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Subject: Re: エホバの証人記者クラブより Date: Mon, 05 Nov 2001 19:49:50 +0900 From: **** < **** > To: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** >
とんぽっぽ様
さて、ざっと目を通したところ、文法の問題においては、特に気になる部分がございましたので、先にそのところだけ回答したいと思います。
> 1. [loss] 、「解く」などは、一般動詞と呼ばれるものであり、それが、be動詞とは、異なるものであることを、繰り返し申し上げてきたつもりですが、それはお分かりでしょうか。 新約聖書におけるギリシャ語文法では、「be動詞 エイミ」を、あなたが、今回例にあげられたような「一般動詞」が直説法完了形と解釈され、「歴史的現在」の意味で用いられるような形で、使われている箇所は1つもない、という事を、繰り返し説明申し上げているのですが。
繰り返しになり、くどくて申し訳ありませんが、御回答のように一般動詞を歴史的現在として用い、「継続」の意味で使うことは、新約聖書のギリシャ語でも、確かにあるのです。 もしあなたが、ギリシャ語を学んでいらっしゃるのでしたら、私の質問の意図は、容易にお分かりだと思うのですが。 しかしながら、最初から同じ指摘のみを、私は繰り返しているだけですのに、それに見合う回答は、今だ頂けておりません。 今までに比べれば、今回は少し丁寧に回答頂いたようですが、このような御回答であれば、あなたは「be動詞」と「一般動詞」の区別が、おつきにならないことになってしまいます。 もし、この件に御回答下さるのならば、新約聖書において、「be動詞 エイミ」を、「直説法完了形」で用いている事例を頂けなければなりません。(ありませんが…) それがない以上は、「エゴーエイミ」は、[I am]としか訳せないのですから。 それでは、取り急ぎ用件まで。 キリストの証人 |
お知らせ
この後、キリストの証人さんとは音信不通になっておりました。 |
Subject: 長らくご無沙汰しております Date: Thu, 08 Aug 2002 17:55:27 +0900 From: **** < **** > To: ****
とんぽっぽ様
子供達が夏休みに入り、ようやくまとまった時間ができましたので、お返事の残りを差し上げようと思ったのですが、以前いただいたお手紙を読み返したところ、既に書きましたところの他は同じ事柄の平行線の水掛け論となっているようです。 大変失礼ではありますが、そちらを私からの返事としてお扱い下さいますでしょうか。
日々の生活の中で、至る所におられる神の臨在と深い愛を味わっております。 キリストの証人 |
Subject: エホバの証人記者クラブより Date: Mon, 26 Aug 2002 08:29:40 +0900 From: エホバの証人記者クラブ情報部 < **** > To: **** < **** > エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」情報部です。 お返事遅くなりまして申し訳ありません。 前回の話し合いで、あなたが最後に述べられた内容は以下の通りでした。 (省略) この点について答えさせていただきます。
[1]
[2]
[3]
[4] 『時として、現在形が過去時制をも含むことがある。例えば、その時点よ り前から始まり、依然として続いている状態をその動詞が表わしている場合……ヨハネ 15:27, 8:58.』。 また、「新約聖書ギリシャ語文法」はこのように述べています。 『ある行為が過去に生じ、論じられているその時点に至るまで継続していることを表わす現在形は、実質的に完了相と同じである。ただ一つ違っているのは、その行為が依然として継続状態にあるとみなされていることである。……新約においてこのような例は多く見られる: ルカ 2:48, 13:7, ルカ 15:29, ヨハネ 5:6, 8:58……』 これらの資料はいずれも、ヨハネ 8:58のエイミが継続を示していることを指摘しています。
[5] 「きわめて真実にあなた方に言いますが、アブラハムが存在する前からわたしはいるのです」。 この表現を見る限り、「いる」すなわちエイミが過去からの継続を表していることは明白です。 以上になります。 お忙しいかと思いますが、引き続き対話をよろしくお願いいたします。
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