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情報部へのメール
“物事を深く知りたい者”さん(4)
2003年1月3日更新

エホバの証人の組織についての質問・他
Subject: 質問
Date: Mon, 14 Oct 2002 14:38:43 +0900
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To: < **** >

返事のメールありがとうございました、今回の質問にもよろしくお願いします。

エホバの証人出版情報「ものみの塔」誌2002年8月1日号を読んで

■「目に見える地上の組織が一体どのようにして、目に見えない神に導かれるのでしょうか」。
「コラが祭司職を人間的な観点から見るようになったことは明らかです」。
たとえ、間違いや罪を犯す人間であっても、神が権威とされたからには、その者には神の権威が付されていることをわきまえなければならないということである。エホバの証人の指導的組織や、会衆の長老たちも、モーセやアロンと似たようなものである。そこで記事は、指導的立場にある長老と、その指導に服する会衆とをそれぞれこのように諭した。

質問
1/神は直接モーセに対してアロンを大祭司に任命するように指示していますが、現在の統治体および冊子協会は誰に任命されのでしょうか。一世紀当時のクリスチャン会衆を模範にしている事を根拠に組織個人で自己任命したのではないでしょうか。アロンとコラの状況を「エホバの証人の指導的組織」に例えるのは、神に直接任命されたアロンの場合とは「指導的組織の自己任命」という点で根本的な違いがあるのではないでしょうか。

■「ですから、カインとアベルそれぞれのささげた犠牲の物質的な違いだけが理由で、神が一方を受け入れ、他方を退けたのでないことは明らかです」。
「アベルが神から義なる者と認められたのは、信仰のゆえでした。しかし、何に対する信仰でしょうか。胤を遣わすというエホバの約束に対する信仰です。アベルは、血を流すことの伴う犠牲が必要だと推論したのかもしれません」。

質問
2/ここで疑問なのはアベルは羊を飼う者カインは地面を耕す者であったということです、そして各々の産物の中から犠牲を捧げたのであり結果としてアベルは羊を捧げたということではないでしょうか、ですから捧げもの内容から胤を遣わすというエホバの約束や血を流すことの伴う犠牲の必要性をアベルが理解していたと推論することは出来ないのではないでしょうか。

(先のメールより)
■エホバの証人は、自分たちの組織がどの程度のものか理解しています。
エホバの証人の統治体への信頼は、父親に対する子供の信頼に似ています。

質問
3/幾人かのエホバの証人の方と話す機会がありましたが現在の組織がどうなっているのか皆さん知りませんでした、個人の神に対する信仰があれば不完全な統治体はどうでもよいのでしょうか、しかし会衆は神の言葉をすべて統治体から霊的食物として受入れています、ものみの塔誌に抽象的な表現で統治体の変化を紹介していましたが、現在の会長や理事会が「他の羊」でありそのことによる聖書的矛盾など多くの証人は夢にも思はないでしょう、父親の顔も知らない子供は不憫ではないでしょうか。

物事を深く知りたい者


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Thu, 24 Oct 2002 12:24:44 +0900
From: **** < **** >
To: **** < **** >

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」情報部です。
引き続きまして質問に答えさせていただきます。

[1]
 現在のクリスチャンは、どのような立場にあるとしても、基本的に聖霊によって任命された立場を持ちます。
 特に統治体についてですが、これは油注がれた者たちから構成されております。油そそがれた者とは神の聖霊の現れを実際に受けた者ですから、統治体の聖霊による任命は確かなものと考えられています。

 アロンとコラの事例は、いくつかの原則においてのみ現在のクリスチャン会衆、また組織に適用されます。この時重要なのは、過去の事例から私たちが現実的な教訓を得ることです。ですから、注目すべきなのは現在の会衆との共通点であって、相違点ではありません。
 たしかに、モーセの時代の任命と現在の任命とには根本的な違いがあります。モーセの時代は奇跡と戒律とによって神が人を導かれる時代でした。しかし、聖書自身が、今がそういう時代でないことを示しています。今は、奇跡によらず、信仰と教えとによって神が人を導かれる時代です。
 ですから、クリスチャンは、アロンとコラの事例のみならず、聖書に示されているすべての教訓を読みとり、実践することによって神に導かれます。
 ですから、該当の「ものみの塔」誌の記事は、その共通点においてのみ理解を進めていただければよいと思います。

[2]
 アベルとカインが捧げた犠牲についてのご指摘はおおかたその通りです。記事が扱っているのはまさにそのような意見です。
 しかし、いくらかの可能性について論じることもできます。記事は、「アベルが信仰だけでなく認識のうちに犠牲を捧げた」という解釈については「そうだったかもしれない」という見解を表明しています。

[3]
 エホバの証人の組織が法人としてどうであるかとか、どのように運営されているかというような類の事柄は、前回私が回答した内容とは根本的に性質の異なるものです。
 そのようなことを全く知らなかったとしても、ここで論じている意味での組織に対する信頼には何の影響もありません。

 あなたがご指摘のように、統治体は不完全ですし、大切なのは神と個人との関係ですが、だからといって「統治体はどうでもよい」ということはありません。私たちとしては、極端な考え方は慎みたいものです。

 ものみの塔協会の会長と会員(あなたの表現では理事)が油そそがれた者でないことは矛盾ではありません。
 少し前までは、統治体のメンバーが会長の職にあずかっていましたが、これについては教理上の理由から異論がかなりあり、問題として認識されながらも放置されていました。現在は解決されております。
 問題だったのは、教理上は完全に別個の組織であるはずの「統治体」と「法人組織」とが重複しているという点です。この指摘を受けつつも、その利点のゆえに、統治体のメンバーはものみの塔協会の会長職になおとどまっていました。ようやくこの問題が解決されたということで、私たちはみな安堵しております。
 一方、反対者たちはこの件を逆手に取ることを思いついたようです。あなたはその宣伝の影響をもろに受けているものと思われます。
 教理上の理由から、統治体の持つ権限は今後も縮小の方向へ向かうものと予想されます。ここで見られている反対者の宣伝工作も、その動向に追従する形で発展していくものと予想されます。このような宣伝に影響されてしまわないよう是非ともご注意ください。

以上です。
ありがとうございました。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


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