な者の計り事に歩ま……なかった人は。かえって、その人の喜びはエホバの律法にあり、その律法を昼も夜も小声で読む」とも述べられています。また、マタイの記した福音書によれば、イエス・キリストはサタンの誘惑をはねつける際、霊感を受けて書かれたヘブライ語聖書の言葉を引用し、「人は、パンだけによらず、エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」と言われました。わたしたちはどれほど頻繁に物質の食物を必要とするでしょうか。そうです、毎日です。霊的な食物を取り入れることは、それよりずっと大切です。わたしたちのとこしえの命の見込みがかかっているからです。
わたしたちは皆、日ごとに神の言葉によって強められる必要があります。毎日 ― 家庭で、職場や学校で、街で、買い物をしている時や、宣教に携わっている時に ― 信仰の試みとなる問題に直面するからです。どのように対処しますか。聖書の命令や原則がすぐに思い浮かぶでしょうか。聖書は、自分で対処できるという態度を奨励するどころか、「立っていると思う人は、倒れることがないように気をつけなさい」と警告しています。聖書を毎日読むことは、この世によって世の型に押し込まれることなく「神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしい仕方で歩む」ための助けになります。
聖書を読むことは、小説を読むこととは非常に異なります。通俗小説のほとんどは1回読むだけの本であり、いったん話の筋と結末を知ったなら、それで終わりです。それとは対照的に、聖書は何度読んでも、読むたびに大きな益が得られます。識別力のある人にとって、聖書は常に新たな意味を帯びる本です。終わりの日に関する預言は、自分が最近数か月の間に見聞きしたり個人的に経験したりした事柄に照らして考える時、いよいよ感慨の深いものになります。識別力をもって聖書を読む人は、人生経験を積み、様々な問題に対処するにつれて、以前にはただ何気なく読んでいたような助言の価値を深く認識するようになります。重い病気にかかった人にとっては、痛みがなくなり健康が回復するという聖書の数々の約束が、かつてなく深い意味を帯びるようになります。親しい友人や家族のだれかが亡くなった場合は、復活の約束がますます貴いものとなります。
あなたはこれまで幾年かにわたって個人的に聖書を読み、その助言を当てはめてこられたかもしれません。しかし、恐らく今は、生活の中で幾つかの新たな責任を担っておられることでしょう。あなたは結婚しようと考えていますか。親になろうとしていますか。会衆内で長老または奉仕の僕として責任をゆだねられましたか。あるいは、宣べ伝え教える機会を増し加えられた全時間の福音宣明者になりましたか。そうであれば、そうした新たな責任を念頭に置いて、もう一度聖書全巻を通読するのは何と有益なことでしょう。
あなたはこれまで、霊の実を表わす点でよくやってこられたかもしれません。それでも、状況が変わったために、それらの敬虔な特質についてさらに多くのことを学ぶ必要を感じておられるかもしれません。年老いた親を世話するため特別な奉仕を断念しなければならなかった、元旅行する監督は、「私は霊の実を表わす点で自分もかなりよくやっていると思っていました。でも今は、もう一度始めからやり直しているような気がします」と言いました。同様に、夫にしても妻にしても、配偶者が身体的もしくは感情的な重い病気にかかっている場合、身の回りの世話をしている時に、たまにストレスを感じて、自分でも情けなくなるような反応を示してしまうことがあるかもしれません。定期的に聖書を読めば、大きな慰めと助けが得られます。
あなたは聖書全巻を通読したことがありますか。もしないのであれば、今こそ始めるべき時です。明確な予定を立て、予定に付き従ってください。1日に何ページまたは何章読むか決めましょう。あるいは単に、いつ、どれほどの時間を費やすかを決めてもよいでしょう。だれもが1年間で聖書全巻を読めるわけではありませんが、大切なのは、神の言葉を定期的に、できる限り毎日読むことです」。
以上の2点を持ちまして、あなたがわたしたちに対して持っておられる不安はおおかた除かれたと思います。
もしも、まだ不十分と思える点がありましたら、どうぞ遠慮なく、再びこちらにまでメールをお寄せください。
ありがとうこざいました。
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