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裁判員制度についてのエホバの証人の考え

2008年11月29日掲載



裁判員制度についての基本的な考え方

エホバの証人の統治体ならびにエホバの証人組織は、裁判員制度についての統一された判断を信者たちに対してあえて示さず、裁判員制度に対する種々の判断を信者自身の裁量に任せるという方針を示しています。
エホバの証人組織は各信者の決定の助けとなるガイドラインを発行していますが、内容は必ずしも特定の教派に偏ったものではなく、『聖書の教えを守るキリスト教徒ならこのように考え、行動するであろう』という趣旨のものとなっています。



ガイドラインの抜粋

ガイドラインは『わたしたちの王国宣教』2008年11月号に掲載されています。
ガイドラインは一部このように述べています。

裁判員の務めに関して……聖書に関する自分の理解と、自分の良心に基づいて判断することになります。
クリスチャンの中には、裁判員の務めを果たすことを、カエサルのものをカエサルに返すこととみなす人もいるでしょう。別のクリスチャンは、ある特定の事件の裁判員を務めることを自分の良心は許さないと感じ、辞退を申し立てるかもしれません。……これは、性の不道徳、妊娠中絶、殺人など、争点となっている事柄に関する自分の見解が、単なる世俗の法律によってではなく、聖書の知識によって形作られている場合に特にそう言えるでしょう。
その務めを拒む場合、そのクリスチャンはそのことの結果を引き受ける用意をしていなければなりません。
結局のところ、裁判員の務めを果たすようにとの要請を受けたクリスチャンは各自、聖書に関する理解と良心に基づいて、自分がどんな行動を取るかを決定しなければなりません。……クリスチャン各自は、自分がどうするかを決定すべきであり、他の人はその人の決定を批判すべきではありません。


関係している聖書の教え

ガイドラインは、この決定に関わるであろう聖書の教えを多数示し、解説を述べています。
そのうち、肯定的なものと否定的なものを3つづつ挙げます。

肯定的なもの

[イエス]は言われた,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。(聖書の マタイ 22章21節)
すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。(聖書の ローマ 13章1-2節)
だれか権威のもとにある者があなたを一マイルの奉仕に徴用するならば,その者と一緒に二マイル行きなさい。(聖書の マタイ 5章41節)
否定的なもの

あなた方のうちのだれも,殺人者,盗人,悪行者,あるいは他人の事に干渉する者として苦しみに遭ってはなりません。(聖書の ペテロ第一 4章15節)
というのは,わたしは外部の人々を裁くことと何のかかわりがあるでしょうか。あなた方は内部の人々を裁き,外部の人々は神が裁かれるのではありませんか。(聖書の コリント第一 5章12-13節)
だれに対しても決して性急に手を置いてはなりません。また,他の人の罪にあずかる者となってはなりません。自分を貞潔に保ちなさい。(聖書の テモテ第一 5章22節)


展望

現時点では、信者個人の自由な決定を推奨するエホバの証人組織の指導方針のもとで、日本のエホバの証人における裁判員制度に対する姿勢は未確定です。おそらく、これまでも幾つかのデリケートな問題についてそうであったように、長い年月を経て、紆余曲折を経験しながら裁判員制度についての信者側の総意が形成されていくことでしょう。それは肯定的なものとなるかもしれませんし、否定的なものとなるかもしれませんし、そのどちらでもないという中間的な状態が続くのかもしれません。あるいは、国内においても地域ごとに大きな差が生じてそれぞれが定着していくということも考えられます。いずれにせよ、エホバの証人組織はこの問題についての批判的論議を行わないよう証人たちに求めており、内部的には極めて平和的に議論が進行するものと思われます。
一方、外部的な要素は、これまでにも幾つかの問題についてそうであったように、裁判員制度に対するエホバの証人の姿勢に対して拒絶の反応を示すかもしれません。具体的には、エホバの証人と対立関係にある教派、宗教学者、社会学者、マスメディアといった要素です。もちろんエホバの証人としては、社会を構成するこれらの人たちと平和的な共存関係を築いていかなければなりません。その努力がどれほどうまくいくかはやはり未確定です。
法曹界がこの問題に対してどのような態度を取るかも注目されます。裁判員の義務を宗教上の理由によって拒否する証人に対して法曹界はそれを信教の自由に類する権利と認めるでしょうか。それとも否認するでしょうか。おそらくこの問題についても長い年月と紆余曲折が必要でしょう。

そのようなわけで、現状では、裁判員制度に対するエホバの証人の立場は実質的に形成されていないと言うことができるでしょう。



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