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情報部へのメール
キリストの証人さん(16)
2004年6月22日更新

記者クラブに対する質問と説得(20)
Subject: Re: エホバの証人記者クラブより
Date: Fri, 02 Jan 1970 10:18:06 +0900

キリストの証人です。
お返事をどうもありがとうございます。

せっかく長い時間をかけていただいたお返事なのですが、本来の質問から以前にもましてずれているようです。その点を、ご留意頂ければ幸いなのですが。

>[1]
>まず、英語の表記についてですが、
>“I am student two weeks ago.”
>これは、“I am student from two weeks ago.”の誤記ということでよろしいでしょうか。

私の書いたメールを読んでいただければ分かると思いますが、これは、実際には成り立たない間違えた文章として、あげた例です。もちろん、fromをつけたところで、am とfromとagoは、一緒に用いる言葉でないことは、英語をご存じであれば分かると思うのですが。

>[2]
>英語の“I am student from two weeks ago.”については、その“I am”が“have been”に置き換え得るというあなたの説明に異議はありません。

もちろん、そのようなことを、申し上げたかったのではありません。
am を持ちいて、「いつからそうであった」かという状態をあらわすのは不適当であり、その場合は「have been」となると、申し上げた次第です。
amを用いるときは、その人の身分や状態をあらわすときで、時間的な制約は盛り込まれないからです。
ちなみに、have beenに置き換えるのでしたら、I have been studento since two weeks before.の方が、いくらか適当と思われます。

>[3]
>あなたのおっしゃる、『「私はある」という翻訳も、広い意味では「継続」と捕らえうる』という点についても、異議はありません。
>[4]
>ギリシャ語エイミについては、あなたは英語の文例を題材にしつつ、「エイミは時間的空間的に制限される継続を意味するか」というテーマを掲げ、それは「時間的な制約を伴う継続を意味しない」と結論づけておられますが、これは、根拠以前に内容が不明です。

amと言う言葉を用いて表されるのは、その人の本質的な状態であると、申し上げております。
いつから、いつまでその状態である、という期間を限定された状態をあらわすのには、have beenを使うと申し上げたのであって、これは、中学校で習う範囲の英語です。

>[5]
>エイミが継続を意味する場合、通常は、『ある特定の時点から現在』、あるいは『ある特定の時点から特定されない未来』、というような時間的な制約を持ちます。しかし、そうでない場合もあるでしょう。

エイミは、継続を意味するか、が問題の論点です。
上記のように、英語ではhaveを補わずに、継続を意味して使われることはないからです。
くどいようですが、もちろん現実として継続していないのではなく、時間的な制約をあらわしたいときは、haveを使う、と申し上げたいのです。

>[6]
>ヨハネ 14章9節で論題となっているのは「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分ではなく、新共同訳聖書において「こんなに長い間一緒にいる」と訳されている部分です。
>「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分にギリシャ語エイミは用いられておらず、あなたの説明は全くの見当違いとなっています。

そのようなことを申し上げたことは、まったくありません。
もう一度、私のメールを読み直して下さい。
私は、一般動詞が英語でhaveにあたる言葉を補わずに、直接法完了として用いられている、ギリシャ語聖書の用例をあげ、このような用例がbe動詞にも使えると誤解されているのでは、と何度も申し上げてきたことを、(そのことには、なかなかお返事頂けないので)具体例を出してみたのです。

>[7]
>ヨハネ 14章9節の、「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分にはエイミが用いられていませんので、英文新世界訳聖書のその部分に“have been”が用いられているかどうかというのは、今の話とは全く別の話です。

とても不思議です。これは前回あなたが説明のためにひかれた箇所なのです。さらに不思議なのは、エホバの証人の書物は、ここをhave beenと訳出していません。

>[8]
>ヨハネ 14章9節のギリシャ語エイミは、「こんなに長い間一緒にいる」の部分にあり、これは英文新世界訳聖書を含めた代表的な英訳聖書において“I have been”の形に訳出されています。
>この点、あなたは勘違いをなされてられるようですので、改めてご確認ください。

もう一度、前回の私のメールを読んで下さい。

私の手もとにある、エホバの証人の王国行間逐語訳集には、have beenにはされていない、と申し上げましたが、ここの箇所は、解釈的にどちらであっても差が出ないこともあわせて前回説明しました。

>[9]
>ヨハネ 14章9節の“I have been”はエイミの意訳ではありません。
>すでに何度も指摘しておりますように、ギリシャ語動詞は現在形と継続とのどちらの性質も持っています。つまり、ギリシャ語では、現在形の文も進行形の文も、全く同じ文で示されます。
>そこで、ギリシャ語動詞が継続を意味して用いられていることが明らかである時、それは現在形の文と同じ綴りであっても、現在形の文ではありません。
>つまり、エイミが継続を表していることが明白な場合には、それを継続と訳すのが字義訳となります。

一般動詞における継続性は、もちろん認めておりますので、be動詞の場合もそれが適応される文法的な根拠をお示し下さい。
この質問は、これで何回目なのかもう私には分かりません。

>[10]
>ギリシャ語エイミが「単独で継続を表さない」というあなたのご意見ですが、単独ではエイミは両方の意味を持ちます。これは、ギリシャ語動詞は同じ形で継続する状態と継続しない状態を表すからです。エイミが継続を意味するかどうかは、エイミにどのような文が結びついているかによります。

以下、文法と解釈の論議が続きますが、聖書を自分の思うがままに自分勝手に理解するのを防ぐためには、文法の常識を確認するのは、きわめて大切な事柄です。
またそれは、誰が目にしても矛盾を含まない明確な根拠を必要とします。

「エイミ」が単独で継続をあらわすことがあるのでしたら、文法的な根拠を示すために、存在ではなく継続として用いられている他の新約聖書の箇所がなくては、組織以外の人が納得することは決してないでしょう。
そのことは、ご理解頂けるでしょうか?

私が、議論したいのはまさにこの点であり、他の水掛け論的な教義の解釈の論争は、問題を本質からそらしてしまうばかりです。
私自身も、その点は今一度反省いたします。

どうぞ、真実が明らかになるための、前向きなお返事をお待ちしております。

キリストの証人


Subject: エホバの証人記者クラブより
Date: Fri, 03 Jan 2003 13:47:39 +0900

エホバの証人個人サイト「エホバの証人記者クラブ」情報部です。

お久しぶりなります。
このところ多忙につき、ずいぶんとお返事が遅くなってしまいました。
お詫びいたします。

早速、ご意見・質問等を扱わせていただきます。

[1]
 英語において、amとagoとが同時に使われることはないというあなたの説明は、趣旨としては理解しております。

[2]
 あなたは、「英語の“I am student from two weeks ago.”の“I am”は“have been”に置き換え得る」という点について、『もちろん、そのようなことを申し上げたかったのではありません』と答えておられます。しかし、その前にあなたはこのように述べておられます。

『この場合私が学生であることは、事実としては継続しているわけですがそれを表現するためには、I am という表現は極めて不適当です。』

 ですから、“I am student from two weeks ago.”という文章の“I am”は必ず“have been”に置き換えなければならない、というのがあなたの主張です。
 このことからすると、『そのようなことを申し上げたかったのではありません』というあなたの釈明は間違っているように思えます。

 また、あなたは続けてこのように述べておられます。

『am を用いて、「いつからそうであった」かという状態をあらわすのは不適当であり、その場合は「have been」となると、申し上げた次第です。』

 これも、先の釈明と矛盾し、筋が通らない内容であるように思えます。

[3]
 さらに、あなたはこのように述べておられます。

『ちなみに、have beenに置き換えるのでしたら、I have been student since two weeks before.の方が、いくらか適当と思われます。』

 これについては異論はありません。今後はなるべくこちらの文を用いるようにいたします。

[4]
 「ギリシャ語エイミが時間的空間的に制限される継続を意味するか」という論題について、あなたはこのように述べておられます。

『amと言う言葉を用いて表されるのは、その人の本質的な状態であると、申し上げております。いつから、いつまでその状態である、という期間を限定された状態をあらわすのには、have beenを使うと申し上げたのであって、これは、中学校で習う範囲の英語です』。

 前回お伝えしたのと同様、今回のこの説明(「その人の本質的な状態」のくだり)にも不明な部分がありますが、とりあえず一点だけ指摘させていただきます。
 英語とギリシャ語は時制の仕組みが異なります。ギリシャ語の場合、エイミは継続を表すことがあります。「[過去]から」という表現が組合わさっている場合がそうです。これについては、すでに異なる聖句を挙げて説明させていただきました。
 一方、あなたはギリシャ語エイミを説明するのに頻繁に英語の“am”を引き合いに出しておられます。私としては、あなたがそうするのは単に、ギリシャ語の説明をわかりやすくするためだと認識しておりました。
 しかし、ここに来て、あなたは故意にギリシャ語と英語とを入れ替えようとしておられるように見えます。これは許されることではありません。

[5]
 私は前回このように指摘いたしました。

「ヨハネ 14章9節で論題となっているのは「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分ではなく、新共同訳聖書において「こんなに長い間一緒にいる」と訳されている部分です。「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分にギリシャ語エイミは用いられておらず、あなたの説明は全くの見当違いとなっています」。

 それに対し、あなたはこのようにおっしゃられています。

『そのようなことを申し上げたことは、まったくありません。もう一度、私のメールを読み直して下さい。私は、一般動詞が英語でhaveにあたる言葉を補わずに、直接法完了として用いられている、ギリシャ語聖書の用例をあげ、このような用例がbe動詞にも使えると誤解されているのでは、と何度も申し上げてきたことを、(そのことには、なかなかお返事頂けないので)具体例を出してみたのです』。

 しかし、あなたは続けてこのように述べておられます。

『とても不思議です。これ(「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分)は前回あなたが説明のためにひかれた箇所なのです。』

 ここであなたは、「言っていない」と述べた事柄を、その直後に翻しておられます。今回のメールではこれで二度目となります。

[6]
 さらにあなたはこのように述べておられます。

『さらに不思議なのは、エホバの証人の書物は、ここをhave beenと訳出していません。』

 繰り返しになりますが、ヨハネ 14章9節におけるギリシャ語エイミは「こんなに長い間一緒にいる」の部分にあり、「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分にはありません。
 ですから、「あなたはまだわたしを知らないのですか」の部分で“have been”という訳語が用いられないとしても、それは少しも不思議なことではありません。

[7]
 さらにあなたは、ギリシャ語エイミが用いられている「こんなに長い間一緒にいる」の文については、こう述べておられます。

『私の手もとにある、エホバの証人の王国行間逐語訳集には、have beenにはされていない、と申し上げました』

 英文新世界訳聖書・TEV・アメリカ標準訳・新国際訳の訳文をご覧になってください。私は、これらの翻訳で該当のエイミが“have been”の形になっていると指摘しました。
 ちなみに、王国行間逐語訳聖書の場合、ページの左側にはギリシャ語の聖書本文、右側には新世界訳聖書の訳文があります。

[8]
 さらにあなたは、このように求めておられます。

『一般動詞における継続性は、もちろん認めておりますので、be動詞の場合もそれが適応される文法的な根拠をお示し下さい。この質問は、これで何回目なのかもう私には分かりません。』

 これについては、すでに何度も、要請がある度に説明を行っております。これまで、聖書から実際の用例を挙げたり、「新約聖書の慣用句に関する文法」などの書物から引用したりしてお答えしてきました。

以上です。

★エホバの証人記者クラブ★
★情報部★


Subject: お返事ありがとうございます
Date: Fri, 2 Jan 1970 05:01:15 +0900

とんぽっぽ様
キリストの証人です。お返事をありがとうございます。

これは何度目のメールになるでしょうか。
同じ話題を続けておりましたが、どうしてもお話は噛み合ないようですね。

私は、あなたのお返事は訊きたいことに対しては、何も答えられていないと感じ、あなた様の方では、私の質問は内容をすり変えているとおっしゃいます。
少なくとも、話が全く噛み合ないという、この状態は同意頂けますでしょうか。

どうやら、私はあなた方にとって信頼に値する相手とは、とらえていただけないようです。
そして、人の心をかえることができるのは、聖霊の力のみであるという聖書の真理を再び思い返してもおります。
それゆえ、今一度私は我が身を低くし、事の成り行きを主におゆだねすることといたします。
あなた様は、私が逃げた、とお考えになるかもしれませんが、この件についてのお話し合いは、ここにて終了させていただく事をお赦し下さいませ。

キリストの証人


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