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2007年6月のニュース - 放火事件について
2007年6月28日更新


 東京都内にあるエホバの証人の教会施設「王国会館」にて、2007年6月14日と15日とに連続放火事件が生じました。少なくとも1件について、犯人は現役の信者であることが判明しております。
 いくつかのメディアの報道によると、犯行に及んだその信者は、夫がエホバの証人会衆から除名されたことに不満を持っていたとのことです。



この事件について詳細な情報は提供されますか?

 いいえ、その予定はありません。

この事件についてどのような感想をお持ちですか?

 全国のエホバの証人はこの事件について感想を述べることを控えたいと思うでしょう。適切な評価を述べるためには関係者のプライベートな情報を詳しく知る必要があります。もしかすると、テレビのワイドショーや週刊誌は人々の「ゴシップの真相を知りたい」という好奇心をあおり、また満たそうとするかもしれませんが、証人たちはそのような社会の一般的な傾向に感化されませんし、そのような情報源をむやみに信用することもありません。

今回の事件はエホバの証人にとって希な事件でしょうか?

 はい、その通りです。エホバの証人はまじめな人が多く、また平和主義をとても重んじていますので、攻撃的な行動をとること自体が希です。

この事件に関連して「除名者は信者との一切の交友を絶たれる」との解説を聞きましたが本当ですか?

 そのような情報は、インターネットなどを介して“エホバの証人問題の専門家”や“元信者”を名乗る人々によって繰り返し語られており、その根拠として聖書の「あいさつをしてはならない」という言葉が示されるのが普通ですが、これには事実と相違があります。
「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。」―聖書

「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい。それは,あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。父は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです。というのは,自分を愛してくれる者を愛したからといって,あなた方に何の報いがあるでしょうか。収税人たちも同じことをしているではありませんか。また,自分の兄弟たちにだけあいさつしたからといって,どんな格別なことをしているでしょうか。諸国の人々も同じことをしているではありませんか。ですから,あなた方は,あなた方の天の父が完全であられるように完全でなければなりません。」―聖書

 このほかのいくつかの聖書の教えに従い、エホバの証人の除名制度には一定の歯止めがかけられています。その制度は手厳しいものですが、『一切交友を絶たれる』という表現は正しくありません。たとえば、信者が経営している店に除名者が来て商品を注文するかもしれません。ある職場では信者と除名者とが一緒に働いているでしょう。信者と除名者が夫婦であることもあります。こういった場合に当人が必要としている関係が控えられることはありません。一方、必要と判断されない交流は控えられます。また、除名された信者は王国会館に通うことができます。そこでのあいさつと会話は原則として控えられますが、除名者に対して愛の欠けた無思慮なことは行われません。さらに、除名者は1年後を目安に復帰することができます。
  会衆の長老,および会衆の個々の成員は,ユダヤ教のある律法学者たちがあおったような見方,つまり異邦人を事実上の敵と見なすような見方に近づかないように注意すべきです。排斥された人が犯した悪行を憎むのは正しいことですが,その人そのものを憎んだり,そうした人を無情に扱ったりするのは正しくありません。すでに述べたとおり,律法学者のある書物は,異邦人が死の危険に臨んでいる場合でもそれに助けの手を差し伸べてはならないとさえ述べていました。仮に,クリスチャン会衆の一員が湖でボートに乗っていて,排斥された人の乗る別のボートが転覆し,その排斥された人が水の中に投げ出されて必死にもがいているのを見たとしましょう。でき死の危険に臨んでいるのが排斥された人で,「諸国民の者」のように見なされるべきだということで,クリスチャンがその人の危険を見過ごし,その場をこぎ去ったとすれば,そのクリスチャンは神の前で有罪の意識を持たないでいられるでしょうか。そのようなはずはありません。それは残酷で無情なことです。キリスト・イエスがそのようにするとは想像できません。また,第一世紀のユダヤ人で,平衡の取れた見方をする人であれば,そうした窮状にある異邦人や収税人に対してやはりそうした態度は取らなかったはずです。
  しかし,これほど極端でない場合のことを考えてみましょう。排斥されている婦人が会衆の集会に出席しましたが,会館を出てみると,近くに止めておいた車はパンクしていました。会衆の男子の成員は,彼女の窮状を見ても彼女の援助を拒み,だれか世の人が来て彼女を助けるにまかせるべきでしょうか。これも必要以上に不親切で無情なことです。しかし,ちょうどそれと同じような事が実際に起きました。それは全く良心上の理由でなされたものと思われますが,それでも平衡の取れた見方が欠けていました。
  わたしたちの天の父を見ると,エデンから排斥された後の最初の人間夫婦に対してもある程度の思いやりを働かせ,彼らに衣を与えたことが思い出されます。(創世 3:21)これはその二人に対する過分の親切でした。イエスが弟子たちに思い出させたとおり,エホバ神は「邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせて」おられます。(マタイ 5:45)使徒パウロは,異邦諸国民が神の道に反して独行的な歩みをしている中で,エホバが「ご自分[で]は善を行なって,[彼ら]に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもって[彼ら]の心を存分に満た[し]……[こうして]ご自身を証しのないままにして[はおられない]」ことを示しています。(使徒 14:16,17)したがって,ある人と「交わるのをやめ」,その人を「諸国民の者」のように扱うということは,その人に対して,礼儀,親切さ,思いやり,人間愛などを働かせることを妨げるものではありません。―除名処分に関するエホバの証人のテキスト

この事件に関連して「エホバの証人にはうつなどの精神疾患者が多い」という主張を唱えているサイトがありますが事実でしょうか?

 エホバの証人社会におけるうつなどの精神疾患の割合は一般のそれよりやや多いという主張があります。これについて真偽は定かではありません。一方で、宗教団体としては少ない部類であるということも言われます。特に日本のキリスト教派に限って比較すれば、この問題についてのエホバの証人の成績はきわめて良好であるようです。一部掲示板では何者かによって「エホバの証人はみんな死んだように暗い顔をしている」などという発言が繰り返し書き込まれていますが、こういった主張の真実性は、皆様方が地元の証人たちを直に観察することによって自ずと明らかになるでしょう。


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