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「文藝春秋」がエホバの証人に対する批判報道
2000年1月1日更新

文藝春秋1999年5月号は、カルト教団の信者の子供たちの直面する問題を特集する記事を掲載し、問題となるカルトの一つとしてエホバの証人を挙げました。
この記事はカルトの定義を、「ある人物あるいは組織の教えに絶対的な価値を置き、現代社会が共有する価値観−財産・教育・結婚・知る権利などの基本的人権や家族の信頼関係といった道徳観−を否定する集団」と定義した上で、エホバの証人がこの条件に当てはまるかのような記述を多量に掲載しています。
まずこの記事は、エホバの証人の父親が子供を殴ったり、首を絞めたりした実例を指摘したうえで、「彼の父親がとりわけ暴力的というわけではない。父親は聖書の言葉を忠実に実行してきただけである」と説明し、あたかも、エホバの証人は子供を殴ることを聖書の教えとしているかのような注解を加えました。
続いてこの記事は、聖書の箴言23章の聖句を悪引用し、「他のキリスト教団はこれを箴言特有の誇張した表現と解釈するが、エホバの証人は字句通り受け止めている」と説明しています。
続いてこの記事は、同様の例をいくつも列挙しましたが、その中でも衝撃的なケースとして、次のようなぞっとする事例を挙げています。
「その母親は先輩の女性信者から「子供の中からサタンが出るまで、繰り返し子どもの顔を水の中につけるよう」に教えられた。母親は途中で怖くなり、二回だけでやめてしまったが、子どもを救ったというのに、彼女は「自分は霊性が低いのでは」とその後相当長く悩んだという」。
また、この記事は、エホバの証人の子どもであるという理由で社会からのけ者にされ、いじめられた子どもの例や、自分は子どもの頃からエホバの証人以外とは全く交際がなく、社会に出てから非常に苦労したという子供の証言を取りあげたりして、エホバの証人のことを、一見閉鎖性が乏しいように見えてそうではなく、相当に閉鎖的な集団であると結論づけています。
この記事はそのような事例が生じさせた結果を、アメリカで報告された、「カルトで育てられた子供が人格障害、情緒障害、うつ病、あるいは多重人格を発する例」と同じだとさえ論じています。
このように、この記事はエホバの証人に対する極端な事例を繰り返し挙げて、他の宗教集団に加えて、エホバの証人の教育の在り方に疑念を提出しました。

この報道に関連した諸事実

エホバの証人は現在、自分たちの子供の教育の方法が過去において過度に厳格であったことや、その教育が残念な結果をもたらすこともあったことを謙虚に認めています

そのような評価に基づき、エホバの証人は長年にわたって教育の改革に真剣に取り組んできました。
しかし、エホバの証人のことをカルト教団として説明することに重点を置いたこの記事は、エホバの証人の教育が過去に抱えていた問題点や、それに対するエホバの証人の現在の評価を読者に理解させる点で全く不適切な内容になっています。

そもそも、懲らしめに関する聖書の教えは健全なものであり、それに即したエホバの証人の教育もまた健全なものです。

しかし残念なことに、子供の教育には、それがどのような方法であるかに関わりなく、一定の割合で予期せぬ悲しい結果が生じるものです。
エホバの証人の場合のような、子供に対する懲らしめをよしとする方法も同じです。
その懲らしめがどんなに健全であっても、やはり一定の割合で、それによって傷ついてしまったり、その結果社会性の点で問題を抱えたりする子供たちが出てきます。
同様、懲らしめに関する聖書の教えがどんなに健全なものであっても、それを実践する親たちの間には、聖書の教えを実践する点での未熟さゆえの混乱が、やはり一定の割合で生じます。
ですからこういった問題は、エホバの証人が教育の改革に取り組んでいる現在でもやはり生じています。
また、エホバの証人が宗教であり、聖書の教えを実践している以上、それが原因で苦しい思いをする子供や、場合によっては精神的痛手を受けたりする子供も、やはり必ずや生じることでしょう。
そのため、今回の文藝春秋の記事のような、エホバの証人をカルトと見なす人たちがエホバの証人の教育の失敗例を列挙して批判するような事例は、今後も一定の割合で生じるものと思われます。
ですからわたしたちとしては、外部の方々には、みなさんがこのような報道にも過敏になることなく、是非とも冷静になって物事を見極めていただくようお願いする次第です。

過去にエホバの証人の教育が過度に厳格であったという問題については、わたしたちエホバの証人は、同様の問題は必ずしも自分たちにだけ見られたのではないことを知っています。

それは、エホバの証人ではない一般の家庭においても、学校などの教育の現場などにおいてもしばしば見られてきた種類のものです。
もちろんこれは、エホバの証人の教育の問題が、これら一般の事例と全く同じだということではありません。
わたしたちエホバの証人は、教育に関する自分たちの基準が世のそれよりも厳しいことを誇りとしてきたからです。
とはいえやはり、エホバの証人の教育の問題は、多かれ少なかれ当時の世相を反映したものでした。
振り返れば、このような問題をマスメディアが報道したことは、80年代後期から90年代において、教育に対する人々の考え方の改革を促し、親や教師の態度を変えさせるのに貢献してきました。
しかし、このような改革にはよくない面もあります。
わたしたちは、少なからぬ親たちが、厳格なしつけがもたらす悲痛な結果におののくあまり、しつけを行うこと自体をやめるのを見てきました。
ひとつには、マスメディアがそのような問題の極端な例を過度に強調して報道してきたことがこれに関係しているようです。
しかし、エホバの証人はそのような傾向に倣うわけではありません。
こうして、改革が行われている現在でも、エホバの証人は依然、世間一般と比較して厳しい教育を実践しています。
ですからこの点でも、今後エホバの証人は社会からの批判にさらされ続けることでしょう。

今回の文藝春秋の記事のような、エホバの証人の教育の問題を偏った仕方で宣伝する記事は、エホバの証人のことをよく知らず、自分の読んだ事柄を何でも鵜呑みにする傾向のある人たちに、巧みな仕方でエホバの証人に対する敵意を植え込むという点で危険なものです。

またこの記事は、よく分かってもいないのに、エホバの証人のことを程度が低いとあざ笑う、良識のない人たちを勢いづかせることにもなるでしょう。

エホバの証人に反対する牧師として著名な神戸国際キリスト教会の岩村義雄氏でさえ、この記事については、「幼児虐待に関する作為的な分析はアカデミックとは言えない」とコメントし、「ものみの塔は破壊的カルトではない」、「うつ病の割合も正統的キリスト教会の4分の1以下である」と指摘しています。

(エホバの証人の教育に関する正確な情報はこちらにあります。)


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