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キリストの証人さん(4)
2001年9月14日更新

記者クラブに対する質問と説得(4-5)
Subject: Re: エホバの証人記者クラブより
Date: Wed, 11 Jul 2001 07:55:11 +0900
From: **** < **** >
To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >

とんぽっぽ様

お返事どうもありがとうございます、キリストの証人です。

さて、質問に入る前に、前回の私の質問をもう一度引用させていただきます。

(1) 最初のものが天に行き、残りのものは地上にあるとどの御言葉に書いてあるのでしょうか。

この質問については、回答を頂いておりません。
エホバの証人の方々は、貴方を含めて、エホバの証人は聖書に書かれていない事は、一切宣べ伝えておりませんと繰り返し繰り返し強調されます。
ですから、必ずお返事いただけると信じております。

(2) 最初のものは最後になるという御言葉があるのに、最初のものだけが天に行くと考えるのは、どの御言葉からですか。

これについても回答を頂いておりません。
これは、イエス御自身の御言葉を、言葉とおりに解釈されない教義ですので、それを裏付けるためには、最低でも、2つから3つの御言葉の、抽象的ではないはっきりとしたものが必要です。
それはまた、聖書が語る通りです。

私があなた方のところに行こうとしているのはこれで三度目です。
「一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない」のです。
コリント第二 13:1

このように、聖書でそのことが有効になるのは、二人から三人の同意が必要です。
聖書に忠実であると宣言するのなら、当然であると信じております。

(3) 啓示の書には、死者の復活に続いて人々が生前の行ないにしたがって裁かれる様子が書かれていますが、「裁きの復活」の為に1000年統治の為に蘇る事だとの解釈とは矛盾しないでしょうか。

こちらも回答を頂いておりません。
これは明らかに、御言葉と矛盾する教義です。なぜ矛盾するかを聖書のみから、合理的にご説明いただけないとするのなら、残念ながら、エホバの証人の方々は聖書を第一としているとは考える事はできないでしょう。

(4) 新約聖書の中で、イエスが御父を「エホバ」であると紹介された聖句があるでしょうか。

(5) 初期のクリスチャンで、父と子と聖霊の御名によって、バプテスマが施された例や、記録はあるでしょうか。

(6) 聖書には、クリスチャンは誰の名によって迫害を受けると、記されているで しょうか。
御言葉でお答えください。

以上の質問にも、御言葉にてお答えを願いましたが、御言葉による回答は頂けませんでした。
残念ながら、最初に申し上げた私の危惧は、まったく払拭されておりません。

> あなたがご指摘された、マタイ 19章30節、ならびに 20章16節は、文脈に照らして見るなら、「初穂として人類から買い取られた」者について述べているのではなく、当時のユダヤ教の状況について述べていたものと思われます。
> 「これまでに生存したもっとも偉大な人」の本は、この聖句をこのように解説しています。
>
> 「丸1日働く人々は、宗教上の奉仕に絶えず従事してきたユダヤ教の指導者たちを表わしています。彼らは、生活の大部分を漁業や他の世俗の仕事をすることに費やしてきたイエスの弟子たちのようではありません。「家あるじ」は、西暦29年の秋になって初めてイエス・キリストを遣わし、それらの人々を集めてイエスの弟子としました。こうして彼らは「最後の者」、つまり第十一時に呼ばれたぶどう園の働き人になりました」。

これまでに生存したもっとも偉大な人の名は、初めて耳にしました。
一体それは誰ですか?なぜ偉大な人だとわかるのでしょうか。
パウロですら、自分を使徒たちの中で一番小さいものと評していたようですが。

申命記には次のように記されております。

「あなた方は、私が命じている言葉に付け加えてはならず、それから取り去ってもならない。
それによって、私が命じているあなた方の神エホバのおきてを守るためである」。

申命記 4:2

また、箴言30:6 啓示22:18 にも同様の御言葉が有りますね。
貴方は、聖書の御言葉と、その「これまでに生存したもっとも偉大な人」の本と違いが生じたとき、どちらの言葉に従いますか。

それでは、貴方がご回答くださったその外の事柄についてのコメントは、この次にお返事いただいたときに申し上げたいと思います。
今は、ご回答を読んで、いくつかにお返事が頂けなかった事に驚いてその場で書いているメールのため、朝ですし、これ以上時間が取れない非礼をお赦しください。

それでは、同じく聖書のみを信じるもの同士、真理の誠実な探求を目指して、お返事を心からお待ちしております。

どうもありがとうございました。

キリストの証人


Subject: Re: エホバの証人記者クラブより
Date: Wed, 11 Jul 2001 10:52:50 +0900
From: **** < **** >
To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >

とんぽっぽ様

度々失礼致します。キリストの証人です。
今朝私が送ったメールに、一部不備がございましたので、お詫びを兼ねて、訂正致したいと思います。

前回私が出した質問のうち、

(2) 最初のものは最後になるという御言葉があるのに、最初のものだけが天に行くと考えるのは、どの御言葉からですか。

についてですが、これについては、御言葉からではありませんでしたが、以下の部分で回答は頂いておりました。

> あなたがご指摘された、マタイ 19章30節、ならびに 20章16節は、文脈に照らして見るなら、「初穂として人類から買い取られた」者について述べているのではなく、当時のユダヤ教の状況について述べていたものと思われます。
> 「これまでに生存したもっとも偉大な人」の本は、この聖句をこのように解説しています。
>
> 「丸1日働く人々は、宗教上の奉仕に絶えず従事してきたユダヤ教の指導者たちを表わしています。彼らは、生活の大部分を漁業や他の世俗の仕事をすることに費やしてきたイエスの弟子たちのようではありません。「家あるじ」は、西暦29年の秋になって初めてイエス・キリストを遣わし、それらの人々を集めてイエスの弟子としました。こうして彼らは「最後の者」、つまり第十一時に呼ばれたぶどう園の働き人になりました」。

なかなか斬新なご意見ですね。驚きました。

エホバの証人の方々は、よく、「この箇所は私たちにむけて書かれたものではなく、当時のユダヤ人の状況にむけて書かれたものです。」と、おっしゃっていますね。
聖書の中のどの部分が、ユダヤ人にむけて書かれたもので、どこがクリスチャンへの警告なのかという線引きは、どのような判断基準で決められているのでしょうか。
御言葉による判断の基準があると思いますので、是非それを教えてください。
それは、「これまでに生存したもっとも偉大な人」がお決めになったのでしょうか。
その人についても、詳しく教えてください。

また、以下の解釈も大変斬新で、驚かされました。

>創造物は虚無に服させられましたが、それは自らの意志によるのではなく、服させた方によるのであり、それはこの希望に基づいていたからです。すなわち、創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ、神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり、創造物すべては今に至るまで共にうめき、共に苦痛を抱いているのです。

このローマ書の聖句にたいして、

> 一方、「創造物」とは、「神の子」たちが天から表し示されるときに、地上において、「神の子の栄光ある自由を持つ」者たちです。

と理解されているのですね。
The Kingdom Interinier Translation of the GREEK SCRIPTURESという、書物を、エホバの証人の方から譲っていただいておりますが、そこでいう、「ctreation」すなわち「創造物」を、文字通り、神が作られたもの、この世界全体のすべて(動植物)とせずに、地上において、「神の子の栄光ある自由を持つ」者たち、と考えるのはなぜですか。
また、そのような者たちが、「ctreation」と言う言葉で表わされている聖句を他にも教えてください。

それでは、重複をお詫びして、お返事お待ちしております。

キリストの証人


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Wed, 18 Jul 2001 08:08:01 +0900
From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
To: **** < **** >

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。

メールありがとうございます。
引き続き質問にお答えします。

[1]
まず1番目の質問にお答えしたいと思います。

『最初のものが天に行き、残りのものは地上にあるとどの御言葉に書いてあるのでしょうか』

この点については、すでに二つの点からお答えしております。

支配する者と支配される者が天と地に分けられると、はっきり聖書に書かれていないのは、王国の支配がそのようなものであるとしか考えられないからだと思われます。
ローマ 8章18節から23節は、神の王国が天から地上を支配することについて述べています。

[2]
これに追加された質問についてお答えします。

『そこでいう、「ctreation」すなわち「創造物」を、文字通り、神が作られたもの、この世界全体のすべて(動植物)とせずに、地上において、「神の子の栄光ある自由を持つ」者たち、と考えるのはなぜですか』
『また、そのような者たちが、「ctreation」と言う言葉で表わされている聖句を他にも教えてください』

この質問に答える前に、少し指摘すべき点がありますが、この、ローマ 8章18節から23節に関するエホバの証人の解釈は、あなたがおっしゃるように、「たいへん斬新である」とか、あるいは、エホバの証人独自の解釈であるとは言えないようです。

この聖句における、「創造物」とは、この聖句の文意と、また、当時の「創造物」という語の語法に照らして、創造された動植物のあらゆる類を指しているのではなく、ただ人間のみを指していると考えられます。

コロサイ 1章23節をご覧ください。

「もとよりそれは、あなた方が引き続き信仰にとどまり、土台の上に堅く立って揺らぐことなく、自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされないでいるならばのことです。その良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。私パウロは、この良いたよりの奉仕者となりました」。

ここでも、「創造物」という言葉が同じ意味で用いられています。

[3]
続いて、2番目の質問にお答えしたいと思います。

マタイ 19章30節、ならびに 20章16節が、当時のユダヤ人の状況について述べているということは、すでに述べましたように、聖書の文脈から裏付けられますので、正当な解釈だと思います。
しかしながら、私たちエホバの証人は、そのことを根拠にして、「この箇所は私たちにむけて書かれたものではなく、当時のユダヤ人の状況にむけて書かれたものです」とは言いません。

当時のユダヤ人の状況と同じ意味においては、イエスの述べられた事柄は現代キリスト教にも当てはまると考えています。
その場合、「初穂として人類から買い取られた」者とは、特に、啓示の書(黙示録) 12:17に記されている「残っている者たち」となります。
これらの者たちは、現代において、「最後の者が最初になる」とイエスが言われた「最後の者」となります。

[4]
2番目の質問の補足的な質問にお答えします。

『聖書の中のどの部分が、ユダヤ人にむけて書かれたもので、どこがクリスチャンへの警告なのかという線引きは、どのような判断基準で決められているのでしょうか。御言葉による判断の基準があると思いますので、是非それを教えてください』

聖書解釈の根拠が聖書によった規準に即していることは言うまでもありません。
しかし、あなたの言われるような、そのような便利な規準はないものと思われます。
答えを得るためには、地道に教義解釈の道を踏み進んでゆくしかないでしょう。

[5]
続きまして、3番目の質問にお答えいたします。

『啓示の書には、死者の復活に続いて人々が生前の行ないにしたがって裁かれる様子が書かれていますが、「裁きの復活」の為に1000年統治の為に蘇る事だとの解釈とは矛盾しないでしょうか』

矛盾しないものと思われます。
死者の復活の後に行われる「裁き」は、「生前の行い」にしたがってではなく、復活後、千年の期間の行いにしたがって行われるものと思われます。

[6]
この質問については、まず最初にこのように質問を受け、すでにこのように返答させていただきました。

『この御言葉は、死者の復活は1000年統治とは関係無く、そのまま裁きに直結される事が書かれています。この御言葉についてどのようにお考えですか』

「啓示(黙示録) 20:13節については、文脈を見るなら、それが千年王国と関連して述べられていることは明白です。この聖句は、いわゆる「最後の審判」、すなわちイエス・キリストと十四万四千人による千年統治の終わりの裁きについて述べています。ですから、この聖句はヨハネ 5章28節から29節に調和して、地上での復活を示しているものと思われます」

それに対し、今回のあなたの質問は、内容が幾分変わっているように思えます。
そこで、あなたのおっしゃるように、「回答を頂いておりません」とは言えないと思います。

[7]
続いて、4番目の質問にお答えしたいと思います。

『新約聖書の中で、イエスが御父を「エホバ」であると紹介された聖句があるでしょうか』

これにつきましては、すでにこのように答えています。

「新約聖書の中に、イエスが御父を「エホバ」であると紹介された聖句はあるか、という点ですが、イエスがそうされたという直接的な記録は新約聖書にはありません。とはいえ、イエスが神の子である以上、実際にはそうされたと考えるのが筋であると考えられます。恐らくイエスは、神のみ名を、現在は知られていない正しい発音で呼ばれたものと思われます」

[8]
続きまして、5番目の質問にお答えします。

『初期のクリスチャンで、父と子と聖霊の御名によって、バプテスマが施された例や、記録はあるでしょうか』

これにつきましても、すでにこのように答えています。

「初期のクリスチャンで、父と子と聖霊の御名によって、バプテスマが施された例や、記録はあるか、という点ですが、これも、直接的な記録は新約聖書にはありません。とはいえ、イエスの弟子である以上、実際にそうしていたと考えるのが筋であると考えられます」

[9]
続きまして、6番目の質問にお答えいたします。

『聖書には、クリスチャンは誰の名によって迫害を受けると、記されているでしょうか。御言葉でお答えください』

これにつきましても、すでにこのようにお答えしております。

「聖書の中で、クリスチャンは誰の名によって迫害を受けると記されているか、という点ですが、それはエホバとイエスの名の両方だと思われます。特に終わりの日にあっては、クリスチャンはエホバの名によって迫害を受けるものと思われます。この点については、啓示(黙示録) 13章3節から8節に記述があります」

[10]
続きまして、残る補足的な質問にお答えいたします。

「これまでに生存した最も偉大な人」の本が述べるところの「最も偉大な人」とは、イエス・キリストのことです。
この点につきましては、特に異論もなく納得していただけることと思います。

[11]
『貴方は、聖書の御言葉と、その「これまでに生存したもっとも偉大な人」の本と違いが生じたとき、どちらの言葉に従いますか』

もちろん聖書に従います。
この本の内容には、間違いや問題点があることがすでに指摘されており、さらに引き続き、そのような点が指摘されるものと思われます。
そのような状況の進展に応じて、私たちは自分の立場を定めなければなりません。

[12]
なお、「一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない」と述べる、コリント第二 13章1節についてですが、これをメールによる質問のやりとりの回数に適用するのは不適切だと思われます。
答えが得られるまでのメールの回数は、質問がどれほど複雑であるかとか、質問がどれほど多いかといった要素によって、当然変化するはずです。
現在のところ、あなたとわたしとのメールのやりとりは順調に進展しており、このような聖句を引き合いに出すほどの問題はまだないと思います。

回答は以上です。
ありがとうございました。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


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