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Subject: Re: エホバの証人記者クラブより Date: Wed, 18 Jul 2001 15:51:19 +0900 From: **** < **** > To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > とんぽっぽ様
お返事ありがとうございます、キリストの証人です。
> まず1番目の質問にお答えしたいと思います。
そのようなものであるしか考えられないという、根拠を御言葉から示していただきたいです。 なお、ローマの8;18〜23において、天と地という言葉、またそれに類する言葉は見当たりません。
> この質問に答える前に、少し指摘すべき点がありますが、この、ローマ 8章18節から23節に関するエホバの証人の解釈は、あなたがおっしゃるように、「たいへん斬新である」とか、あるいは、エホバの証人独自の解釈であるとは言えないようです。
この「創造物」も、人間だけを指していると考えるのは、どの御言葉からでしょうか。
また、創世記3:17には、神が「良し」とされた地が、罪により呪われる様が描かれています。
> 続いて、2番目の質問にお答えしたいと思います。
この、残っているものと14万4千人の関係を教えてください。
> 2番目の質問の補足的な質問にお答えします。
私が上記の質問をしたのは、いままでにエホバの証人の方々と話をして、14万4千人に限定する救いについて、矛盾すると思われるたくさんの御言葉を示すたびに、「そこは私たちにむけて書かれたものではない」という反応をいただいたからです。
> 続きまして、3番目の質問にお答えいたします。
もう一度お尋ねします。
> 続いて、4番目の質問にお答えしたいと思います。
このように大切な事が、何故記されていないのでしょうか。
> 続きまして、5番目の質問にお答えします。 それでは、お尋ねします。 使徒2:38、使徒8:16、使徒10:48、使徒19:4ー5、ローマ6:3、ガラテア3:27 コロサイ2:12
これらの箇所において、バプテスマは誰の名によって受けると書いてあるでしょうか。
> 続きまして、6番目の質問にお答えいたします。
6節にある、「そしてそれは口を開いて神を冒とくした。その御名と住まい、さらには天に住む者たちを冒とくするためであった。」のことでしょうか。
マタイ10:22、マタイ24:9、ルカ21:12、ヨハネ15:21
> 続きまして、残る補足的な質問にお答えいたします。
間違いや問題があるにもかかわらず、その方を「これまでに生存したもっとも偉大な人」とおっしゃる理由を教えてください。 > なお、「一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない」と述べる、コリント第二 13章1節についてですが、これをメールによる質問のやりとりの回数に適用するのは不適切だと思われます。
誤解があったようなので、お詫びして訂正致します。
そうではなくて、聖書の解釈が平行線となったときに、聖書のみを用いて、解決するためには、聖書の中でいくつの箇所にその事が書かれているか、という事を問題にしたいのです。 それでは今回も、質問をまとめさせていただきます。
(1)ローマの8;18〜23において、天と地という言葉、またそれに類する言葉は見当たりません。
(2)いままでにエホバの証人の方々と話をして、14万4千人に限定する救いについて、矛盾すると思われるたくさんの御言葉を示すたびに、「そこは私たちにむけて書かれたものではない」という反応をいただきました。 (3)ヨハネ17:11ー12において、イエスは誰の御名を明らかにしておられるでしょうか。 (4)使徒2:38、使徒8:16、使徒10:48、使徒19:4ー5、ローマ6:3、ガラテア3:27 コロサイ2:12
これらの箇所において、バプテスマは誰の名によって受けると書いてあるでしょうか。 (5)聖書には、「エホバの名による迫害」についての警告がありますか。
マタイ10:22、マタイ24:9、ルカ21:12、ヨハネ15:21 以上、引用聖句の数が多くて、お手間を取らせてしまいますが、申し訳ありません。 それではお返事お待ちしております。 キリストの証人 | ||
Subject: エホバの証人記者クラブより Date: Thu, 26 Jul 2001 23:10:32 +0900 From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > To: **** < **** > エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。 引き続きご質問に答えます。
[1]
神の王国が天から地上を支配することについては、旧約聖書のイザヤ書の11章や65章などにメシア預言があり、前提となるものがすでに存在しています。
また、すでに引用したローマ 8章18節から23節ですが、あなたは、「ローマの 8:18-23において、天と地という言葉、またそれに類する言葉は見当たりません」と指摘しておられますが、その聖句が「天」とか「地」とかいった言葉を用いていなくても、その文意は十分に明らかであると思います。 「創造物は切なる期待を抱いて神の子たちの表し示されることを待っている」。
神の子たちの表されることについて、「天から」という言葉はありませんが、それが天からのものであることは間違いないと思われます。
[2]
コロサイ 1章23節における「創造物」が何を示しているかは、他の聖句を参照するまでもなく、コロサイ 1章23節自身が明らかにしています。 「良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです」。 パウロが良いたよりを宣べ伝えたのが誰であるかを知っていれば、この「創造物」の意味するところについて議論することもないと思います。
イザヤ 11章や65章の預言の言葉については、異論はありません。
[3]
啓示の書(黙示録) 12章17節に記されている「残っている者たち」と14万4千人の関係についてですが、この啓示 12章17節は「残っている者たち」について、「彼女の胤の残っている者たち」であると述べています。
[4] 四番目の質問に関しては、前回指摘した一つの場合と同様、再びあなたの質問の内容は変わっているようです。
聖書の解釈において、その適用対象を限定することは危険ではないかという、今回のご質問についてですが、まず、聖書の記述は、すべての箇所がすべての人に当てはまるという種類のものではないと考えられますので、そのこと自体は、あなたが述べるように「聖書的でない」とは言えないと思います。
[5]
千年統治と復活の教理解釈に関して、「エホバの証人の方々が、教義のために都合の悪い御言葉は無視している」ということはありません。 「啓示 20章13節が、復活した者への教育の期間である、という教義に矛盾するのでは」という質問についてですが、それは矛盾しないと思われます。
[6]
新約聖書においてイエスがエホバの名を用いていない点についてですが、これは、新約聖書の記述方法の問題だと思われます。 ヨハネ 17章11節から12節はこのようになっています。 「そしてまた、わたしはもう世におりませんが、彼らは世におり、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださったご自身のみ名のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように、彼らも一つとなるためです。わたしは、彼らと共におりました時、わたしに与えてくださったあなたご自身のみ名のために、いつも彼らを見守りました。そしてわたしは彼らを守り、滅びの子のほかには、そのうちだれも滅びていません。それは聖句が成就するためでした」。 「この聖句において、イエスは誰の御名を明らかにしておられるか」という問いですが、この聖句において、イエスは、自分が賜った父の名、つまりエホバの名を明らかにしておられます。
[7] この質問はこのようになっています。
『使徒2:38、使徒8:16、使徒10:48、使徒19:4ー5、ローマ6:3、ガラテア3:27 コロサイ2:12 実際に引用したいと思います。
使徒 2章38節
使徒 8章16節
使徒 10章48節
ローマ 6章3節
ガラテア 3章27節
コロサイ 2章12節 これらの聖句は、キリストの名によるバプテスマ、あるいは、キリストへのバプテスマについて述べています。 なぜかという点ですが、これは、イエスがマタイ 28章19節で行うよう命令した、「父と子と聖霊との名におけるバプテスマ」のことを、表現において簡略化したためだと思われます。
[8]
啓示 13章6節については、その節だけを考慮するのではなく、文脈を見る必要があります。
「聖書には、「エホバの名による迫害」についての警告があるか」という点ですが、今扱っている啓示 13章自身が警告となっています。 「捕らわれの身となるはずの者がいるなら、その者は捕らわれの身となる。剣で殺す者がいるなら、その者は剣で殺されなければならない。ここが聖なる者たちの忍耐と信仰を意味するところである」。 続く質問はこうなっています。
『マタイ10:22、マタイ24:9、ルカ21:12、ヨハネ15:21、使徒4:17ー18、使徒5:40ー41、使徒21:13、コリント第二11:38ー28、フィリピ1:29、ペテロ第一4:14
実際に引用したいと思います。
マタイ 10章22節
マタイ 24章9節
ルカ 21章12節
ヨハネ 15章21節
使徒 4章17節から18節
使徒 5章40節から41節
使徒 21章13節
フィリピ 1章29節
ペテロ第一 4章14節
これらの聖句は、クリスチャンがキリストの名によって、あるいはキリストのために迫害されることについて述べています。
[9]
この質問に関しては、すでにこちらからお答えした内容をご確認なさってください。
[10]
最後に、誤解についてですが、あなたが引用された聖句は、コリント第二 13章1節でしたが、このようになっています。
「わたしがあなた方のところに行こうとしているのはこれで三度目です。「一切の事は二人か三人の証人の口によって確証されねばならない」のです」。
この聖句は、訪問の回数について述べています。
以上です。
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