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Subject: Re: エホバの証人記者クラブより Date: Sat, 20 Oct 2001 17:12:45 +0900 From: **** < **** > To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > とんぽっぽ様 キリストの証人です。 お返事ありがとうございます、と申しあげたいところですが、正直申し上げて、あなたのお返事は、大変申し訳ありませんが、何が書いてあるのか、よくわかりませんでした。 また同じに、貴方のほうも、私のお手紙が何を申し上げているのか、まったくご理解いただけてないことが、残念ながら良く分かりました。
常に感じていたことではありますが、貴方のお返事は、到底貴方御自身が、頭を働かせてお考えいただいたものとは思えず、何か元となるものを、鸚鵡返しで繰り返されているものとしか私には思えません…。 そして、この事実は、私の知る限りでは、マインドコントロールと呼ばれる状況に、非常に良く似ていると申しあげるしかありません。 もしも貴方が、ご自分でおっしゃっているように、マインドコントロールを受けていないという絶大な確信がおありならば、是非もう一度、ご自分自身で、マインドコントロールというものが、一体どのようなものであるのかを、組織とは関係のない方法でお調べすることを、お勧めしたいと思います。
もし、あなたが、そのような心配がないと信じておられるのなら、そのような情報を調べることを、何も恐れる必要はないのですし、そういった情報を提供するところは、多くは宗教とはむ関係の存在でしょうから、そういった意味でも恐れる必要はないはずだからです。 失礼な物言いで、大変心苦しく思いますが、他にどのように申し上げればよいのか、未熟な私には、思いつきませんでした。愛の配慮が足りないものであることを、どうぞお許し下さい。 以下、特に良く理解できないところを申し上げたいと思います。
> [7]
> [9] 誤解のないように申し上げたいのですが、有史以来、殉教をしてきたクリスチャ ンの数はとうに14万4千人を超えていることと思います。 私が申し上げてきたのは、「千年統治にあたるクリスチャン」を「14万4千人」に限定するのは、聖書解釈としては、不適当ではないか、という事です。 それゆえ、このような解釈をなさる以上は、きっと何か聖書的な根拠をお持ちなのだろうと思い、今までその事をお尋ねしました。
そして、貴方からその事について、いくつかのお返事を頂きましたが、そのお返事を読む限りでは、「千年統治」=「14万4千人」としてしまうと、[7]や[9]で、書かれているようなことになってしまうことを、ご指摘したのです。
つまり、これは私の意見ではなく、エホバの証人の組織の方々の聖書解釈を、別の角度からみると、このようになってしまうことをご指摘したのみです。
> [8]
> [10]
> [14] 「信仰の違い」も、「救いのランク」もないのに、聖餐にあずかれるものと、そうでないものが区別されるのは、どういった聖書的な理由があるのでしょうか。 新約聖書をお読みになれば、「聖餐にあずかる」という事が、信仰告白として、どれほど深い意味を持つかは、言うまでもないことです。
また、重複になりますが、救われることに殉教するかしないかという事柄が関わるなどと、私は決して考えておりません。
ただ、殉教にあずかった方々は、「千年統治」を行なう資格がある事は、聖書にはっきりと記されている事柄ですから、もしも、この数を「14万4千人」に、限定してしまうのなら、殉教者だけでも、はるかにこの数を越えてしまいます。
> [15]
> [16]
> [17]
> [18]
> [19]
> [20]
> [21] 新世界訳聖書の付録には、「現代の翻訳者達が聖書の著者であられる神に加えている最大の侮辱は、その方に特有の固有のみ名を削除している、もしくは覆い隠していることです。」と、書かれていますね。 また、「クリスチャンギリシャ語聖書中の神のみ名の翻訳に際しては背景となるヘブライ語聖書をいつも場合も注意深く考慮しつつ、極めて慎重に作業を行ないました。」とも、書かれています。
新約聖書は、ギリシャ語で書かれたのです。 もし、貴方が、[15]〜[21]のように、お考えなのでしたら、そして、神の聖典としての聖書の権威を、信じ恐れていらっしゃるのなら、それが書かれた、ギリシャ語のままで翻訳せずに、わざわざヘブライ語の翻訳本を用いて、原文と異なる訳出をお認めになるのでしょうか。 原典が現存するというのに、それを複数の翻訳本をかき集めて、それを参考に翻訳するなどという作業は、私は聞いたことがありません。
そして、先程の[15]〜[21]で否定なさっているお考えは、5年ほど前までは、我が家を訪れる複数のエホバの証人の方々の口から、直接お伺いしたご意見でもあります。
蛇足ながら、確かに近頃いらっしゃる方々は、あまりその事を口になされなくなりましたが。
> [22]
> [23]
> [24]
ギリシャ語の文法を学習してらっしゃるということですが、完了形でない「エイミ」が、「have been」と翻訳できるというのは、どういう意味ですか? 「完了形」でないことを、お認めになるのでしたら、大変皮肉ではありますが、「エイミ」が、「have been」と、翻訳できないことをお認めになっていることになる事です。お分かりでしょうか? また、事実聖書の中で、「エイミ」が直説法完了形として、用いられることは決してないことは、再三ご指摘している通りのことです。
繰り返しますが、新世界訳の翻訳における、ヨハネ8:59は、「エイミ」を、直説法完了形として翻訳する、「歴史的現在」と解釈するため、「I have been」と訳出されています。
大変失礼ですが、上記の文を読む上では、貴方がギリシャ語はおろか、英語の文法にも、通じていらっしゃるようには、とても考えられません。 「エゴーエイミ」を、「I am」(私はある)と翻訳するのは、大変当たり前であり、また大きな意味を持っています。 私は、別にギリシャ語の教師ではなく、(キリスト教会の牧師の資格には、ギリシャ語とヘブル語の教師である事が必要ですが、私は、一介の信徒にすぎません…。)それ程通じているわけではありませんが、普通に語学を学んだものとして、この程度のことであれば、理解できます。 メールのやり取りの回数が重なるに連れ、貴方に対して大変失礼になっていく自分が、とてもやりきれない気分です。
もう少し他に、言いようはないのかしらとも思いますが、私の表現能力においては、これがせいいっぱいとなってしまい、せいぜいこのような、煮え切らないお詫びを付け加える程度の知恵しかない者であることをどうぞお許し下さい。 このメールを、ただの誹謗中傷であるとお受け取りになられないことを、切にお祈りいたします。
私は30代前半の若輩ものではありますが、16で信仰を持って以来、たくさんのエホバの証人の方々に、お会いしてお話を伺いました。 殊に、エホバの証人であった、親友の叔母が自殺された時からは、その悲しみは、一層深くなるばかりです。 イエスキリストを信じて、全ての罪から購われた経験は、私の一生涯を通じて(まだ30そこそこですが…)一番すばらしく、今尚、毎日すばらしさを増していく、大切で嬉しく幸せな、そして終わりのない経験です。
それは、生ける水の泉が、内側からあふれる命であり、聖書の一言一言が、日々新しく胸に迫る、喜びでもあります。
今はただ、この受けた愛を少しでも、他の人に分かち合いたいと祈る日々です。 キリストの証人 |
Subject: エホバの証人記者クラブより Date: Sun, 04 Nov 2001 19:00:26 +0900 From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > To: **** < **** > エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」運営者のとんぽっぽです。
ご意見のメールをありがとうございます。
[1]
「「救われる者は14万4千人のみでなければならず、しかも、それらはすべて殉教の死を遂げなければならないはずだ」、というあなたの理論は、キリストの贖いによって示された神の過分のご親切を論じるにあたって、あまりにも過酷で、残酷なものだと思います。
私がこのように述べ、あなたが返事をお書きになったことにより、この話し合いは大きく進展したと思います。
[2]
[3]
[4]
[5]
[6]
[7]
[8]
[9] 『貴方からその事について、いくつかのお返事を頂きましたが、そのお返事を読む限りでは、「千年統治」=「14万4千人」としてしまうと、[7]や[9]で、書かれているようなことになってしまうことを、ご指摘したのです。それが大変理不尽で、聖書的でないことについては、私も心から賛同いたします。』
この点につきましては、すでに答えることがありません。
[10] 『つまり、これは私の意見ではなく、エホバの証人の組織の方々の聖書解釈を、別の角度からみると、このようになってしまうことをご指摘したのみです。また、それに対する聖書に基づいた、理にかなった御回答は、まだいただいておりません』。
あなたのご指摘があくまで理論上のものであることは理解できました。
[11] 『「信仰の違い」も、「救いのランク」もないのに、聖餐にあずかれるものと、そうでないものが区別されるのは、どういった聖書的な理由があるのでしょうか。』
「救われる人には立場の違いがあるが、その立場の違いに「ランク」という考えをあてはめるのは正しくない」、というのがこのご質問に対する答えです。
[12]
『ただ、殉教にあずかった方々は、「千年統治」を行なう資格がある事は、聖書にはっきりと記されている事柄ですから、もしも、この数を「14万4千人」に、限定してしまうのなら、殉教者だけでも、はるかにこの数を越えてしまいます。
この点につきましては、繰り返しになりますので、まずはこのメールの10項をご覧ください。
[13]
「聖書は宇宙の主権者なる主の神聖なご意志を明らかにするものですから、(YHWH)としてヘブライ語本文に7,000回近くもはっきり示されている、
その方の、神としての独特のみ名を省略したり、隠したりすることは、その方の威光また権威に対する非常な不敬、まさに侮辱の行為となります。」
「現代の翻訳者たちが聖書の著者であられる神に加えている最大の侮辱は、その方に特有の固有のみ名を削除している、もしくは覆い隠していることです。実際には、その方のお名前はヘブライ語本文中に(YHWHもしくはJHVH)というつづりで6,828回出て来ます」。
この記述はいずれも、ギリシャ語新約聖書ではなく、ヘブライ語旧約聖書について述べております。
[14] 『また(新世界訳聖書には)、「クリスチャンギリシャ語聖書中の神のみ名の翻訳に際しては背景となるヘブライ語聖書をいつの場合も注意深く考慮しつつ、極めて慎重に作業を行ないました。」とも、書かれています。新約聖書は、ギリシャ語で書かれたのです。神はそれを、ヘブライ語でお書きになったのではありません』。
あなたがご指摘してくださったように、新約聖書がギリシャ語で書かれたという点に間違いはありません。
[15] 『原典が現存するというのに、それを複数の翻訳本をかき集めて、それを参考に翻訳するなどという作業は、私は聞いたことがありません』。
原典は存在しておりますが、それはいずれも写本であり、原本ではありません。
また、新世界訳聖書の取っている、「複数の翻訳本をかき集めて、それを参考に翻訳する」という方針は、新世界訳聖書に限らない聖書翻訳の一般的な手法です。
[16]
[17] 『蛇足ながら、確かに近頃いらっしゃる方々は、あまりその事を口になされなくなりましたが。この数年で、何か解釈に変更が与えられたのでしょうか?だとすれば、その箇所と、詳しい理由を是非ご説明下さい』。
特に変更はございません。
[18]
あなたご自身が表明されておられますように、あなたにギリシャ語とヘブライ語にについての専門的な知識がないというのでしたら、これまでの説明は不適切なものでした。
1.
2. 「ギリシャ語の完了時制に相当する英語の時制はない。ギリシャ語lelukaを I have loosed ……と訳すのは、(本書の)練習問題においてしばしば用いられている。しかし、これらはせいぜい間に合わせの訳である」。
3. 「現在時制においては、ギリシャ語の「私は解く」と、「私は解いている」との区別がない。前者の「私は解く」は単に動作が現在行われていることを示し、後者の「私は解いている」はその動作が継続していることに注目している」。 以上の三つの点をもちまして、ギリシャ語の現在形は、継続を意味する場合においては、英語の現在完了の形に訳されうるという点がご理解いただけたと思います。
[19]
以上です。
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