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キリストの証人さん(2)
2001年9月14日更新

記者クラブに対する質問と説得(2)
Subject: Re: エホバの証人記者クラブより
Date: Sat, 30 Jun 2001 11:31:20 +0900
From: **** < **** >
To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >

とんぽっぽ様

丁寧なお返事、どうもありがとうございます、キリストの証人です。

> その点について聖書は何と教えているでしょうか。
> ヨハネ第一 2:2はこのように述べています。
>
> 「そして彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし、わたしたちの罪のためだけではなく、全世界の罪のためでもあります」。
>
> この聖句から、聖書自身がはっきりと、キリストの贖いが全人類のためのものであることを示していることを知ることができます。

本当に貴方のおっしゃる通りです。

「そして、モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように、人の子も挙げられねばなりません。それは、彼を信じるものがみな永遠の命を持つためです。というのは、神は世を深く愛してご自分の独り子を与え、誰でも彼に信仰を働かせるものが滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされたからです」
(ヨハネ 3:14〜16)

この御言葉は、はっきりとキリストの救いについて説明されている一つですね。
民数記21章8〜9節に出て来る青銅の蛇の例えを用いて、救いというものが、どのようなものかをわかりやすく説明してあります。
等しく罪を犯した者たちの中で、モーセの言葉を信じてただ蛇を仰ぎ見たものだけが助かったように、「彼に信仰を働かせるもの」は、救われるのです。

その等しく救われたものを「14万4千人」と、「その他の奴隷級」にわけるのは、何故ですか?
聖書のどこに、「その他の奴隷級」について、また、天の御国の相続ではない地上のみに限定される復活について、記されているのでしょうか。
救いには2種類あると、イエスや弟子たちが語った御言葉はどこにありますか。
その箇所を教えてください。

それでは、神の王国に入る条件について、聖書は何といっているでしょうか。

「イエスがキリストであること信じる者はみな神から生まれたのであり,生まれさせた方を愛する者は皆,その方から生まれた者を愛します」
(Tヨハ 5:1)

「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ, だれも神の王国を見ることはできません。」
(ヨハネ3:3)

「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ.だれも神の王国に入ることはできません。」 (ヨハネ3:5)

ここには、神の王国に入るものの条件、「水と霊から生まれたもの」「再び生まれたもの」が挙げられています。
そして、それはイエスがキリストである事を信じるもの、そして愛するもの全員であると書かれています。

「イエスがキリストである事を信じる」「彼の名に信仰を働かせる」というのは何を意味するのでしょう。
クリスチャンは誰の御名を宣べ伝えますか?

前回のメールでは、私の書き方が未熟で、誤解をお与えしたかもしれません。
至らないものですが、どうぞお赦しください。
エホバの証人の皆様が、熱心に聖書を読み、また伝道活動をなさっているのは存じております。本当に立派なお姿だと、いつも思っています。
しかしながら、どのお方とお話しても、聖書の命というべき部分が、何か足りない気がして止まないのです。

何を信じるかというのは、大変大切な問題です。
あらゆる角度から調べ、信頼に足るものでなければいけませんから。
そして、常に人に従うのではなく、神に従う判断と責任がわたしたちには求められています。

聖書が伝える御名は、誰の御名でしょうか。
クリスチャンは、誰の御名によってバプテスマを受け、信仰を働かせ、迫害を受けたのでしょうか。

最後にもう一度、質問を明確にさせていただきます。

(1) 救いを14万4千人とその他の奴隷級について分ける聖書的根拠
(14万4千人と大群衆が別の場所に住むと書かれているのは、どこか。)

(2) その他の奴隷級について、イエスや弟子たちは何といっているか

(3) クリスチャンは誰の御名を宣べ伝えるか

それでは、聖書からの回答をお待ちしております。

キリストの証人


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Fri, 06 Jul 2001 07:33:41 +0900
From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
To: **** < **** >

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。

ご質問ありがとうございます。
では、順を追ってご質問にお答えいたします。

[1]
あなたが最初に示された、ヨハネ 3章14節から16節は、あなた自身が指摘されているように、はっきりとキリストの救いについて述べ、キリストに信仰を働かせる者が救われることを示してはいますが、その救われる者たちが「等しく救われる」かという点については何も述べていないように思われます。
ですから、この問いについての答えは、聖書の他の箇所に求めるべきだと思います。

[2]
「十四万四千人」に関する記述は聖書の啓示(黙示録) 14章1節から5節にあります。
このようになっています。

「またわたしが見ると、見よ、子羊がシオンの山に立っており、彼と共に、十四万四千人の者が、彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた。またわたしは、多くの水の音のような、そして大きな雷鳴のような音が天から出るのを聞いた。わたしが聞いた音は、自分で弾くたて琴に合わせて歌う歌い手たちの声のようであった。そして彼らは、み座の前および四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌であるかのような歌を歌っている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ、だれもその歌を学び取ることができなかった。これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実、彼らは童貞である。これらは、子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは、神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり、その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである」。

すこしこの内容について解説いたします。
まず、「子羊」とは「神の子羊」であるイエス・キリストのことです。
そのイエスと共に、「十四万四千人の者」が立っています。
立っている場所は「シオンの山」つまりエルサレムです。
「十四万四千人の者」の額には「彼の名と彼の父の名」、つまり“イエス”と“エホバ”という名が記されています。
さらに、「十四万四千人の者」は「初穂として人類から買い取られた」とされています。
彼らは、神によって救われる人たちのうちの、最初の者たちであると考えられます。

[3]
聖書の中に、「その他の奴隷級」という概念はありません。
わたしたちエホバの証人もそのような概念を持っておりません。

[4]
「天の御国の相続ではない、地上のみに限定される復活」については、ヨハネ 5章28節から29節にイエスの言葉があります。
このように記されています。

「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな、彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ、いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」。

この聖句は、「命の復活」だけでなく、「裁きの復活」についても述べています。
これは、イエスキリストによる千年王国の支配の間によみがえる人たちについて述べていると考えられます。

[5]
また、あなたが引用されたヨハネ第一 5章1節ですが、この聖句は、わたしたちが救われる者となるには、エホバから生まれた方であるイエスを愛することにより、エホバへの愛を表明することが必要であることを述べていると思われます。
ヨハネ 3章3節と5節についても、神の王国に入るために必要な霊的な復活についてイエスが訓話を行っている部分です。
この点についてはわたしたちには異論はありません。
ただ、これらの聖句は、救われる者たちが「等しく救われる」かという点については何も述べていないように思われます。

[6]
「聖書が伝える御名は、誰の御名か」という点ですが、まず、キリスト教において「御名」という表現は、ほとんど例外なく神のみ名を表していますので、「聖書が伝えている御名」と言う場合、それはエホバであるはずです。

[7]
「クリスチャンは、誰の御名によってバプテスマを受けたのか」という点ですが、聖書自身に示されているように、父であるエホバとその御子であるイエスと、そして聖霊の名によってクリスチャンはバプテスマを受けます。
マタイ 28章18節から20節にはこのように記されています。

「すると、イエスは近づいて来て、彼らにこう話された。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。それゆえ、行って、すべての国の人々を弟子とし、父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し、わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして、見よ、わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。

[8]
「クリスチャンは、だれに信仰を働かせ、迫害を受けたのか」という問いですが、クリスチャンは父と子に対して信仰を働かせ、迫害を受けました。

[9]
十四万四千人と大群衆が別の場所に住むと、直接的に書かれている聖句はないと思われます。
しかし、聖書はキリストの千年王国の支配について述べており、キリストと共に千年間支配する者と、支配される者とが存在するという点さえわきまえれば、それで十分だと思われます。

[10]
最後に、クリスチャンは、キリストによる神の救いを宣べ伝えることにより、イエスの名と、その父エホバの名をふれ告げます。

以上です。
ありがとうございました。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


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