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“物事を深く知りたい者”さん(2)
2003年1月3日更新

『大群衆』についての質問
Subject: 大群集に関しての質問
Date: Tue, 30 Jul 2002 12:31:49 +0900
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お手数ですが、大群集に関しての事柄を教えてもらえないでしょうか。
 『最も偉大な人』の本の、羊の囲いと羊飼いのページには、「ほかの羊はこの囲いのものではないので別の囲い、つまり3番目の囲いのものに違いありません。」と書かれています。これは大群集に関する大事な点ではないかと思うのですが、聖書をみてもヨハネとユダヤ人の関係が1番目の囲いのものだという個所が見当たりません。
 またヨハネ10:16には「彼らは私の声を聴き一つの群れ、一人の羊飼いとなります」と書いています。羊飼いとは大群集を教育する油注がれた者を指しているのではと思うのですが、ページの最後に書かれている聖句をみても大群集に関して納得できる個所が見つかりません。
 よろしければ大群集に関して断定された事柄を聖句から具体的に説明していただけないでしょうか。


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Thu, 22 Aug 2002 08:41:23 +0900
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エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」情報部です。

 質問の内容から察するに、イエスが述べた「ほかの羊」が、「油そそがれた者」とは異なる「大群衆」を指しているというエホバの証人の教理については、すでに知っておられるものと思います。そのことを前提に話を進めたいと思います。

[1]
まずは、「羊の囲い」について述べます。

 この本の説明の基礎となっている教理では、1番目の囲いとされているのは生来のイスラエル人のためのモーセの律法契約、2番目は新しい契約に入っている霊的イスラエル、「油そそがれた者」のための囲い、3番目は「ほかの羊」、となります。

1つ目の囲いに関する解釈の根拠となっているのは、マタイ 10章6節と15章24節です。
この点について、「ものみの塔」誌はこのように説明しています。

『モーセの律法契約というその羊の囲いについてどんなことが言えるでしょうか。イエス・キリストはバプテスマを施す人ヨハネからバプテスマを受け,エホバの聖霊によって油そそがれ,ユダヤの荒野で40日間の誘惑を受けたあと,西暦29年にイスラエル人の羊の囲いに霊的な羊飼いとして来られました。イエス・キリストは,自分は特に「イスラエルの家の失われた羊」のところに遣わされた,と言われました。(マタイ 10:6; 15:24)バプテスマの時まで,イエスはもっぱらモーセの律法契約という羊の囲いの取り決めの中で生活する生来のイスラエル人の一人でした。しかし今やエホバの霊によって油そそがれ,生み出されたイエス・キリストは,「りっぱな羊飼い」としての新たな役割を担ってその羊の囲いのところに来ることができました。』

 ただし、イエスはヨハネ10章で「ほかの羊」について述べた際、この囲いについてははっきりと言及しませんでした。ですから、イエスがその時にはっきり述べた内容だけに注目するなら、群れは2つということになります。そこで、「ものみの塔」誌はこのように述べています。

『これらのほかの羊は,りっぱな羊飼いのもとにある別個の囲い(二番目の囲い)の中にいると言えるかもしれません』。

 2番目の囲いに入るのが「油そそがれた者」たちであることは、イエス自身の言葉から間違いありません。これについては、あまりに自明ですので説明を省略させていただきます。

 一方、イエスは、「わたしにはほかの羊がいますが、それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければなりません」と言いました。ここで「ほかの羊」は「この囲いのものではありません」と述べられているのですから、これが3番目となります。

 さらに「ものみの塔」誌は、2番目の囲いに入る「油そそがれた者」が「人類の初穂」と述べられていることに注目し、こう述べています。

『啓示 14章4節は,「これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られた」と述べています。もし別の穂,あとの実りがないとしたら,これら14万4,000人の霊的なイスラエル人が人類の中から取られた象徴的な初穂であるとどうして言い得るでしょうか。ですから,新しい契約の羊の囲いの中の王なる羊たちの小さな群れを構成する14万4,000人の霊的イスラエル人以外にも,のちに集められるはずのほかの羊がいるはずです』。

 「これまでに生存した最も偉大な人」の本が、1つ目の囲いについて、「最初の羊の囲いの「戸口番」はバプテスマを施す人ヨハネでした」と述べて、ヨハネとユダヤ人との関係に注目しているのは、この教理のバリエーションとしてです。

 さて、2番目と3番目との囲いについては、その羊飼いがイエス自身であることは明白であるように思います。あえてイエスを差し置き、油そそがれた者をその羊飼いの地位に置くことには全く聖書的な根拠が見いだせません。「一人の羊飼いとなる」として述べられているのはイエスご自身です。

[2]
続きまして、「大群衆」について述べます。

 大群衆に関する記述は、啓示 7章9節にあります。
 これに関係している文脈では、「油そそがれた者」である「14万4千人」との対比が示されています。
 ですから、「大群衆」は、「油そそがれた者」に対してほかの者、つまり「ほかの羊」であると言えます。

 すでに紹介しましたように、油そそがれた者は「人類の初穂」と呼ばれており、このことからも、「大群衆」は「油そそがれた者」に対してほかの者、つまり「ほかの羊」であると言えます。

 「油そそがれた者」は、イエスとの養子縁組により「神の子」という称号を共有していることにも注目できます。この点については、ガラテア 3章26節、4章5節、またローマ 8章14節から17節をご覧ください。
 この「神の子」について、ローマ 8章18節から23節が述べている事柄に注目してください。

『それゆえ,今の時期のいろいろな苦しみは,わたしたち[神の子たち]のうちに表わし示されようとしている栄光に比べれば,取るに足りないものとわたしは考えます。創造物[人類]は切なる期待を抱いて神の子たちの表わし示されることを待っているのです。創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです。それだけではありません。初穂[人類の初穂]としての霊を持つわたしたち自身も,そうです,わたしたち自身が,自らの内でうめきつつ,養子縁組を,すなわち,贖いによって自分の体から解き放されることを切に待っているのです。わたしたちはこの希望のもとに救われたからです』。

 ここでは、「油そそがれた者」と「大群衆」の立場の違いがはっきりと示されています。
 ほかにもいくつか関連する聖句がありますが、それらすべてを考慮すると、このようになります。

 「人類の初穂」として選ばれるのが「油そそがれた者」もしくは「神の子たち」であり、彼らはキリストと共に「王また祭司」として「千年王国」の支配を行います。
 一方、「大群衆」は、彼らにより「神の子の自由」を分け与えられる者たちであり、「千年王国」の期間中、キリストと共に彼らが行う支配に服します。

以上となります。
さらに質問したい点等ありましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
ありがとうございました。

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