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Subject: Re: エホバの証人記者クラブより Date: Sat, 06 Oct 2001 10:52:43 +0900 From: **** < **** > To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > とんぽっぽ様 お返事どうもありがとうございます、キリストの証人です。 しかし、大変残念なことに、これまでのあなたとのメールのやり取りは、私が以前から頻繁に耳にしており、また幾人かのエホバの証人の方々とお話する中で抱いていた危惧、すなわち、 「エホバの証人の方々は、組織に都合の悪いことは、考えることができないように、マインドコントロールされていて、話をしていても、都合の悪いところは、無視、或いは論点をずらし、話題を変えてしまうので、対等な話し合いはできない」 という、評判は、その通りだったと、考えざるを得ません。 もしあなたが、それに対して、ご自覚がないようでしたら、マインドコントロールがどのようなものであるか、ご自分でお調べになることを、お勧めしたいと思います。
> [1] この話題が出てきた、論点を考えていただきたいと思います。 まず、根本的な問題点として、エホバの証人の方々は、信仰者に、「14万4千人」と「その他のもの」という、区別というよりは、差別に近いものを設けて、「その他のもの」は、イエスがお命じになった「聖餐」に預かることができないとしています。 私は、この行為に対する、聖書の御言葉からの、明確な裏付けを、あなた方にお伺いしたいのです。
以上のことを踏まえた上で、お考え下さい。 そこで私は、黙示録には、彼らは獣の像を拝まずに、殉教したものとあるが、統治体の方々は、みな殉教者なのですか、とお尋ねしました。 また、エホバの証人の方々は、「14万4千人」は、既に数が満ちたとおっしゃっていますが、それでは、この後には殉教者は起こらない事にもなってしまいます。 それに対して、あなたは、「必ずしも殉教する必要はなく、その心構えさえあればよい」と、おっしゃいました。 全てイエスキリストを信じるものは、等しく救われ、そこに差別はなく、「14万4千人」だけが、千年統治をするわけではないという、従来のキリスト教の考え方であれば、あなたのお返事には何の問題もないでしょう。
しかし、「14万4千人」を過度に特別視し、他のものは千年統治はおろか、聖餐にすらあずかれないとするのなら、
それであるのに、その特権階級の「14万4千人」の資格が、「実際の殉教」ではなく、「殉教できる心構え」であるというのなら、その下のランクにある「その他のもの」は、その覚悟すらないもの、になってしまう事を、わたしは指摘させていただいたのです。 できることならば、統治体14万4千人のうち、一体何人が殉教の死を遂げたのか、教えていただきたいものです。
私の知る限りでは、輸血拒否以外で、エホバの証人の方々が、信仰ゆえに殺された、というニュースは耳にしたことがありません。 この事1つを考えても、エホバの証人の方々の、「その他のもの」とされる方々への扱いが、いかに失礼かつ不合理であり、更に言うなら、パリサイ人的な、「福音からの締め出し」にあたる事を、同じ聖書を信じる者として、大変な悲しみを覚えます。 また、以下「2」〜「5」のお答えについても、それが「14万4千人」と「その他のもの」を、信仰的に差別しないのであれば、(区別、ではありません。)あなたのおっしゃる通りに問題を感じることはありませんでした。 ただし、列王記20:18のご指摘は、列王記19:18の誤りでした。 不注意をどうぞお許し下さいませ。
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> 『人間の場合であっても、不正確な名前でお呼びするよりは、その人にとって、妥当な称号(お父さん、先生等)でお呼びするほうが自然で、非礼に当たらないのは、言うまでもなく当たり前のことです』。
> 理屈としてはよく分かりますが、幾つかの点でこの意見は非現実的で背教的だと思います。
> まず、人間における実際の事例を見て見ましても、国籍と言語が異なるという理由で名前の発音が正確でなくなる事例はいくらでも見られており、むしろそのほうが一般的です。
> そして、このような事例は、たとえばイエスにも当てはまります。
> さらに、このことを考えてください。
> 神のみ名の発音が正確でないことは、業の問題であり、信仰に影響を与えません。
> ですから、業ではなく信仰を追い求める私たちとしては、たとえ発音が不正確であっても、神のみ名を発音するのをやめるわけにはいきません。
考えていただきたいのは、あなたが引用なさっている「イエスース」、「ジーザス」などの代名の称号を使う方々は、同時に「主」という称号も、等しく使っているということです。
私がこの問題を持ち出したのは、新約聖書における「キュリオス」は、テトラグラマトンの改竄であると判断して、権威ある聖書に、人間の手で訂正を加えている、という事までなさって、「正しいみ名」にこだわるエホバの証人の方々であるのに、肝心の呼び方は「不正確」であってもかまわない、というのは、あまりにも道理に外れており、恐ろしいことだと感じるからです。 つまり、「聖書に手を加える」ほどの、「み名」へのこだわりに対し、(或いは、「キュリオス」=「主」という称号への嫌悪に対し。)肝心のみ名は、「不正確でもよい」というのは、あまりにもバランスを欠いた、奇異な論法に聞こえると、申し上げたいわけです。
そこで、お伺いしたいのは、「主」という呼び名が、どうして不正確な発音の御名に劣るとお考えなのかです。 それどころか、キリスト教会においては、新約聖書にテトラグラマトンが出ておらず、「キュリオス」が使われていることには、無視のできない重大な信仰的な意味があると、考えております。
> [13]
> すでに述べましたように、ここでイエスは、ギリシャ語の「エゴ・エイミ」の一般的な用法において、「エゴ・エイミ」用いられたものと思われます。
もし、文法という物をご存知であるのなら、どうしてそのようなことをおっしゃるのか、まったく理解に苦しみます。 新世界訳がしているように、ヨハネ8:58を翻訳するには、「エイミ」は、直説法完了形でなければいけないのは、ご理解いただけるでしょうか。 すなわち「直説法とか完了形」、ではなく、新世界訳においては、この「エイミ」を、「直説法完了形」の動詞として、訳しているので、「私はいる」という訳になるわけです。 しかし、聖書において、「エイミ」(英語のbe動詞にあたります。一般動詞とは違うものであることは、中学生でもわかると思います。)が、この方法で使われているところはありません。
したがって、「エゴーエイミ」は、「I am」としか、訳すことはできず、それが、出エジプト3:14を指すのは、おわかりでしょうか。
今回は、やり取りを重ねる上で、どうしても感じ続けていたことを率直に申し上げてしまいました。 このような非礼にもかかわらず、今後もお返事いただけたら幸いです。 キリストの証人 |
Subject: エホバの証人記者クラブより Date: Fri, 19 Oct 2001 20:09:42 +0900 From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > To: **** < **** > エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。 引き続き、ご意見と質問にお答えいたします。
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[6] 「14万4千人と、それ以外の者たちとの区別は、二つの点で対照的です。ひとつは、支配する側にあるか、支配される側にあるかという点です。もう一つの点は、天にいるか、地にいるかという点です。キリストの贖いの犠牲がどちらの者にも当てはまることは確かなことですが、パンとぶどう酒を食する者については、この区別が当てはまるとわたしたちは考えています。」
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以上です。
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