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情報部へのメール
キリストの証人さん(12)
2002年10月14日更新

記者クラブに対する質問と説得(15-16)
Subject: Re: エホバの証人記者クラブより
Date: Mon, 05 Nov 2001 19:49:50 +0900
From: **** < **** >
To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >

とんぽっぽ様
お返事どうもありがとうございます、キリストの証人です。

さて、ざっと目を通したところ、文法の問題においては、特に気になる部分がございましたので、先にそのところだけ回答したいと思います。
他の部分におきましては、後日改めて回答いたしたいと思います。

> 1.
> まずは、英語の現在完了の用法に注目しましょう。
> “I have been”という英語は、「現在完了」です。
> これは、ただの完了形ではなく、「現在完了」です。
> 「現在完了」には、「現在」という考えが含まれているため、二つの用法があります。
> 一つは、「完了を意味する現在完了」です。
> もうひとつは、「継続を意味する現在完了」です。
> そして、“I have been”は、この「継続を意味する現在完了」です。
> つまり、現在に至るまで行動が継続している状態、厳密には完了とは言えない状態です。
>
> 2.
> 続きまして、J・G・メイチェンによる、「新約聖書ギリシャ語原典入門」に注目してみましょう。
> この本は、ギリシャ語の完了形と英語の完了形との違いに読者の注意を引いています。
> この本は、第二十九課、単元451において、このように述べています。
>
> 「ギリシャ語の完了時制に相当する英語の時制はない。ギリシャ語lelukaを I have loosed ……と訳すのは、(本書の)練習問題においてしばしば用いられている。しかし、これらはせいぜい間に合わせの訳である」。
>
> 3.
> 続きまして、さらに同書の第三課、単元21に注目してください。
>
> 「現在時制においては、ギリシャ語の「私は解く」と、「私は解いている」との区別がない。前者の「私は解く」は単に動作が現在行われていることを示し、後者の「私は解いている」はその動作が継続していることに注目している」。
>
> 以上の三つの点をもちまして、ギリシャ語の現在形は、継続を意味する場合においては、英語の現在完了の形に訳されうるという点がご理解いただけたと思います。

[loss] 、「解く」などは、一般動詞と呼ばれるものであり、それが、be動詞とは、異なるものであることを、繰り返し申し上げてきたつもりですが、それはお分かりでしょうか。

新約聖書におけるギリシャ語文法では、「be動詞 エイミ」を、あなたが、今回例にあげられたような「一般動詞」が直説法完了形と解釈され、「歴史的現在」の意味で用いられるような形で、使われている箇所は1つもない、という事を、繰り返し説明申し上げているのですが。

繰り返しになり、くどくて申し訳ありませんが、御回答のように一般動詞を歴史的現在として用い、「継続」の意味で使うことは、新約聖書のギリシャ語でも、確かにあるのです。
ですが、「be動詞」に限っては、そのように用いられる例はない、という事です。おわかりでしょうか?

もしあなたが、ギリシャ語を学んでいらっしゃるのでしたら、私の質問の意図は、容易にお分かりだと思うのですが。

しかしながら、最初から同じ指摘のみを、私は繰り返しているだけですのに、それに見合う回答は、今だ頂けておりません。

今までに比べれば、今回は少し丁寧に回答頂いたようですが、このような御回答であれば、あなたは「be動詞」と「一般動詞」の区別が、おつきにならないことになってしまいます。

もし、この件に御回答下さるのならば、新約聖書において、「be動詞 エイミ」を、「直説法完了形」で用いている事例を頂けなければなりません。(ありませんが…)

それがない以上は、「エゴーエイミ」は、[I am]としか訳せないのですから。

それでは、取り急ぎ用件まで。

キリストの証人


お知らせ

 この後、キリストの証人さんとは音信不通になっておりました。
 対話再開に際し、キリストの証人さんの提案により、もっぱら上記「ギリシャ語エイミ」の件に話の的を絞ることになりました。


Subject: 長らくご無沙汰しております
Date: Thu, 08 Aug 2002 17:55:27 +0900
From: **** < **** >
To: ****

とんぽっぽ様
キリストの証人です。
先日は、きちんとしたお返事を出せずに失礼いたしました。

子供達が夏休みに入り、ようやくまとまった時間ができましたので、お返事の残りを差し上げようと思ったのですが、以前いただいたお手紙を読み返したところ、既に書きましたところの他は同じ事柄の平行線の水掛け論となっているようです。
長くお待たせして本当に申し訳ないのですが、私個人としてとんぽっぽさんに申し上げることができるのは、昨年最後に出しました返事以外にはないようです。

大変失礼ではありますが、そちらを私からの返事としてお扱い下さいますでしょうか。

日々の生活の中で、至る所におられる神の臨在と深い愛を味わっております。
主イエス様の無償の愛が、どうぞとんぽっぽさんにも触れますよう、心よりお祈り申し上げます。

キリストの証人


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Mon, 26 Aug 2002 08:29:40 +0900
From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
To: **** < **** >

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」情報部です。

お返事遅くなりまして申し訳ありません。

前回の話し合いで、あなたが最後に述べられた内容は以下の通りでした。

(省略)

この点について答えさせていただきます。

[1]
一般動詞とbe動詞とが異なる性質を持っていることは理解しております。
そのことは特に問題にはなりません。

[2]
ヨハネ 8章58節のギリシャ語エイミが「歴史的現在」であるかどうかは、ここでの議論に関係しません。関係しているのは、エイミが継続を示しているかどうかです。

[3]
エイミは直接法現在です。しかし、ヨハネ 8:58のエイミは継続を表していますので、翻訳に際しては、直接法完了と読むのが最善です。

[4]
ギリシャ語エイミは、他の一般的な動詞と同様に、継続の意味で用いられることがあります。
例えば、「新約聖書の慣用句に関する文法」はこのように述べています。

『時として、現在形が過去時制をも含むことがある。例えば、その時点よ り前から始まり、依然として続いている状態をその動詞が表わしている場合……ヨハネ 15:27, 8:58.』。

また、「新約聖書ギリシャ語文法」はこのように述べています。

『ある行為が過去に生じ、論じられているその時点に至るまで継続していることを表わす現在形は、実質的に完了相と同じである。ただ一つ違っているのは、その行為が依然として継続状態にあるとみなされていることである。……新約においてこのような例は多く見られる: ルカ 2:48, 13:7, ルカ 15:29, ヨハネ 5:6, 8:58……』

これらの資料はいずれも、ヨハネ 8:58のエイミが継続を示していることを指摘しています。

[5]
ヨハネ 8:58のギリシャ語エイミが継続を表していることは、その文章の意味を考えるとき、あまりにも明白です。

「きわめて真実にあなた方に言いますが、アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」。

この表現を見る限り、「いる」すなわちエイミが過去からの継続を表していることは明白です。

以上になります。

お忙しいかと思いますが、引き続き対話をよろしくお願いいたします。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


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